Last modified: Sat, 10/18/2003 22:53

『検証・カンボジア大虐殺』

本多 勝一著、朝日文庫 第5刷(1999/6/1)

 本多氏の以前の著作『カンボジアはどうなっているのか』と、『カンボジアの旅』のカンボジア関係の文章を一冊にまとめた本だ。

 まずは凡例として彼独特(らしい、他の彼の著作を読んだことないんで)の表記法の但し書きがある。これが非常にうっとうしい。可読性よりも自分のポリシーを優先するあたり、なんとなく非互換路線を貫いて滅びてしまったNEC PC-98x1シリーズを思い出させるのだ。
  また、この凡例では、桁の多いアラビア数字のコンマを、3桁毎つけるか(1,000,000のように)4桁毎につけるか(100,0000のように)という流儀を、それぞれ3進法・4進法と呼んでいる。それは全然違うでしょ。n進法ってのは数値がnに達したら桁が上がるという数の表記法の事であり、数学の専門用語。カンマの付け方のことではない。こう言う専門用語を、意図的か単なる勘違いかわからないが、独善的に使うやり方も非常に気に触るのである。

 肝心の内容については、非常に複雑な感想を抱かせる本だ。とは言え、本の内容としては単純で、1970年代後半、ポルポト時代・以後ののカンボジアのルポが収められている。まず前半は、主にベトナム側からの取材によってカンボジアの状況を描いている。ベトナムとカンボジアの国境紛争状況、カンボジアからの難民からの聞き取られたカンボジア内での虐殺の様子、そしてカンボジア軍がベトナムに攻め入って行ったハチエン虐殺のルポが書かれている。特に最後のものは生々しい。この本の一つの「やま」である。ちょうど著者が取材中に生じた虐殺なため、発生数日後の生々しい状況を取材を行うことが出来たのだという。2ch風に言うと「グロ画像あり」な虐殺風景の写真が載せられている。撲殺され、刺殺され腸が飛び出た死体がごろごろ。女性は漏れなく局部に棒を突っ込まれている。子供は足を持って地面に叩きつけるときたもんだ。

 後半はポルポト追放後のカンボジア各地で行った聞き取り調査がメイン。ポルポト政権下のカンボジアの状況に関しては、日本語以外のルポはいくつかあったようだが、日本語初の詳細なレポ(詳細じゃなかったり欧米経由の報道はけっこうあったらしい)とされているものである。カンボジア国内でかなりの人数から聞き取り調査を行い、彼らの一族郎党の生死を調べている。多いと死亡率は9割以上に及ぶという(虐殺・衰弱死・餓死・病死などを含めた死亡率)。もちろん調査の性質上、一族郎党全滅という例は調査できないが、そういう事例も少なくなさそうなことは明らかだ。カンボジア全体だと50%くらいだと言われているらしい。つまりカンボジアの人口はこの1970年代後半だけで半分に減ってしまったのである(2003/10/18追記。他の資料だと20%減少となっている)。
 聞いた話では、このためある民俗舞踊の一派がなくなってしまったそうな。知っている人が全員死んでしまったのである。文化をなくすなんて容易いことなのだなあ。

 ところで、この本には至る所で、このカンボジア虐殺を否定した人々に対する厳しい批判の文句が出てくる。
 曰く、

『虐殺はウソだ』と、根拠もなく叫んでいる幼稚な段階の方たち(p.420)

事実に立脚しないジャーナリストや学者や評論家や政治家がどれほど多いか、それがどんなに空しいものかを、南京大虐殺をめぐる論争とともに、これもまた証明する典型的事件となりました。単に『空しい』だけであればまだしも、虚偽をもとに危険な方向に世論を導くのですから放置するわけにもゆかず、こんな調査報道もやらざるをえなかったのです。(p.450)

 まあこんな虐殺を(主にイデオロギー的理由から)否定するなんてされれば、この程度の(罵倒とも言える)批判はそれほど不当でもないように感じるが、実は私が「複雑な感情を抱」くのは、この批判的姿勢こそが理由である。

 と言うのはまず、本多氏は実はこれらのルポを出版する前は、その、本人が批判しているような、カンボジア虐殺否定派と受け取れる言論活動を行っていたからである。まあでもそういうことはままあるのでそれはいい。最終的にはこう言うルポできっちり片つけたわけだし。
 しかし、最近広く知られつつあるのだが、本多氏は以前の自分の文章、特にカンボジア虐殺に否定的な文章や共産主義に肯定的な文章を、その旨断りなしに中立的な意見に書き換えていたり、そういう文章をそもそも公にならないようにしていたりするのだ。この本に関しても、冒頭で『カンボジアはどうなっているのか』の一部と『カンボジアの旅』をまとめた本と書いたが、実はその割愛された部分には、かなりカンボジアよりのルポも含まれるらしい(もちろん割愛された部分にそういう傾向のものも含まれているということの断りはない)。態度を変えるのは別にかまわないが、それを断りなしに、しかも過去の自分の文章まで変えてしまうのはジャーナリストとしてはあり得ない行動である。それでは『1984年』の真理省ではないか!
  これについては本多勝一研究会のページに詳しい(特に重要著作・文献の解題の「カンボジア虐殺否定問題」参照。またこの本についての解題もあるので参照。ちなみにこの書き換えを「良心的」と讃える一派も世の中にはいるらしいので、リンク集から色々たどってみるといい)。

 それを知っているので、「幼稚な段階の方たち」などと書かれても「お前が言うかクラッーーシュ」((c)三枝)と言う感想しか出てこないのである。そんなわけでどうも本の主題である虐殺そのものに対する怒りを素直に燃やすことが出来ず、複雑な印象になってしまう。逆に何も知らない「うぶ」な高校生くらいが読むのにちょうどいい本なのかもしれない。まあそもそも本多氏の本の対象ってそんなもんなんだろうけど。

 ま、そうでなくともイデオロギー的なものに由来すると思われる妙な偏りは見られる。気になったものは、わざわざこの虐殺の「最大の遠因」として、アメリカのカンボジア侵攻とロン・ノル政権への援助を指摘している(p.378)。「最大の遠因」と言う言い方がまず妙で、原因としてはさほど影響力が大きくないものを「遠因」と呼ぶのだから、それを「最大」と形容するのは不自然な感がある。そうまでしてアメリカの責任があることを強調したいのだろうと邪推させるに十分な不自然さである。
 それに続く文章では「中国の文革(いわゆる「四人組」的思考)が強く影響・増幅した」(p.380)「文革の中国が強力に武器援助すればどうなるか」(p.382)とあるので、普通に読めば「最大の近因」は文革中国の援助ということになる(し実際の巷のコンセンサスもその様な)のだが、それについてはあまり強調されない。「最大の遠因」云々の前にまず「最大の近因」について論評していただけるとよかったのだが。もちろんアメリカの行動が遠因であることはまず明らかではあるが、論じる・問題にする優先順位というものも当然あるはずだ。

 総じて言えば、本全体のテーマとしては、「自己無謬を維持するために人は何をするのか」と言うことを考えながら読むといいんじゃないだろうか。ポル・ポト然り著者然り。
 本多氏はマスコミ人で、それゆえ世論の動向に敏感である。そしてその動向に従い自分の態度も変え、自分の過去の文章すらも変える。だから、世論がカンボジア虐殺否定に傾いた場合(南京大虐殺が否定できるんだったらこれだって否定できるさ)、この本の内容は変わってしまうかもしれない。虐殺肯定の内容であるうちに買わねばならない本じゃないだろうか。

 以下余談。

 ちなみに、本多氏と同様のレトリック、つまりアメリカの軍事介入がカンボジアの状況の原因であると言い切る、というやり方はチョムスキーも使っているらしい(それに対する、その文章の翻訳者である山形浩生氏のコメント)。「特別なアナクロニズム的」レトリックなのだろう。

 本文内でも書いたとおり、この虐殺の「最大の近因」は文革中国の援助であることは広くコンセンサスとなっているようだ。しかし、実はポルポトに協力していた中国の人脈は文革派ではなく、ほとんどが周恩来人脈だったと井川一久氏(この本の解説も書いている元朝日新聞カンボジア特派員)が述べている。
 これが事実ならば大変面白い。がしかし残念ながら中国側は存命の関係者または影響のある関係者が多すぎるため、まともな研究は出来ないだろうが。ポルポト側の関係者はほとんど死んでいるし。

 このカンボジア虐殺についての研究がアウシュビッツの虐殺についての研究ほど盛んに行われていないのは、人種差別のせいではないかと本多氏は述べている(p.379)が、例えば(1994年になってからではあるが)Yale大学でCambodian Genocide Programが設置されていることは、ここで触れておいた方がいいだろう。

 日本は虐殺が明るみになっても、だいぶ後までポル・ポト派を支持していた様だ。それは中国がポル・ポト派を支持していたからなのだろう。昨今問題なっている外務省の「チャイナスクール」の害はこの辺りから表れているのではないだろうか? この辺りも研究を要するところではないか?
 ただ、彼らの名誉のためにも触れておくが、一応ポル・ポト以後のカンボジア周辺安定のために色々(それなりに有効な)手立てを取ってたりもしたけどね。東京に各派閥のリーダー呼んで会議開いたりしなかったっけ?
 まあ後でカンボジアの総選挙の実施のためのPKO派遣でまた揉めるんだけど。以前ポルポトを支持していたような人達がPKOに反対していたのは味わい深い。左翼=進歩派=人権派(微妙に違うだろうけどここではまとめておく)はなんでこんなになっちゃうんだろ。


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ISHIDA Tsubasa <tbs-i@mtg.biglobe.ne.jp>