098:墓碑銘



    絶対、お前がどうなったって泣くもんか。ああ、泣いてなんかやるもんか







    「もし、俺が死んだとしたらどうする?」


     僕の目の前で、淹れたての紅茶を飲みながら軍隊統率についての本を読んでいた彼が、ふと、僕にこう問いかけた。
     そのあまりにも突拍子のない質問に僕は一瞬、己の耳を疑った。

     トランの英雄、真の紋章の一つを持ち不老の存在と図らずもなってしまった目の前の彼は、眉一つ動かす無くまるで今晩の夕飯のメニューでも聞くような口調で僕にそんな質問をぶつけてくる。
     その一言で、僕は彼が死んだときのことを頭の中で一大シミュレーションしてみた。 

     多分、僕も僕の大事な友人も幼馴染も泣くだろう。ビクトールさんやフリックさんはそんな僕達に『泣くな』なんていいながらきっと泣いている。
     グレミオさんなんてそれこそ抜け殻になるだろうし、カスミさんていったっけ。彼女はそれでもずっと彼のことを思って生きていくに違いない。

     僕達だけじゃない、彼に関わった人たちは皆、彼のことを思ってそれぞれがそれなりに彼を偲び、その死を悲しむ。
     葬儀は多分ひっそりとやりたいが、英雄だった彼の死は大々的に行われるだろうか。いや、それを望まない彼は多分何処かでひっそりと葬儀をして欲しいという遺言を残してその通りに行われるであろう事は間違いない。多分彼はその死に顔は穏やかに微笑んで、その周りには彼の好きだった花が沢山供えられるはずだ。白い花が彼にはよく似合うだろう、華やか過ぎずそれこそ野に咲くような小さな花が彼の周りに集められるだろう。彼の隣には愛用の三節昆と釣竿が一緒に埋められるのは確実だ。そして彼の眠る棺は地中深く埋められ二度と彼の眠りを妨げられないように。
     弔いの鐘の音は何処までも、その青く澄んだ空に鳴り、響き渡る。彼の眠る地には時折ひっそりと何処かの誰かが花を供えるのだろう。

     彼の命日には何処からともなく人々が集まってきて彼の墓の前で酒盛りが繰り広げられる。最初の数年はビクトールさんが中心になったりするに違いない。そしてトラン建国数十年には勿論、彼の銅像が飾られていたりするのだ。そして彼の伝説はミルイヒさんによるあの誤った小説が後に伝えられてミルイヒさんと同時に彼は少年達の憧れとなる可能性もあるな。

     何はともあれ彼の死んだ後も、彼はそうやって人々の心に残り続けるのであろうと僕は考えている。そしてそんな彼の墓に刻まれた文字は…




     それが、僕の脳裏に一瞬にして浮かび上がった妄想だった。





    「何を脳裏で不吉なことを考えている!?」

     まさか、彼は僕の考えが読めるのだろうか。

    「あれ、もしかして判った?」

     僕は精一杯のかわいこぶりっ子で彼に向かって微笑みかける。

    「・・・キモイぞ」

    彼はそんな僕の様子に、呟くと大きな溜息をついてそれから、大笑いした。

    「まあいい。俺の墓に何と刻まれていたと思うんだ?」

     笑い声は一瞬にして真剣を思い出される切れ味の声色によって霧散した。僕は、それを言うのも少しだけ癪だったので、こう口を開く。



    「釣りバカ、ここに眠る」

     そう言って僕は思いっきり笑ってやった。本当のことなど教えてやりたくなかったから。彼は一瞬絶句したかのように見えたがめげた様子など見せないのが少し悔しい。勿論、数瞬後に彼から僕がきつい拳骨を貰ったのは頂けないが。

    「そんなもんだよ、人生ってな」

     その少しだけ寂しそうな声音に、僕もいずれ彼のような道をたどるのかそうでないのか全くわからない。けれど、彼にはそんなもんで十分だったんだろう。英雄だ何だって祭り上げられるのよりも、本当は彼自身として生きていければ十分だということでよかったのだろうと思う。それに、ひょっとしたら僕だって同じ事を考えていたに違いないし。

    「そーだよ。もしかしたら僕の墓には『ナナミアイスに死す』とか書かれたりして」

    「それはちょっと嫌だな」

    「っていうか書かれるの僕なんだけど」

    「それもそうだな」

     笑って、笑って、それで終わる。

     たまにはこういう妄想もしたいのだ。僕らの右手には不老と不死の呪いを持つ紋章がその姿を見せている。僕らは知っている人間が死に絶えてしまっても死ぬことは出来ないに違いない。だからこうして時々、そう時々下らないと思える妄想でも浮かばなければ長い人生など歩めない。
     だけど、僕は決めていることがただ一つ。彼が死んでも泣いてなどやらない、彼の為には泣いてやらない。笑って、そして送り出してやるのだ。『死』という安息を手に入れた彼を羨みながらそれでも泣いてなんてやらない。多分彼も同じであろうから。

    何もいらない、何も必要ない。





    −ただ、いつか訪れる『死』が限りなく優しいものであるように−










    2003/11/07 tarasuji
    (C)2003 Angelic Panda allright reserved



    戻る