099:ラッカー −A smile of a machine doll 8−
あなたをわたしだけのものに
それが叶わぬのならば、貴方を塗りつぶしてしまいたい
誰にも、その姿を見られないように
わたしのものにするために
昨日、とある大きな街で1人の男が死体で発見される。
それは、有名な人間ではなく。ただの、普通の男の死体だった。
しかし、その男の死は世間の話題となる。
それは、本当に普通の男の死だったにも関わらず。
その理由2つ。
1つ、男の死体は真っ黒なラッカーで塗りつぶされその塗料が落とされなければ、その死体が誰なのか判らなかったこと。
これだけでも世間の注目を浴びるには十二分である。え?普通の男の死体と言ったのにそれでは普通の男ではないではないか。いやいや、普通の男、の死だからそれで合っているのだよ。ああ、余計なお喋りが過ぎたようだ、だからカミサンにもいつも怒られるのだ。
そうそう、死体が真っ黒に塗りつぶされていた話だったね。そう、最初に発見した警察が見た話では暗い部屋に真っ黒な男の死体。最初は何処にあるのかを探すのに苦労したらしいよ。それも、その部屋には電灯というものが全て壊されていた状態だったからね。
そこには真っ黒なもの、がそこにあった。
それだけでも十分だというのに、更に怖いのはもう1つの理由からであった。
そしてもう1つ。
男を殺して、真っ黒に塗りつぶしたのは機械人形だった。
そう、機械人形が男を殺したのだ、自分の主人たる男を。
機械人形が主人を殺した、それはこの世界においては【ありえないこと】なのである。
そもそも機械人形は【ウィル】と呼ばれ、人間の役に立つ機械人形としてこの世界中に瞬く間に広がったものである。その詳しい製法は人形屍生師と呼ばれる人形を作る人間の間だけの秘法とまで呼ばれるものであって、一般市民は【ウィル】の存在を知り、身近に存在するにしろ詳細を知らされることは余りない。普通の人間が知っていることは【ウィル】は機械人形であり、人間には決して逆らわない存在。人間にははむかうことの出来ない存在であることが主だ。
機械人形は人を傷つけることが出来ない存在としてあるのだ。
裏では人形のその本能ともいえる部分を削り取った人形も存在しないとは言わないが、それは表の、人間の社会の中には存在しない物である。
ああ、また余計なお喋りが過ぎたようだな、つまり…
だからこそ、機械人形が主人たる男を殺したことを世間に公表するわけにはいかなかった。
これが世間に知れれば、機械人形が廃止の方向に進むことは言葉にしなくても明らかな事態である。それを恐れた関係者の面々は、あらゆる手段を使ってこの事件をを世間から隠蔽することを皆で決めたんだ。その一方、俺の属する【組織】に事実の判明を依頼し、私はそのためにこんな仕事をする羽目になった。
まあ奴らも多分、知りたかったのであろう。
人間に忠誠を尽す筈の人形が、何故こんな行動に出たのか。
機械人形は人間に尽す存在。
それが人間の絶対的なエゴだとは考えていても、それを信じなければ人間の存在など根底から
崩れ去っていくことは間違いないのだから、それを信じなければならない。
そして俺も明日の飯の種の為にこんな仕事をしてなければならないんだ。
俺がその現場に駆けつけたちょっとした知り合いから聞いた話だ。
そいつは言っていたよ、最初は人形1人だと思ったとな。真っ暗な闇の中に真っ黒な男。まさかそこに人が居るなんて思いもしなかったし、人形にだけ目がいってしまって男が居るなんて思いもしなかったと。しかし、直ぐに明かりをつけて人形を見れば、そこに何か黒い物体が倒れているのに気が付いた。その物体が人間の成れの果てだということに気がつくのに僅かの時間を要したらしい。
それにそれはもう人間としての外見を成していなかったのだから気が付くのが遅れたからといって誰もそいつを責めることも出来なかったとな。その点については俺も同感だ。そして、それが人間だと気がついたとき、そいつはようやく声を発することが出来たとも言っていた。まさか誰もがそれが人形の仕業とは思いたくなかっただろうに、その中の1人が見てしまったんだ。人形の右手には黒のラッカースプレー…つまりは市販で売られているスプレーペンキが握られてあって、人形の両手と洋服は黒く汚れていたそうだとさ。
いくら機械人形とはいえ、現在市場に出回る【ウィル】という機械人形の外見は人間と瓜二つで、大体が10代前半から20代ぐらいまでの少女の姿をしていることが多い。しかもその基準はかなり世間でいうところの美少女、美少年であることが多い。大体誰もが自分より醜い奴よりも綺麗な奴を側に置いておきたいって心理だろうな。俺だって恋人やカミサンにするなら
綺麗なおネーチャンの方がいいものな。ああ、ちなみに俺のカミサンだって美人だぞ…なんだよ、その疑いの眼差しは。
とにかく、その機械人形は主人を真っ黒に塗りつぶした後に何処にも連絡することも逃げることもなく、ただ、黙って男の側に座っていたそうだ。最初は強盗でも入って、人形は男が倒れている側に居るのだと誰もが思った。
警官の1人が、人形に訊ねたそうだ。お前の主人をこいうい姿にしたのは誰か見覚えがあるか、と。
そしてその問いに大して人形はこう答えた。
「私が・・・私がマスターを殺しました」
この発言に、最初は誰もが聞き間違いかともう一度聞き返す。
しかし、人形は壊れたスピーカーのような声でその言葉を繰り返すのであった。
警察も他に犯人の当てを捜す一方、人形の扱いに困り果てて俺たちの【組織】の方にこの人形を預ける羽目となった。機械人形のメモリーならこの事件の真相を分かるのでは無いかと。
そして、その厄介ごとともいえるケースの担当となったのが俺、という訳である。
まだ俺がベットの中で久し振りの睡眠を貪っている間にそのケースに取り掛かるよう上の方から依頼があった。他のメンバーは別のケースを担当しており、俺以外に空いている人間がいなかったというのが一番の原因だったろうが何もこんな厄介ごとは回されたくは無かった。まったく突然の呼び出しにはカミサンも俺もなれているとはいえあの日は俺たちの結婚記念日だったんだぞ。あとでどうやって機嫌をとればいいんだ、クソ。
え、俺の話はいいからその事件はどうなったんだって?ああ、あんたもう少し余裕がないと駄目だなあ…あ、怒るな怒るな。
あー、何だ。俺はそのままベットから職場に駆け込んでその人形と警察からの資料を渡されて人形の記憶を映像化する作業に取り掛かった。機械人形の中には【ゲデヒトニス】という記憶媒体が存在しており、それはかなり精度の高いメカニズムであり、これが機械人形の記憶中枢といっても過言ではない。そしてその【ゲデヒトニス】から記憶を探し出し、音声・映像化することが可能である。それによって過去に何度か未解決事件の解決に導く功績があったからだ。
今回も警察はそれを期待していたのであろう。
しかし、警察立会いの元で見つけられたその記憶は我々に相当な衝撃を与えるものであった。
警察から入手した資料について話をしよう。
まず、殺された男についてだ。流石に真っ黒になった男の正体など直ぐには出てこないと思ったが、予想よりも早く情報が集まった。まあ、これは名前などは公開できないので【男】としておこう。この男は資産家の1人息子として生まれ、本人も真面目に働いていたのはいいが商才が無かったのか何の仕事をしても直ぐに駄目になってしまうという。男は仕方なく親の遺産で今は食いつないでいるようなものであった。そしてあの機械人形は親が生きていた頃に手に入れた代物で、男の両親が亡くなって以来男の元で家事手伝いとして使われていたそうだ。勿論機械人形は高価なものであったが、それでも男はその人形を不思議と手放すことはなかったそうだ。
その男にも、何を考えたか惚れた女が出来て、もうすぐ結婚間近となっていた。しかし、既に親の遺産は食い潰し二人には生活の糧が殆ど無かった。その惚れた女も一応仕事はしていたらしいが、大した収入は存在しなかったらしい。
そして、いよいよ二人の生活の為に人形を売ることとなった。
人形は思いのほか高価に買い取られ、しばらくは生活できる程度にはなったらしい。
そして、この事件は男の結婚前夜に起こったのであった。
そして、俺たちが見た人形の記憶【ゲデヒトニス】のデータの内容は驚愕に値するものだった。
男が人形の方を振り向いて大声でわめく。
俺が知っている男は写真と、あの真っ黒になった姿だけだから実際こうしてみるのは始めてである。どう形容していいか迷うものの、普通の男、という印象が残る。親の資産を食い潰した道楽者の姿も垣間見えるものの、それほど酷いというわけではないようである。
しかし、男の表情は何処か半分泣き、そして恐怖に襲われていた。
「何故・・・お前がここに居る!?」
「お前を売り払ったことを恨んでいるのか!?」
「お前なんて人形、もう必要ない!」
「お前なんて・・・いらないんだよ!!」
男が大声で叫び、人形を外に出そうとしたその瞬間だった。
鈍い音が響き渡り、男の姿は記憶の映像から瞬時に消え去ってしまう。
そして、再び人形の記憶に映った男の姿は、最早生者のものではなかった。
俺の目には、それは人形のように映し出される。人形の視点から見ているからであろう、男の
顔が段々と近付いて映し出される。一緒に見ていた警官たちの中には顔を手で押さえているも
のも現れていた。
人形の視線が、男から部屋の中にゆっくりと映し出されていく。お世辞にも綺麗とは言えない
その部屋は散らかり男の生活が垣間見える。そして人形の視界に入った物があった。
ずるすると、引きずるような音がして人形の視界が動いていく。
そして、ラッカースプレーを掴むとスプレーを吹き付ける音だけが部屋中に響いていた。醜かった男の表情も、男だった肉体の全てが真っ黒に染め上げられていく。俺は、ただその作業をじっと見ていた。
一通り、作業を終えた人形は、真っ黒になった男を抱きしめて、そして再びラッカースプレーを吹き付ける。そして、何処に行くまでも無く人形は男の側に居た。
最初にそれを発見したのは、男の婚約者だった。
女の甲高い悲鳴と…震える声、足音。
それが、彼女が警察に引き取られるまでの最後の記憶だった。
そんな映像を見せられて警官たちは真っ青になっていた。
俺だって真っ青になりたかったが、そうも言ってられなかった。この映像がどんなものであれ、俺は俺の仕事を果たしたまでである。さあ、仕事も終わったしこれからカミサンの機嫌を取らないといけないな。
ああ、俺の仕事?俺の仕事は何だって?
人形関連の仕事・・・と言っても、人形の記憶を見れる技術があるのは相当な人物だって…照れるな。え、そんな事言ってねえ?仕方ないな、アンタには教えてやろう。
俺の仕事はな・・・
単なる普通のサラリーマンだよ。
え、あ、ふざけるな!?俺は嘘は言って無いって…だから俺をぶん殴ろうと拳を握るのは止めてくれ…
結局、機械人形が起こしたあの事件の存在は世間には公開されることはなく。
通り魔を装った変質者が起こした事件ということで一応解決したことになっている。
それでいいのだ。
別に俺は人形の罪を暴こうとする訳でもないし、真実を明らかにしようだなんて青臭いことを言うつもりも無い。ただ、多分俺だけが気が付いたことが今でも頭の中に残っている。
あの時、人形が真っ黒になった男を抱きしめた時に聞こえたのだ。
人形は、微かに笑っていた。
真っ黒になった男を抱きしめて微笑っていたのだ。
幻聴と呼ばれればそうなのかもしれない。けれども、そのときの声が俺の何処かに残っているのは確かで。俺は機械人形にも感情って奴は存在するんじゃないかと、ガラにもなくそんなことを考えていたんだ。
機械人形【ウィル】関連第×××号事件
本件(第×××事件)は機械人形【ウィル】のシステムバグによる、人形の感情回路の誤作動によって発生したものと認められる。所有者が管理不行き届きと、本体の老朽化も一因と推測される。
本件の公開は一般市民に不安と不快を与える情報であり、極秘事項と決裁する。
尚、機械人形(第×××××号)は既に再調整されており、記憶の消去・修正が終了した後に再出荷されることが決定されている。
以上、別紙の資料に代えて本件の報告を終了する。
○○○国機械人形関連調査局 第3特殊調査部 調査職員
アートルム・ラルグス
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