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2000年12月

12/26 きよしこの夜やすしあの夜一八はどうなった
 昨日一昨日と町中にキリスト者の説教がみちみちていると思ったら,巷はクリスマスで,それはキリストの誕生日だったんだな.
 ただクリスマスがキリストの誕生日というのは表向きの話.もともとは冬至のお祭りで,それは太陽神が衰退から再生へと向かう区切りの祝なのである.昔の神話体系では,太陽神は昼に生き夜に死す,夏に生き冬に死すというように死と再生を繰り返していると考えられていたのだ.
 でそういう神話体系のなかに割り込んでいきたかったキリスト教は,キリストは同じく神の息子であり(大概太陽神は最高神の息子である),同じく死んだのち再生するという物語を付け加え,その祝祭の置き換えを狙ったのである.
 相手の主力と同等+αの付加価値をつけた製品をぶつける,マーケティングの王道ではないだろうか.昨日の説教とは偉い違い,戦略的である.

12/25 神の御名において
 ここのところこの近況もご無沙汰だが,それというのも,ニュースリーダをGnus on Mule for Win32からDatulaに換えたからだ.私はhtmlを書くときはMule for Win32 + html-helper-mode.elを使っているので,ニュースリーダを換えた結果Muleを起動させる機会も減り,これを書こうという機会も畢竟減ってしまうのであった.

 今日は池袋の方にちょっと出かけたのだが,駅前でキリスト教さんが街宣をしていた.「神を信じないものには報いが来よう」とか言った直後に「イエスキリストはへりくだった寛大な方です」とか言うので思わず笑ってしまった.寛大な神がたかが自分を信じる信じないで報いを与えるのか? 神にとって人間というのはそんなに重要な存在なのか? 自分が作ったものに自分を信じさせることすら出来ない神にとっては,重要なことなのかもしれないねえ.全知全能だったらもっとどっしりと構えないと鼎の軽重を問われると思うんだけどなあ.イメージ戦略が下手,駄目.


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