一那くんのお話 (2004年12月、掲示板にご投稿いただいたものです)
(昨日初めて我が家でインターネットが使えるようになったので、1番最初に「18トリソミー」について
調べていてここのたどり着きました。初めてなので文章などおかしなところがあるかもしれませんが
読んでいただけたらうれしいです。)


 妊娠中わたしは、切迫流産と切迫早産の為4回の入院(計4ヶ月)をしました。4回目の入院
中、予定日よりも1ヵ月半早い頃、おなかの張りがどんどん強くなり、そしてだんだん痛みがつい
てきました。それまでも、おなかの張りは強かったけどその日の張りはいつもとは違い「これは
陣痛では・・・」と不安になり看護婦さんに何度も訴えましたが「もう少し様子を見よう」という
ばかりで張り止めの注射を4回打たれ診察もしてくれません。そして、強い張りを感じてから
4時間後、わたしの予感は的中しついに破水してしまいました。わたしの赤ちゃんは33週なの
にもかかわらず1200gしかありませんでした。nicuのない病院だったので転院先を探しました
が、夜中だった為受け入れ先が見つからず9時間待たされてやっと転院することができました。
赤ちゃんは小さかったけど現代の医療をもってすれば元気に生まれてくるだろうと思っていた
私は陣痛に耐えながらも、もうすぐ赤ちゃんに会えることを楽しみにしていました。
転院先の病院に着きすぐに診察。何人かの先生が入れ替わり立ち代り来てエコーを見ながら
専門用語を使って話していました。のんきなわたしは「大きな病院だから診察が丁寧なのかな
?」と考えていました。診察が始まってから3時間後にようやく張り止めの点滴を抜きました。
しかし、約2ヶ月張り止めの点滴(ウテメリン)を打っていたので痛みは来ているのに赤ちゃんが
おりてこず、さいごの3時間は間隔のない陣痛に苦しみました。子宮口を広げる注射を2ほん
打った後、やっと分娩室に移動しそこからはお医者さんにおなかを押され15分のスピード出産
でした。
 しかし、ぬるっと出てきた赤ちゃんの泣き声が聞こえません。「どうして・・・」と思いながらも
何も声に出すこともできないまま赤ちゃんは連れて行かれました。処置が終わり旦那とわたし
の母が入ってきましたが、それでもわたしは何も話すことができませんでした。
数分後、看護婦さんが来て「先生からお話があるのでご主人に来ていただきたいのですが・・
・」と・・・。(いやな予感が的中か・・・。)母と二人きりになりやはりまだ何も話せずにいると母が
「なんでそんな顔してるの」と笑顔で話しかけてきました。わたしがようやく「赤ちゃん、泣かな
かった・・・。」というとまた笑って「大丈夫。心配しないの。おめでとう、頑張ったね。」といって
くれました。でもわたしはずっとドアを見つめていました。それから10分後旦那が戻ってきまし
た。顔を見ると泣いています。「赤ちゃん、心臓に大きな穴が開いてて・・・」旦那は泣いていて
何を言っているかよくわからないけど、伝えたいことは十分わかりました。すぐに、車椅子で
nicuへ行き初めての対面。そこにはいろいろな機械をつけられた小さな赤ちゃんが心臓マッサ
ージをうけていました。それまで、出なかった涙が一気に出てきて赤ちゃんの顔がよく見えませ
ん。先生から説明を受けましたがその言葉は、まったく覚えていません。最後に「赤ちゃんの
機械をはずしてもいいですか?」と。「お願いします」といい赤ちゃんは天国へと旅たって行きま
した。まだ、温かい赤ちゃんを抱いて車椅子で病室へと戻りました。赤ちゃんと一緒にベッドで
寝ているとまるでただ眠っているだけのような気がします。わたしは、この子の前ではできるだけ
笑顔でいようと決めそこからは短い家族水入らずの時間を過ごしました。
名前は旦那が決めてくれて「一那(かずな)」となりました。

 次の日改めて聞いたかずなの病名は「18トリソミー」でした。初めて聞いた病名でした。 
 転院してきて診察を受けたときに、心臓の穴を見つけそのため診察に時間がかかったようでし
た。転院先の先生はなぜこんなに小さいのにいままで精密検査をしなかったのかと少し怒って
いました。
 後でわかったことですが私以外の家族は、診察の後にかずなの病気のことを聞き知っていた
そうです。18トリソミーのいろいろなサイトを見てみてほとんどの人が生まれる前に告知されて
いたようですがわたしは知らなくてよかったかも・・・という気もします。もし生まれてくる前に知っ
ていたら頑張れなかったかも・・・。実際陣痛に苦しんでいるわたしを見て泣いていたわたしの
父、見ていられず陣痛室から出て行った旦那。
 そして、インターネットで調べて妊娠中に羊水が多いといわれていたこと・体の割りに頭が大き
かった理由がわかりました。長い間入院していた病院の先生はなぜ病気を疑わなかったのだろ
う?怠慢を感じます。
 わたしたち夫婦は「できちゃった結婚」でした。5年も付き合っていたのに結婚の話がまったく
出てこなかったわたしたちのためにかずなが生まれてくれたのかもしれません。

 今頃かずなは、お空の上でなにをしているのかな・・・?かずながパパとママの所に来てくれて
とってもうれしかったよ。ありがとう。お空からパパとママのことを見ていてね。

 長々と読んでくださってありがとうございました。


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