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1999年11月
- 11/24
- 最近流行りの「定説」だが,これを聞いて思うのはものすごく権威主義なことである.曰く,「アメリカの最高裁の判例に出ている定説」「アメリカのカーネギー研究所に認められてものが定説」「日本では最高裁付属図書館くらいにしか定説が書かれてある文献はない」「憲法に書いてある」等など.グルなんだからもうちょっと自分自身の権威で語って欲しい(笑).今思えば「私が法だ」的なアティチュードの麻原しょうこうって偉かったんだなあ(笑),と.
- 11/19
- ここ最近と言えばやはり「ライフスペース」のグル高橋弘二の「定説主義」に尽きるだろう.彼らは「世界」という言い方が好きで,昔フジテレビなどを訴えた訴状にも「日本ではグルはギャグ扱いだが,世界では一生に一度会いたいという存在である」というようなことが書かれているという(浅見定雄インタビュー「『カルト』とは何か」.別冊宝島461『救いの正体』収録).
こういう実態のない「世界」という言い回しはサッカー報道にも見られるが(笑),カルト宗教に多いような気がする.確か統一協会も宮沢りえのヌード広告が新聞に載ったときに,こんな年端のいかない娘のヌードが一流新聞に載るなんてやはり日本は性規範が乱れている,と言う主張の強化のために,「世界」の新聞でもこんなに批判されている,とか言って色んな国の記事を引用していた.けども,その新聞はどれも統一協会色の強いものだったという.「世界」と言ったって40数億人いるんだから自分の考えと合う集団もあわない集団もいるだろう.それを十把一絡げにして「世界」と語ってしまう辺りが,カルトっぽい思考法だと思うのだ.
これに限らずカルト集団では二元論的レトリックが良く使われる.オウム真理教やものみの塔のような終末史観をもつ集団は,勧誘の際に「このまま座して滅亡を待つか」vs「我々と一緒に活動して世界を救うか」という二つの選択肢のどちらを選択するか選ばせるのである.で,それをして「うちに入ってくる人は皆自分の意思で選択して入ったのですよ.洗脳なんてトンでもない」というわけだ.もちろん,選択肢はこの二つだけではなく,「座して待っても滅亡しない」とか「一緒に活動しても救えない」というのもあるわけだが,そういうのを思いつかないように,十分教育した上で先の質問をするわけである.この二つしか選択できないとなれば,大概は「世界を救う」ほうを選ぶのだ.同様に「日本(=少数というイメージ)」vs「世界=(多数というイメージ)」の二択を迫られれば後者を選ぶだろう.こうやって,選択させているように見せてじつはカルト集団側が望む選択を事実上強制しているのである.それをしてマインドコントロールしてない証拠にはなりえない.逆にそうやって自分で選択させることがマインドコントロールの仕上げであることは,幾つかの文献が指摘しているとおりである.
こういう二元論のわなに関しては,コルジブスキーやS.I.ハヤカワがやっている「一般意味論」という通俗哲学(と小学館の百科事典には書いてある)が良く論じている.これについて書かれている日本語で読める入門的な本と言えば,W.B.キーの『メディアレイプ』がある.この本自体の主題や,一般意味論そのもに関しては私は距離をおいているが,こういう二元論のわなを意識するためにはよいかと.
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