090:イトーヨーカドー
私の母との思い出はいつもここにある
イトーヨーカドー
田舎の地方都市の中に唯一存在するデパートと呼ばれる場所はここだけだった。
車なんて持っていなかったから、バスで一時間以上かけて出かけるこの場所は私の
お気に入りの場所でもあった。イトーヨーカドーは、この周辺では少ない総合デパ
ートで、レストランから遊び場まで何でもある場所だった。
だから、買い物に行くと言えば私はよく母について行きたがったものである。私は
そこの6階にあるゲームコーナーにあった機関車の乗り物にのるのが大好きだった。
当時としては、お金を入れると実際に運転できる車の乗り物や機関車の乗り物があっ
て、私は行くと必ず乗せてもらっていた。単に円を一周するだけのものなのだが、
子供としては楽しいものである。母も私がねだると乗せてくれた。その後は、店内の
本屋によって、母が買い物をしている間に絵本や漫画を立ち読みしだり、地下にある
ファーストフードコーナーや、バスターミナルの側にある立ち食い蕎麦を食べて、そ
して帰りにはパンダ焼きや鯛焼きをお土産に混雑しているバスに乗って戻るのがいつ
ものことであった。それが、子供の頃の一番の楽しみであった。
母との話ばかりしていたが、別に私の両親は離婚した訳ではない。実際に父は居たし
父とだって来たことは何度もある。だけど、この場所は何故か母との思いでが印象深
いのは言うまでもない。そもそも、私の父は一年の半分しか家に居ない。夏の間はこ
ちらで働いて、冬になると関東の方に仕事に行ってしまう。だから、私は冬の間は父
の居ない生活をしなければならない。別にそれが寂しかった訳ではないし、私の家だ
けがそうだったわけではない。そうしないと皆が暮らしていけないことは母から何度
も聞かされていたのだし、母と二人だけの方が気が楽だったから。
免許を持っていない母が気晴らしに買い物に出るのがこのデパートであり、約一ヶ月
に一度の楽しみであった。地元にも商店街はあったが、安くて種類が豊富だったのは
デパートの方だったのだから無理も無い。とにかく帰りは食料品など荷物は増える事
は必須で私も母も背中のリュック・両手に袋を持って帰る。多分、今わたしがこんな
に荷物が持てるようになったのはこの経験があったからだとさえ思える。
それ程この場所は生活に密着した憩いの場所だったのであった。
私は今、この6階のベンチに座っている。
特に何をする訳でもなく、ただ座っていた。
あの頃あった、車の乗り物や、機関車の乗り物はなくなっていたがそこは今でも子供
たちの遊び場でもあった。女の子が一人で遊んでいる、そしてその母親らしき女性が
その子に手を振った。女の子も手を振り返している。きっと、昔の私もああだったの
であろう。そう考えると私の唇は自然と笑みを浮かべていたことに気付き一抹の恥ず
かしさを覚えて元に戻そうとしていた。
先月、母が亡くなった
葬儀はあっという間に終わり、私もまた日常に戻り、仕事をし、眠り、こうして生き
ている。悲しみは一瞬で通り過ぎまた新たな日常が私に色々な感情を呼び起こし、揺
さぶった。ようやく周囲が落ち着いてきた頃、私は用事でここを訪れその帰りにふらっ
と足がここを向いていた。今流行りのゲーム機たちがそこに居て、昔の面影は無かった。
それでも、いるのは子供とその親だけ。
私は母のことを思い出しながら、それでも涙は出なかった。昔懐かしいノスタルジッ
クに触れ、悲しみを思い出しながら自分の幸せだった頃を思い出す。一瞬マゾヒズム
でヒロインチックに陥りそうなその感覚に身をゆだね、そして私は立ち上がる。
私はそのまま地下の食料品売り場に足を向けてその場を後にした。
ここには、私と母の思い出が眠っている