Last modified: Thu Feb 17 21:57:49 JST 2000

2000年2月

2/17
 なんか今朝のフジのワイドショーで,遺伝子の特集をしていた.筑波に遺伝子と性格の関係についての研究をしている人がいるらしくて,彼をフューチャーしたものだ.
 で,リポーターが自分の遺伝子?を抽出したものをアンプルに詰めてもらってきて見せたのだが,それを見て誰かが「これを飲めば私もXX(レポーターの名前)さんになるんですか」とか言っていたのだが,,,それではオウム真理教(現アレフ)じゃありませんか.その口で「オウム真理教(現アレフ)は非科学的」とか言うなよ.もちろんオウム真理教(現アレフ)を皮肉った発言という可能性もあるにはあるが,そうじゃない方に1000カノッサ.

 ちなみにその遺伝子と性格の研究というのは,見た感じでは性格と関係のありそうな遺伝子と性格テストの相関を取っているという方法論のようだ.しかし性格テストというのもいいかげんなものだし.それを棚に上げて(というか知らないんだろうけど)遺伝子という科学的な装いに幻惑されたマスコミという図である.

 新潟の少女監禁事件だが,その母親を過保護であるとか批判する立場が巷の本流のようだ.しかし母親というのは常に子供(特に息子)への愛で盲目で愚かなのだよ.自分の母親を見てもそう思う.もちろんありがたいことではあるが. ちなみに現代洋子だか西原理恵子だかの漫画家が,母親に「もっと立派なマンガ書きなさい,どぉくまんみたいに」とか言われてのけぞったという話しがあったな.なぜにどぉくまん.

2/15
 革マル派や中核派は小林よしのりの「戦争論』への批判をしているらしい (『解放』1546号(1998年11月30日号)より『前進』1887号(1998年11月30日号)より).その内容はどうだって良いのだが,新左翼という時代錯誤な人々がそんなにup to dateだったことに驚く(笑).そう,彼らはこぶし書房や三一書房以外の出版社から出ている本も読んでいるのだ.
 ああ,でも革マル派は酒鬼薔薇事件についても書いていたか.こういう人達に「リアリティとバーチャルリアリティの区別もつかず」とか言われるとなんか腹が立つ(笑).いまだに「革命」という言葉にリアリティを感じている奴らにそんなこと言われたくないわい.まあこういうテレビ文化人程度の考察しか出来ない辺りに彼らの知的能力の限界を見る.
2/12
 『逆立ちしたフランケンシュタイン』(新戸雅章著,筑摩書房)を読むが,最初の10ページほどで事実誤認に近い不正確な記述が2点もあり,ちょっと読む気がうせる.
 まずp.14以降で「スキッド技術」なるものに触れられているが,これはどうもsquid (superconducting quantum interference detecter) のようである.これはスキッドと表記されるような読み方はされないはずだし,実際知人の心理学研究者も「スクイット」というように読んでいた.それはまあいいのだが,p.15でそれをWilliam Gibsonが「思考を読み取る」技術として描いていると書いている.これが「記憶屋ジョニー」のことならば,そこでは「特性の素子(チップ)」に記憶されている暗号(コード)を読み取る装置として登場しており,別に「思考を読み取る」技術というようには描かれていない.
 またp.23ではブロンドローが発見したN線を,「生体から放射される新種の放射線」と述べている.確かに後にN線は生体からも放射される事が報告されたが,それがN線の主たる特徴ではない.N線は電気スパークの輝度を上げる放射線として発見されたのである(『幻の大発見 科学者たちはなぜ間違ったか』A.M.クロッツ著,四釜慶治訳,朝日選書392,pp.75-121).

  かの元ジャストシステム基礎研究所所長,オウム信者のデプログラミングのはてに結婚してしまったマッドサイエンティストの呼び声高き苫米地英人がついに本を出した.『洗脳原論』(春秋社)である.東京堂で思わずゲット.ついでに評判の『キリンヤガ』をいまさらながら購入.

 私の実家の近くで競走馬の厩舎が全焼,結構有名な馬も死んでしまったらしい.

2/2
 浦沢直樹のコミック『モンスター』は,小学館の漫画賞も取ったし諸氏の評価も高いようだけど,私はそれほどの作品だとはどうしても思えない.なぜかというと(以下一部ネタばれあり),登場人物がやたらとスーパーマンだから.ヨハンはあちこちで犯罪者をたらしこんだり自分の正体を知っていたりかぎつけそうな人間を見つけては部下を潜り込ませて始末させたり,とてもじゃないが一人で出来ることではない.さらにはドイツ連邦捜査局の家族に逃げられた捜査官(名前忘れた)までも,名にもない部屋に入ってその内でいきなり「この部屋でXX人死んだ」とか言い出して,霊能者になってしまうのである.
 これは登場人物の超常力に頼ったストーリーであり,ちょっと安易に見えてしまうのだ.そう言う意味では『ドラゴンボール』なんかと同じである.ただ巷の評価はそう言うドラゴンボール的評価ではなく,それなりにリアリティ・整合性のあるサイコホラーものとして評価されているようなのだ.そこがどうしても私には同意できないところだ.
 ただ小谷憲二(だっけ?)の『DESIRE』よりかは百倍よくできていることは間違いなく,『モンスター』が賞を取るというのは『DESIRE』がもう7巻まで出ているということよりかよっぽど正当なことである.ただそれが7巻まで出ていることよりも不当なことというのは,もはや政治の世界にしか存在しないのではあるが.

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