スティーブン・J・グールド著,鈴木善次・森脇靖子訳.河出書房新社.1998年
「嘘には『嘘』,『真っ赤な嘘』,『統計学』がある」
この『人間の測りまちがい』という本は,知能テストに関する本である.端的に述べれば,知能テストを開発してきた研究者達や知能に関して述べてきた研究者達が,いかに本人自身も気がつかないうちに欺瞞を行っていたかについて述べた本である.
ちなみにこの本は,最初は1981年にアメリカで発売され,その後1989年には日本語訳が発売された.その後アメリカではペーパーバックとなり広く流通していたが,日本では永らく絶版になっていた(これが文化大国日本なのだよ).
が,1996年にアメリカで改訂版が出たのをきっかけに,今回1998年にそれを元にした改訳版が発売されたのである. なぜ著者のグールドが15年後に改訂版を出したのかについては,本人が序でとうとうと述べている.それによると直接的な理由は"The Bell Curve"という本が1994年にアメリカで出版されたことだ.そういえばこの本が出版されたころ,Netnewsのsci.psychologyのgroupはこの本の内容についての議論で溢れかえっており,そこにあふれるsubject内の"Bell curve"の文字に辟易した記憶がある.
で,この"The Bell Curve"という本は私は読んでいないのだが,この『人間の測りまちがい』収録の「ベルカーブ批判」や,American Scientist誌に載っていたHunt (1995)を元に説明すると,要はアメリカの国民には二つのグループに分けられるという内容のようだ.その二つとは,知的で社会を動かす人々ちと,より知的でなく動かされる人々だという(つまり知性は数値化可能で明確な大小関係があると考えているわけだ).現代社会が技術の上に成り立っている以上,知性と社会の中での成功は相関があると考えるべきだというのだ.さらに,知性というのは大部分は遺伝によるもので生涯変わらないため,この二群の分割は世代が変わっても変わらない.したがって政府の行っている社会的弱者救済政策は意味がないと主張しているのである.
グールドのこの本は,"The Bell Curve"の後者の主張,つまり「知性というのは大部分は遺伝によるもの」と言う主張に反対する内容である(ちなみにHunt (1995)は,主に前者の「知性と社会の中での成功は相関があると考えるべき」に関する内容である論文である).グールド本人も序文に書いているが,1994年に出た本への反論が既に1981年に出版された本に書いてあるということは皮肉である.しかしそれだけ繰り返されてきた主張なのである.
グールドがこの本で批判し,"The Bell Curve"において繰り返されている誤謬は以下のようなものがある.分析手法に関するものから研究者の態度に関するものまで様々なレベルにわたっているが,順不同で挙げる.
1番目は良く見られる誤謬である.つまりある数値が増えると別な数値が同じように増える(あるいは逆の方向に減る)という関係が見られた場合,片方が原因でもう片方が結果であると結論してしまう考え方である.それが正しい場合もあるが,必ずしも常にそうとは限らない.国際的なサトウキビの相場とイタリアの靴職人の平均所得には相関がある.だからと言って,そのどちらかが結果でもう一方が原因というわけでは全くないのはわかるだろう.どちらも全世界的なインフレ傾向という,隠れた真の原因の元に生じているのである.そのような間違った結論を出さないように,相関関係→因果関係の推論は慎重に行わなければならない.これは良く知られたことである.だからこそ,経験を積んだ研究者がそのような誤謬をおかしてしまうのは許されることではない.
2番目と3番目は,一般知能gと呼ばれるものに関する議論に関係する.そのことは節を改めて述べる.
4番目の考え方は,「科学というのは中立な姿勢でなければならない」という古い考え方を持っている人にとっては理解しがたいと思う.しかし研究者が,自ら研究しようと思うような問題に対して,なにも信条を持っていないとは考えられない.逆になにかしらの強い信条を持っていると考えるの自然であろう.そもそも「中立」な立場とはどのような立場なのか明確ではない場合も多い.そのような状況では,ただの人間に過ぎない研究者に「中立の立場」を保つのは過剰な期待である.それは結局,自分の信条をあたかも客観的な結果であるかのように提出してしまうという事態を生み出すだけである.そのような例は,歴史の中にいくつもある.そこで,逆に自分の持っている信条を明確にしておいて,読者の判断に任せた方がよいというのがグールドの姿勢である.そしてそれは現代の主流な考え方なのであることも書き添えておく.
5番目も節を改めて述べる.
この本の論点の一つに,一般知能gは実在するものかどうか,というものがある.一般に,ある知的能力(と思われるもの)のテストでよい点を取る人は,別の種類の知的能力をはかるテストでも良い点を取る傾向にある.これは直感としてわかるだろう.そうすると知的能力の種類に関わらない,一般的な「知能」と呼びうるものを想定できることになる.これをスピアマンは一般知能gと呼んだ.これはいくつかのテストを行った上で,その結果から因子分析という統計的手法によって数学的に抽出しうる.ではこのgは,数学的に構成された実在しない概念に過ぎないのか,それともなにか(脳の中にでも)実在するものに対応しうるものか,というのが論点なのである.後者の立場においては,知能gは,測定可能で大小関係を明確につけられることになる.すなわち頭の良し悪しが客観的に決定できるわけだ.グールドは前者の立場に立っており,後者の立場に立つバートやスピアマンなどの先人を批判している.しかしここら辺の話は,現在でも心理学内で議論の続いているところである.
この問題に関して最近,ロンドン大学のPlominとコロラド大学のDeFriesのグループが,gに関わる遺伝子を発見したという話がある(Plomin & DeFries, 1998の欄外コラム「個別の認知能力が一般知能とどう関係するのか」参照).これはグールドの立場への反証となり得るが,もちろん時期的にこの本では触れられていない.これはまさしくgの実在性への証拠となるわけだ.ただ,私はこのような遺伝子研究の手法の信頼性については全く疎いので,この「発見」とやらがどの程度信用できるのかは評価できない.こういう生き馬の目をくりぬくような分野では勇み足も多いし,こういう一般向けの啓蒙論文(このコラムはPlominら本人ではなく,カレン・ライトなるフリーライターによるものである)でははしょりや誇張があるものだから.特に遺伝子に関する研究では勇み足は多い.
また,上述の因子分析法そのものについてもグールドは批判を行っているが,その批判への批判もある.あるデータからは,解法(直交解か斜交解か)や因子の数および回転の種類によって様々な解を導出しうる.そしてある解ではgが観察されるが,別の解ではgは見いだされないということも十分ありうるのだ.グールドは,そのどの解が適切かを判断する基準がないので,因子分析によってgの存在を示すというやり方は問題があるという指摘を行っている(第六章).このことによって,gは数学的構成概念に過ぎないと話を展開させているのである.しかし,Jreskog(rはウムラウトがつく)らが1970年代に開発した共分散構造分析によって,因子分析の解のデータへの適合性をはかれるのである.ということで現在ではグールドのこの批判は現在では有効になり得ない(Hunt, 1995).
ちなみに,この共分散構造分析やその他の比較的新しい手法によると,知能は3因子に分類されることという.流動性知能fluid intelligence(言わば柔軟性.初めて出会った問題を解決する能力)と結晶性知能crystallized intelligence(言わば応用性.これまで得た,文化的なものも含めた知識などを適切な場面で利用する能力)と視空間推論visual-spatial reasoning(視覚イメージやその位置関係を扱う能力)の3つである(Hunt, 1995).これは知能は一つに集約されるという考え方を否定する結果である.流動性知能と結晶性知能は,年齢によって変化する方向が一致しないことも,これらは異なるものであることを示唆している.
この本ではグループ内の差異とグループ間の差異,つまり個人差と(例えば)白人の平均と黒人の平均の差を同じように扱うことがまちがいであると再三述べている.先に上げた5つ目の指摘である.
これはある程度統計学を知らないと理解しにくい.知能検査などでは,ある個人の得点が平均からどれくらい離れているかの単位として,標準偏差を用いる.標準偏差とはデータのばらつきを表す指標である.平たい説明をするならば,例えば100点満点のテストをうけ,あるクラスの平均が60点だった場合を考えよう.そこで70点取った人物を評価するとして,そのクラスの最低が50点で最大が70点の場合と,最低が20点で最大が90点の場合では,同じ70点でも同じ評価はできない.そこで,点数そのものではなく,この点数のばらつき(=標準偏差)を基準にした点数を算出して評価しようというのである.いわゆる偏差値も,この標準偏差を元にしている(念のため書いておくが,標準偏差は最大値・最小値だけから算出されるわけではない).
で,この標準偏差は当然グループごとに異なる.つまり同じ得点を取ったとしても,属するグループによって異なる位置にあるわけである.それを考えると,ヘーンシュタインらが行っているような,異なるグループの平均の差を云々することは根本的に意味がないことが分かる.先述の例で言えば,最低20点で最大90点のクラスの平均が60点で,最低50点最大70点のクラスが65点だったと言うような場合に,その平均の差5点から後者のクラスの方が成績がよいと結論づけるようなものである.
今回の改定を機に訳文も修正したらしいが,それにしては訳が悪い.元の文章を知らないので具体的にどう間違っているかは示せないが,文脈から見てどう見ても意味の通らない文章がいくつかある.それに文章自体も読みにくい.前者の変な文章の例をいくつか挙げると
引用部分だけ読んでも文脈がわからず理解できないだろうが,本文中にあっても同じくらい唐突で文脈がわからないのである.これでも改訳しているということは,古い方はもっとひどかったのだろうか.これは微妙な誤訳とかいうものではなく,そもそも日本語になっていないのだから誤訳以前の問題である.これだけの大部(翻訳で600ページ弱ある)を翻訳する苦労はわかるが,もうちょっとどうにかならないだろうか.
この本でグールドは,自分の統計的知識が知能検査についての誤解釈を指摘するのに役立っているということを明記しており,そして内容も実際そうである.しかし訳者があまりその辺の知識がなさそうな印象を受ける.例えばp.388に「大部分の知恵遅れの子は標準偏差が平均(70〜85)より1〜2低く」という文章がある.初歩の統計学を知っていればわかるだろうが,全く意味不明.標準偏差を平均と比べてなにか意味があるのだろうか?
ちなみに言葉通りに受け取ると,平均が70〜85で標準偏差が68〜84となる.これは精度が悪く,ほとんど意味のないデータといっても過言ではない.もう一回同じ調査をしてデータを採った場合,その平均は95%の確率で最悪見積もって-94.64〜249.64の範囲内になるのである.プラマイ約350の信頼性なのである.それくらい安定性のないデータということになるのだ:-).
第六章では,因子分析について述べられている.私自身はある程度のこの手法を知っているのでそれほど苦労しなかったが,知らない人は果たして理解で来ていたのか気になる.これは説明の文章が回りくどいせいで,その回りくどさはおそらく翻訳者もよく因子分析を理解しなかったからじゃないかと邪推させてしまう.p.427では「もしテストが正の相関を示すならば,すべてのベクトルは,どの二つも90度よりも大きい角で分けられないまとまりを形成しなければならない」という文章がある.これはおそらく「どの二つのベクトルも90度よりも狭い角をなしてまとまっているため,ベクトルをグループ分けするにしても,それらグループ内の平均のベクトルがなす角度は90度よりも大きくなる」ということを意味したいのだろう.原文がどうなっているかわからないが,因子分析の知識があれば(というか,ベクトル空間を頭の中で想像できる技能),もうちょっと違う文章になったんじゃないだろうか.
とか書いたらば,よそでも同じようなことが言われている.ここの2/12の分のところとか,ここの2/15以降のコメントとか.どうも旧版は,誤訳チェックで有名な別宮貞徳の俎上に乗せられていたらしい.まあこれだけひどければ誰でも一言言いたくなるだろう.
グールドが述べているが,世の中の知能と言うか人間の能力に対する考え方は,二つの両極を行ったり来たりしている.その両極とは,知能は遺伝による,と言うものと環境によるものという二つである.実際のところ多くの研究者は,知能は両方の影響の混合物であるということで一致しているのだが,大概の一般的態度の例に漏れず,「どっちだ」という話になってしまうのである.
で私の感じでは,ここ最近は遺伝が重要視されるようになっていると感じる.学校では知能検査の実施は少なくなっているらしいが(大六,1999),例えばJRAの競馬のキムタクのCMでは,社長の息子というだけで社長の座を継ぐことを肯定するかのような内容である(これは競走馬の血統重視についてのCMである.ちょっと前なら,それをそのまま人間にあてはめるようなCMは出てこなかったと思う).あるいはクローン羊ドリーが出現し,人間のクローンの可能性が取りざたされたときに「第2のヒトラーが!」みたいな論調が頻出したのも,遺伝重視な態度の現れではないだろうか.
ヒトラーと同じ遺伝子を持っていても,ヒトラーと同じ環境に育たないとヒトラーと同じ人間になるわけはない.ある程度は似るだろうが,それがどの程度かはわからない.
その論調自体を問題にするのは多少無理があるが,クローンの可能性は,人々に遺伝を重要視させるきっかけにはなっただろう.
アメリカでの"The Bell Curve"の出版も,その時代の流れを示す一つであろう.そういう状況での改訂版出版は良いタイミングだったと思う.ちなみに,上記のような遺伝論者が台頭してきたのは,メンデルの成果が評価され,遺伝学が起こり始めたころであった.