Last modified: Sun Mar 28 14:42:57 1999

1999年3月

3/28
 昨日今日と従兄の結婚式のため秋田市に行ってきた.秋田市はまだ肌寒く雪も道路の脇に残っていた.
 ちなみにうちの研究科では南国出身者が多く,仙台程度の寒さで「北国」を感じている院生が多い.仙台の地元紙の河北新報「寒さは全く気にならない」とあるのを「嘘だ」とか言ったりとか(笑).そういう院生は秋田市などのもっと北国に行って教育され直されるべき(笑).仙台は温かく住みやすい都市なのである(もちろん東北のうちでは,だけど).
3/16
 最近ケーブルテレビで放映されている,TBS系の24時間ニュースチャンネルのJNNニュースバードの,津島亜由子というアナウンサーが結構お気に入りである.gooで探したら全部で6件.その中で一番網羅的なのはこのページ.よくよく見ると東北大の科研.なんだ,隣の敷地じゃねえか.世間は狭い.
 彼のページは他には懐かしのANIMALが.私の記憶では元々筑波大学のコンピュータセンターかなんかにあったもので,最終的には近所の定食屋のメニューまで当てることが出来るまでに成長したらしいのだが,容量を食いすぎるのでやめてしまったとか言う代物だ.これは題材を動物に限らない方が何かと面白い.ということで一つネタを仕込んでおいた.
 他には「あかぎ あい」が気になる.DDI pocketの女の子三人が「きのうとおるくんと(ぴー)った」とかいう会話をするCMに出ている娘だ.爆笑問題のテレビ番組のレギュラーだし,同じく爆笑問題のラジオ番組にもゲストで出てる.調べてみると宮崎コシヒカリのライスヌーボー大使にそのまんま東とともに任命されたらしい(笑).宮崎出身とあって宮崎関係のイベントにはよく出ているようだ.宮崎フラワーフェスタにも4/4,5と出るらしい.意外と活躍している(笑).
3/12
 度々だがキッズステーションで放映されているサンライズアニメの話.
 「重戦機エルガイム」はついに最終回.子供の頃見た記憶では,実はポセイダルが○○○○○だったというのは(見ていない人のために伏せ字)最終回に明かされていたような記憶だったのだが,今回見てみると最終回の3,4,話前から明らかにされていた.やはりちゃんと理解出来ていなかったのだなあ.そしてあのエンディング.勝ったはずのカモンだが結局ポセイダルの復讐は成し遂げられてしまう(ことが暗示される)という,どんでん返し.このころ(ザブングル〜ダンバイン〜エルガイム)の富野アニメが一番良かった.これを乗り越えるためにはガンダムしかないとか思って,Zガンダムという外れを作ってしまったのではないだろうか.
 でそのダンバインも放映されているわけだ.まだ18話なのだが,もう地上に来てしまった.地上に出るのはだいぶ後になってからのような気がしたのだが,結構早いうちだったのだなあ.これが伏線となって,あの心震える最終回を迎えるのだ.そこでオープニングのナレーションにある,この物語を語るミ・フェラリオが判明する.この最終回は衝撃的だったなあ.俺はこれで人間の慢心というやつの怖さを思い知ったね(嘘).とりあえずこの18話で,物語前半のライバルであるガラリアは退場.以降は新しい地上人(「ちじょうびと」と読む)のあの女優(名前忘れた)との戦いが続き,新たなる悲劇が.
3/2
 山根さん(関係ないが,この間バンドMountainのベスト盤"Over the Top"に付属のブックレットに載っているジョン・ベルーシ(映画『ブルースブラザーズ』で有名)をみて思ったのだが,山根さんはベルーシに似ている)が書いていた「科学っぽい学問を実験する」話について.そこで山根さんはソーカルのパロディとアルファプロジェクトの関連性について述べている.アルファプロジェクトとは,手品師ジェームス・ランディが自分の弟子を超能力者と偽って超心理学の研究施設に送り込んだところ,そこの研究者はそれを手品と見破れなかったという話だ.で山根さんは「さばせばもっとあるはず」(ママ)と述べているのが,私の知っている限りでは実はあまりない.せいぜい1920年代に高名な奇術師フーディニが「サイエンティフィックアメリカン」誌と組んで「正真正銘の心霊現象」を賞金付きで募った話や,クルックス管で有名なクルックスが霊媒師にだまされた件とかその程度であった.ただどちらにせよ未知の現象がいんちきかどうかを解明しようとする活動だし,そんなに「科学になろう」というようなものでもないし,でパロディ的な手の込んだモノではない.ということでソーカルの件と対置できるものではなさそう.

 そもそも「科学になろう」というムーブメントが起こったのは,科学のネームヴァリューが上がってからの話だろうから,おそらくここ100年以内の話.さらに科学が疑似科学を明確に敵(という言い方は悪いか)と看做したのはもっと最近,ここ30年くらいだろうか(多分科学哲学が境界設定問題というのを設定してからの話だろう).科学が疑似科学をテストするような話は,この短い歴史の中には(まだ?)さほどは存在しないだろう.

参考文献


目次に戻る
(C)1999
ISHIDA Tsubasa <tbs-i@cpsy.is.tohoku.ac.jp>
All right reserved.