Last modified: Sat Jun 27 21:11:15 1998

1998年6月

6/27
 と言うことで日本のワールドカップは終わった.ジャマイカにはかってほしかったがまあ1勝2敗と3敗はここでは誤差のうちだろう.大差ない.全体的には選手交代が遅いような感じだったなあ.

 三戦通してわらかしてもらったのが地上波の方のラモスの解説.「戦う気持ち」を前面に押し出すという精神論.「ベテランを大切に」ほとんど自分とこのチームの選手を擁護した発言.「戦う気持ち」があれば90分全力で走れるとでも言うのか.あってもどう動いていいかわからなければ動けないだろう.その「戦う気持ち」をうまく表現できる戦術を実現できなかったと言うところが問題.精神論で話をかたずけるのはまるで戦前の日本だ.そこまで彼は日本人だ,と言うのも言えるけど.
 で,その「戦う気持ちをうまく表現できる戦術を実現できなかった」のは監督と選手の責任,さらにはその監督を選出し強化スケジュールを立てた日本サッカー協会の幹部なわけだが,監督は辞任,それに伴って選手が選出されるかどうかも白紙に戻る.ということで問題は協会幹部の責任の取り方だ.

 ときに,こういう結果論による精神論でよく引用されるのがNASAの話.「NASAでは最終的にプロジェクトの成否は『このプロジェクトは必ず成功する』という信念にかかっているとされ,そのようなポジティブな考え方を強調される」ってやつ.これはしかしNASAの技術力の粋を集めて綿密に水も漏らさぬ計画を立てた上で,最後の一要素としてポジティブシンキングが必要という話である.無能だったり無策だったりすることもポジティブシンキングでカヴァーできるという話では全くない.Amwayなどの勧誘でもこういう話はよく出るんだよなあ.

6/17
 気がついてみれば今日は自分の誕生日だった.だからと言ってどうということもなく一日が過ぎた.

 昨日の近況の言葉足らず・不適切な部分を修正.

 ちょいとここ一月くらいのこのページのアクセス状況を調べてみた.リピーターはまず目に付くのが文学部方面の知り合い.他にinfowebもあるけどもこれは心当たりが複数いて不明.謎なのは旭川高専福島医科大からのリピーター.どちらにもには知り合いらしい知り合いはいないのだけれども.ただ福島医科大には(大)先輩方がいるのでそれかなとも思うのだが,直接の面識はないのでわざわざ見に来るとも思えないし.まあだれが見ていたとしても書く内容は変わらないけども.

6/16
 先日「自ら科学を称している言語学・心理学・社会学」と述べたが,この話の続き.
 これらの分野はどれも「科学」を自称している.といってもそれぞれ下位分野が沢山あるんで,ここでは言語学はチョムスキー派,心理学は認知心理学,社会学はマルキシズムを始めとする理論社会学・社会思想辺りを想定する.
 ではそれらではどのような根拠に基づいて科学を自称しているかというと,言語学や心理学ではポパーの「反証可能性」辺りを根拠にしている.とりあえず言語学では月刊「情報処理」1月号からの連載"「化学」を指向するチョムスキー言語学"にチョムスキー言語学は反証可能性に基づいているので科学である,といったような言い回しが見られる(今手許にないのでうろ覚えだが).もし本当に反証可能性に基づいているならば,まずそもそも日本語のことを考えた時点で生成文法なんて棄却されなければならないのでは? 心理学も同様に反証可能性が好きで,『ハインズ博士「超科学」をきる』 (化学同人)の後書きなんかで言及されている(このハインズ博士は心理学者).同様に日本の心理学者達が書いた『不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門』 (北大路書房)でも同じく反証可能性について述べられている.これも同様にそれならば例えばTreismanの理論については反証も色々でたのに,なぜその時点で否定されなかったのか?
 もちろん「ちょっとの反証で理論を棄却してしまっていてはそもそも研究は進まない」という立場は全くその通りである.しかしこの時点で反証可能性という基準を捨ててしまっていて,彼らの発言と矛盾する.「その立場はあまりにも反証可能性を絶対のものとしている」という反論もあるだろうが,そもそも反証可能性というのはそういった科学の絶対的な基準として提案されたものだから,逆に上記のように適当に基づいたり基づかなかったりという日和見的な態度は許されない.その時点でポパーが提案したものとは似て異なる「反証可能性」になっているのだ.「そりゃ無茶苦茶だ.そんな絶対的な基準なんてありえない」その通り.そのような無茶苦茶な概念を彼らは自分達が科学であることの証拠としているのだ.
 上記の言語学者や心理学者達の用法では,「反証可能性」は単に「自分の研究への反論はきちんと受けて,再反論したり研究を修正したりすること」的な意味で使われている.それはポパーのいう反証可能性とは似て異なる.どちらかと言えばデカルト辺りのまず疑え,という立場や,さらにはプラトンの助産法辺りまで行き着く伝統的な学問のあり方で,わざわざ19世紀の産物「反証可能性」を持ち出す必要はないし,逆に誤解を招く.

 ちなみに社会学者がどのような根拠で自分達を「科学」と呼んでいるのかはよく分からない.私が知る限りでは例の「科学的社会主義」やパーソンズ辺りが少なくとも「科学」と名乗っているのだが.『社会科学の考え方』という水田洋が書いた講談社現代新書を読んでみたのだが,そこでは科学の目的を語ったのちすぐに「実感と常識の食い違いを確かめようという動機で行われる行為が科学である」という話の展開であった.おいおい,その確認を行う方法論が科学の肝じゃないのかよ,そこをはしょってどうする.ということでどうも彼らの言う「科学」というのもわからない.

6/9
 さて,「サブリミナル」というのは知覚心理学用語で,「識閾下」という意味である.今のところ唯一の大型の心理学用語辞典である平凡社の『新版心理学辞典』によれば,「閾」("threshold"とも)とは「意識,感覚,反応などが生じるために必要な最小限の値」のこと.そんなわけで「サブリミナル」とは知覚できない程刺激の強度が弱いことを表す言葉に過ぎない.
 しかしながら最近では,それ以上の意味を持つ「意識下の」「潜在意識の」という意味で使われてしまっているようだ.ちょっと前のfj.rec.tv.cmでもそういう理解で文章を書いている人がいたし(Message-ID: <tsuka-1107960133000001@pt019.hatelecom.or.jp>),今月号の『UNIX Magazine』の"Autonomous zone"という記事でもそのような言い回しが見られる(p.111).これはブライアン.キーの『潜在意識の誘惑』『メディアセックス』『メディアレイプ』(どれもリブロポート刊)での使われ方を模倣しているものだ.

 でまあ心理学者のはしくれとしては,これら使い方を「間違っている」と一蹴したいところだが,でもそこで私は引っかかってしまうのだ.結局言葉使いとは時代によって変わるものだし,専門用語と一般的に使われている用語の意味が食い違うというのもよくあること.その上でそういった意味を持たせて楽しく文章書いている上記の人に「間違っている」という言い方をしていいものかどうか.
 もちろん「心理学者」と称しているわりに「サブリミナル」という術語を「潜在意識」という意味で使っているブライアン・キーは非難されるべきではあるけども.それが心理学の内部では多数派ではない独自の定義であるという断りもなしにね.

 ついでに言えば『UNIX Magazine』の記事やfj.re.c.tv.cmの記事などでは,「サブリミナル」という言葉をレトリック的に使っているような節が見受けられる.これに目くじら立てるのも,とか思ったりもするのだ.「冷たい炎」(なんと俗な比喩(笑))とか言うレトリックを使った人に対して「炎は物理学的に冷たいはずがない」とかなんとか言うような感じで.

 同じような話が,多分"ハッカーは、クラッカーじゃない。"と主張する会なんかの主張にも言えそうな気がする.「ハッカー」という術語は「ソフトウェアのソースコードを自在に、修正・作成できる、凄腕のプログラマー」と言う意味での使われ方がこれまでは多かったわけだが,最近(というのも結構長いスパン)では単なるネットワ−ク犯罪者といった意味合いの定義で使っている人(ここからたどれる「ハッカー・クラッカー峻別論について」など)や,アングラヒーロー的な意味合い(ここ参照)で使っている人もいる.そもそもこれらの文章を書いた人は彼らが属す文化内での「ハッカー」の定義に基づいてそれらを書いている.それをある特定の文化圏内の定義を基に「間違っている」と一刀両断するのはあまりに一面的な見方である.「ネットワーク犯罪者」という定義の人は「ハッカーは犯罪者である」という定義をする文化の下でその文章を書いているわけだし(そういう定義ならばハッカー=クラッカーなのは当たり前なんで,なぜこのような文章をわざわざ書くかわからないけども),「アングラヒーロー」な定義の人は「自称ハッカー」文化の内にいるのでそのような文章を書いているに過ぎない.それらの文化は結構最近出てきたものではあるが,だからと言ってそれら文化内での定義が誤っていると言ってしまうのは問題があるだろう.また単に「自称ハッカー」は自称だからまずいというのであれば,自ら科学を称している言語学・心理学・社会学なども問題があることになるだろう.

6/3
 カズが代表から落ちてしまった.まあそうなりそうな感じは前からあったが寂しい限り.彼は日本代表をドーハまで連れていった功労者だった(同時にジョホールバルまで連れていった戦犯でもあったけれども).とにかくここ数年の最大の功労者だったろう.しかし勝負は勝負.しかたがない.
 でもってこのニュースはCNNでも取り扱われていた.ロマーリオのブラジル代表からの落選のついで程度だったけれども.

 オランダは攻撃的だ.先日のパラグアイ戦を(前半だけ)見たのだが,日本がせめあぐねていたあのパラグアイから前半15〜30分の15分間だけで3点入れていた(後半さらに2点追加したらしい).フォーメーションは報道によると4-4-2らしいが,実際は左MFのオフェルマスがかなり前がかりで(AJAX風の)3-4-3のように見えた.でその前線の3,4人が左右に開いてボールを右に左に振るのである.そこで敵のディフェンスが横に広がって薄くなったところから突破していく.「これぞ3-4-3」という感じの攻撃であった.


(C)1998
ISHIDA Tsubasa <tbs-i@cpsy.is.tohoku.ac.jp>
All right reserved.