- 6/18
- 最近「人間というのは強いモノなのだなあ」と思った話二題.
赤信号を無視して横断歩道を渡る自転車のおばちゃん,そしてそれを見つけて慌てて急ブレーキをする車.で,おばちゃんその車に向かって「危ないじゃないのよ!」.本当に怒っていた.自分が悪いかもしれないなんて露とも思ってなさそうだった.
仙台の市バスは,車内での携帯電話の類の通話はご遠慮願っていて,車内アナウンスでもその旨流れる.そんな中で車内アナウンスを二回繰り返され,さらに運転手さんの肉声で二回注意されていたにもかかわらず,堂々としゃべり続けていたお姉ちゃん.
俺もこれくらい押しが強ければ就職出来ていたのかもしれないと反省しきりである.男は強くなくては生きていけないのに,女はこんなに強くなっているのだなあ(性差別的発言).
- 6/17
- なんか小渕首相が「自分は真空総理だから(側近との不和はあり得ない)」と力説していたらしいが,自分の中にはなにもない,と力説する首相の姿というのももの悲しい.この「真空首相」というフレーズは,確か中曾根元首相が『文藝春秋』で書いたフレーズだ.私がそれを最初読んだときは褒め殺しだと思っていたのだが,本人はどうもいたくお気に入りらしい.もしかすると,この威厳のなさはポストモダンな首相像なのかも知れない.
- 6/14
- 今日のCNNの"Q&A Asia"という番組にドクター中松が出ていた! 肩書きは"innovator",つまり「発明家」.アジアの(大)人物が出て,視聴者の質問に色々答えるという番組である.ほんの1,2分程度しか見られなかったので,どのような問答があったのかはほとんど分からなかったが,最後の「次はどのような発明をしますか」と言う質問には,CO2削減をするものを発明する,と言うようなことを答えていた.ついにCNNまで進出か.
ケーブルテレビのキッズステーションチャンネルでは,『ダンバイン』はいよいよジャコバによって,悪しきオーラマシンがまるごと地上に送り込まれるところ.『レイズナー』はエイジが敵母艦に飛び込んでいって行方不明になるところ.前者は最終回へ向けて,後者は後半に向けてのターニングポイントである.このころの富野監督はよかった.
- 6/13
- 今夜,我らが宮城県は古川市(仙台市の40kmほど北)の古川市立病院で脳死患者,臓器移植へ.
なんか今度は国旗・国家に関する法案が提出されるらしい.私自身は日の丸や君が代を国旗・国家にすることは別に反対ではないが,そのやり口,いわゆる自自公連立を笠に着たやり方が気に入らない.それが政党政治における多数決と言ってしまえばそれまでだが,この機会にめんどうな法案をまとめてやっつけてしまおうという自民党の態度が見え見えなのがいかん.やるにしてももうちょっとカモフラージュできないものか.そこら辺がやはり無能な政治家なのだなあ.
ル・マン24時間耐久レースを見ていると,BMWのテクニカルディレクターとしてゲルハルト・ベルガーや,ドライヴァーとしてマウリシオ・グージェルミン,JJレート,ピエロ・ルイジ・マルティニ,片山右京といった懐かしいF1ドライヴァーが顔をそろえていた.
- 6/11
- 教えに行っている専門学校で一太郎の実習も担当しているので,今日テキストを調べに本屋に言った.そこで一太郎検定のテキストをいくつか見てみたのだが,模範回答がどれも罫線をばりばりに使ったいかにも日本的ワープロ作法で,ちょっとくらくらしてしまった.特に罫線で棒グラフまで書かれた日にゃあ,表計算ソフトってなに? こういう原稿用紙感覚と言うか,縦何字横何字ってきっちり決まっている升目感覚って言うのは,カーニングなどのレイアウト作法の美的感覚とは全く正反対の美的感覚だよなあ.
うわさの『デジタル・ミレニアムの到来』を本屋で発見.しかし本の冒頭のマトリックスを見てげんなりし,結局買わず.インターネット社会(笑)にまつわる様々な思想・立場を,どの価値観をどの価値観よりも重視するか,と言う観点でまとめたマトリックスである.そのまとめ方自体はおもしろいと思うのだが,それによると市場原理よりも表現の自由を重視する立場がコピーレフトなんだそうな.
そうか? コピーレフトって表現の自由と関係あるのか? あれはソースを自由に改造していいよ,そして改造したものをさらに改造する自由も保障してあげてよ,と言う話だけじゃないか.これこそ"free flow of information"だ.やはりこの"free flow of information"という概念は山根さんの言うように誤解されているのか.実際にソースで配布されているプログラムを自分で修正したりとかしたことないと実感できないのだろうか.そんなに難しい思想・発想だとも思えないのだけどなあ.
- 6/4
- 先日テレビ朝日系列の『あぶない放課後』をなんとはなしに見ていたのだが,登場人物が皆ウルトラマン系の顔である.主役のニノや加藤あい,たまたまゲストで出ていた浜丘麻矢も.色白で鼻筋が通っていて.
- 6/2
- 何か最近の巷の話題は『デジタル・ミレニアムの到来』という本らしい(名和小太郎著).これに関する文章を,白田氏(その1,その2)や山根氏,崎山氏が書いており,さらにそれらに関して浜田氏が反論している(ここからたどれる「名和小太郎『デジタル・ミレニアムの到来』批判の批判」参照).実は私はその本を読んでいないのだが,それら文章を読んで気になったことなどを.
ここで気になったのは,白田氏の「『インターネット原理主義』について」の論述.「どうやら先生は『ハッカー倫理』を『インターネット原理主義』と読み替えているようだ」と推測してみせてから,そう仮定すると事実と矛盾するので,「先生の誤解だろう」と続ける.このような論理展開は確かに可能だが,もう一つの結論として,そもそもの推測,「ハッカー倫理」と「インターネット原理主義」とを読み替えているのだろうという推測が誤っているということも導き出せる.つまり,(1)名和氏はハッカー倫理を正しく理解しており,かつ(2)原理主義者と読み替えている,という前提から矛盾が導き出されるので,その前提は間違っている,という論述の流れだからだ.背理法だわな.この前提が間違っているとすると,(1)か(2)のどちらかが間違っているわけだが,白田氏は(1)が間違っている可能性しか提示していない.
ここで名和氏が「ハッカー」という言葉を使っていることが,上記の推測の根拠の一つなのかもしれないが,「ハッカー」がすなわちLevyが言っていたりするような「ハッカー」とは限らないという話は,それこそ「"ハッカーは、クラッカーじゃない。"と主張する会」が散々例証(冷笑か)している.論拠としては弱い.
そうすると,この「インターネット原理主義」という主張がハッカー倫理の読み替えでないとすれば,誰のどのような主張のことだろうか.山根氏はその辺を問題にしている.
これへの反論は比較的に簡単で,名和氏がこの本を書いたときに参照した集団とその主張を示せばよいだけである.これを明示するだけで上記の論点のほとんどは解決できる.山根氏の主張への反証となることは言うまでもないし,白田氏の言うように「ハッカー倫理」=「インターネット原理主義」かどうかもはっきりする.これは是非ともやってもらいたいことである.「存在しない」ことは限定的にしか証明できないが,「存在する」ことを証明するのは比較的簡単である.もちろん本として世に問うくらいであるから,名和氏は具体的にその集団を特定しているはずである.その集団はもちろん,
- あらゆる規制に反対しており
- 「情報やシステムに自由にアクセスしよう」「すべての権力的な抑圧へ反対しよう」というスローガンを掲げ
- 「ハッカー」を自称している
- コンピュータエリート
必要がある.当然そこら辺のネットニュースに匿名で便所の落書きのような文章を書いているやつは該当しない.上に挙げたような主張はしているかもしれないが,正体不明なので上記の条件に一致するかどうか不明であるから.
こういういわばインターネット社会論という分野は,様々な分野の人がクロスオーヴァーするところなので,実在するものははっきりそれを参照できるように書くべきである.必要もないのに妙にこぎれいに概念化するから誤解の元になる.
異なる文化が交わる場所では妙なレトリックはかえって誤解を招くだろう.かたことの日本語しかしゃべれない人に「骨を折る」とか「勉強しまっせ」とか使いますか?
あと「消費者」に関する白田氏や崎山氏の論考に関してはパス.疲れた.ただ,現在のマジョリティが消費者であることは少なくとも白田氏は認めるところで(いわく「『消費者』という存在の問題点を示」すと述べており,存在は肯定している.崎山氏はどう考えているか分からない),それについてどう対応していくかを綿々と書いている(いわく,「これがネットワークにおいて克服されるべきことを一般的に述べたい」).
一方浜田氏は彼の反論の「みんながハッカーになることは無理だ」の章で,同じくマジョリティが消費者であることしか示していない.そのことはまったく論点にはなりえていないので,反論にもなり得ていない(いやこれに限らず彼の論のほとんどは反論になり得てはいないのだけれども.さらに自分が批判しているweb上の文章のURLすら示していないという不誠実なものなので,論評するに値しないものと言わざるを得ないのだが).
- 6/1
- 自分のこの先の就職先を探すために(笑),日本経済新聞を見ていたら,茨城県警が情報処理技術員を募集していた(12版,第8面).システム監査技術者やネットワークスペシャリストを応募しているので,多分ネットワーク関連犯罪対策なのだろうか.