Last modified: Tue Jan 18 20:45:00 jst 2000

2000年1月

1/16
 「新聞記者」という存在に関する私のイメージと言えば,「想像力がない」「自分の知識の枠組みを超えるものに関する理解力がない」(多分この二つはイコール)「無知」「不勉強」と言ったものだ.どうも巷一般のイメージとは異なるようだが,そのようなイメージを持つ人はそれなりの数はあるだろう.
 新聞記者が先述のようなイメージを与えてしまう理由としては,例えば「自分の知識の枠組みを超えるものに関する理解力がない」なんてイメージは日本の受験戦争を勝ち抜いたエリート(単に受験戦争に勝ち抜いただけで「エリート」と呼ぶのもためらわれるが)に共通するもので,それを矯正する教育がされていないせいじゃないかと思う.あれだけ忙しければそう言うまどろっこしいことをしていられないだろうし,まとまった勉強をする時間も取れないというのは分からなくもない.それに専門性の高い記事を書く=専門的な知識が必要な部署の記者ですら,数年程度で人事移動してしまい,専門性の高い記者を育てられないという事情もあるようだ.
 そう言う個人の事情だけでは変えられない状況という言い訳があるわけだが,もちろんそれに安住すべきでないのは言う間でもないし,大方の記者も問題意識をもっていると私は考えていた.私の同窓生が書いていた(現在は公開されていない)「新聞記者はジェネラリストなのだから,専門家の言っている(専門性の高い)事は知らなくてもいいんだ」なんて擁護はひいきの引き倒しで,問題点を自覚し頑張っている記者たちに失礼ですらあると思っていた.
 ところが!某所の掲示板で現役の新聞記者ですら同じようなことを言い,さらに記事を書くための知識は所詮付け焼き刃にすぎず,だから専門家に間違いを指摘されても気にならないと言いきっているのに出会って驚いてしまった.さらに「専門的知識に無知なこと=大衆の立場に立つ」ことであり,したがって正しいのだ,とまで言ってしまうのである.曰く
新聞記者なんて全部耳学問、また聞き、聞きかじり、付け焼刃のオンパレード。だから若い学者の卵たちに何か言われても屁でもないな。別に学術論争してるわけじゃなし。目線の位置を常に読者の側に置きたいと思っているからね。大衆に理解できないことで威張っているやつの気が知れない。
「于論茶の掲示板」より.この掲示板では古い書き込みはどんどん消えるので,もう残っていない)
 なんと言うか,「無知=無垢=大衆 vs 悪知恵=エリート」的な手垢のついたクリシェが背景にあるのか? この後に,ただ嘘はつかないからね,というようなことを言っているが,「耳学問、また聞き、聞きかじり、付け焼刃のオンパレード」の中に結果として嘘が混じる可能性にどの程度思いを馳せているのだろう.松本の河野さんを犯人扱いしてしまった反省はいずこ.
 ちなみに件の記者は「于論茶」なるハンドルを名乗っていて,かの栄えある山形きらいだリストにもリストアップされていたりする.
 ちなみにそこにリストアップされるに至った経緯もそこからリンクされているが,要は山形氏の掲示板への書き込みを二度にわたって削除したというもの.さらに削除した理由も偽っていたということである.こういう人間がメディアの発信する側にいるというのもなかなか怖いものがある.

目次に戻る
(C)2000
ISHIDA Tsubasa <tbs-i@cpsy.is.tohoku.ac.jp>
All right reserved.