087:コヨーテ
その生き様は孤高
野生のしなやかさを体現したその姿に、俺の中で何かが動き出した。
目の前に居るのは先日自分の家族として引き取った少年。足元に倒れているのは数名の黒服の男。
そんなことなど気にすることもなく、少年は自分の両手の手のひらに視線を移しそれからドアの向こうから自分の方に視線を移した。
「叔父さん」
「ちょっと待ってろ」
俺はポケットから携帯電話を取り出して、ある番号をプッシュした。勿論、警察でない。電話番号などメモリーに記憶させておけばいいのではないかと言われるが、そんなモノは後で自分を危機に陥れるだけだ。忘れたら思い出せなくて困るのは自分、それに相手先は番号が頻回に変わる連中ばかりだ。
数回のコールの後、何度か転送されてようやく繋がる。聞き覚えのある相手に俺は用件を告げた。
「やあ、何の用かい?」
陽気なのか冷静なのか、状況などお構いなし同士、世間話もそこそこに俺は用事を告げた。
「掃除屋をよこしてくれ」
「数は?」
「えーと…1、2…7体」
「結構大人数だな、久しぶりに何かあったね」
「いや、今回は俺でなくて優秀な甥っ子さ」
「そりゃあ優秀な甥っ子だねえ、料金は3、でどう?」
「そりゃ、ぼったくりすぎだ。せめて1にしろや」
「だーめ、2.5」
「じゃ1.5」
「了解。もう向かっているから数分後には着くからね」
電話の向こうの相手を想像すると、してやられた感もぬぐえないが今はそうしている暇もない。電話をポケットに仕舞いこみもう一度床に倒れている男達を見た。いかにもといった感じの黒服ではなく、普通のサラリーマン風の外見の奴らばかり。咄嗟に見かけた会社章らしきものを拾い上げるとポケットに仕舞いこんだ。勿論、そいつらを倒したのは目の前で俺を見ているこの17歳の少年だったのは言うまでもない。
犬山小太郎、17歳。
こいつが俺の元にやってきたのは、20年前に行方不明になった姉が死んだという連絡が先日入り、俺以外に身元引受人がいないということが事の発端だった。両親も死去し、親戚連中とは絶縁状態だった為に引き受ける人間がいないと弁護士に言われたからだ。最初は引き取る予定ではなかったのだが、結局押し切られた形で一緒に暮らすことになってしまっていた。
最初は馴染めなかった小太郎も、一緒に暮らしていくうちに何となくこいつとはウマが合うような気がしてきた。別に親しく会話をする訳でもなく、一緒に寝食を共にしているうちに何かが生まれているような気がした。たとえ、それが錯覚でもいいような感覚がしていたからだ。小太郎はフロリダで育っていたということで日本に馴染むには多少時間がかかったものの、それでも彼の順応性が高いせいかすっかり日本語も日本の生活にも慣れてしまっていたらしい。向こうでの生活のことは余り話すことは無かったが、時々彼の口から漏れる姉の話などを聞くと最後に出会ったあの時のことや、そのほかのことを色々と思い出す。
姉は20年前の、小雪のちらつく春の朝、自分の部屋から姿をけしていた。その日のことは今でも忘れられない。対外的には模範的な優等生を演じ、友人も作らないが敵も作らない姉だった。けれどもそれを知っているのは俺一人だったに違いない、父も母も心配して捜索願を出したりしたが、結局姉の行方は当として知り得なかった。けれど、俺は感じていたのだ。姉はいつかこの平穏な日常からいなくなるであろうと。そしてこうして会えることはないかもしれない、と。
だからそんな姉が亡くなったという話を聞いても、ああ、そうなのかという感覚しか思いつかなかったしまして姉に子供がいようとは思いもしなかった。あの姉が誰かと結婚して子供を作るという発想が俺の内に浮かばなかったといえば、そうなのだが。
そして、その海外育ちの甥っ子は、俺の目の前で瞬時に7人の男を倒して見せた。
「こいつらは、何をした?」
「『叔父さんを出せ』っていうから断ったら、俺…いや僕を連れて行こうとしたんだ」
「だから、倒した」
「…駄目だった?」
やったことはとてつもないことなのに、俺を見るその目がしょぼんとしてそのギャップが俺にある種の感情を沸き起こした。そして、俺は思いっきり笑って、そして小太郎の肩を軽く叩いた。
「上出来さ」
小太郎は褒められた子供のようにその繊細な少年風の顔を崩して笑った。小太郎は17の割りには身体的には中学生ぐらいだった。しかし、先程の動きはその体格的ハンデをものともせずに、いやそれを有効活用した動き。最低限の動きで最大の効果を示すその動き、しなやかさと強さを持ち合わせたその動きに、俺は以前何かで見た動物のビデオを思い出していた。その動物のイメージが小太郎に重なったのだが、どうしても思い出せない。俺も随分年取ったものだろうと思ったが、今はそれよりも考えることがあった。
とりあえず、俺は掃除屋が男達を片付けるのを見送ってから小太郎をアパートの中へ入れた。そして小太郎をちゃぶ台テーブルの前に座るように促し、台所からトマトジュースの入ったグラスを二つ持って来る。一つは俺の前に、もう一つは小太郎の前に。そして俺は小太郎の左隣に座った。
「別に怒る訳じゃない、そう緊張するな」
「う、うん」
「姉さんは…いや【ブルー・コヨーテ】はフロリダで何をしていた?」
「何だ、知ってたんだ」
姉は行方不明だといったが、それはあながち間違いではない。けれども、俺は数年後姉の詳細を風の便りに聞いていたのだった。姉・青野洋子海外にて日本人傭兵【ブルー・コヨーテ】として凄腕を誇っていたという噂だ。俺はそれを聞いて写真を取り寄せて判った。やはり、それは姉だと。俺は姉と似たような稼業についていた。日の光の当たらないような職業。それでもこうしてこの国では日の光の下でこうして暮らせることができるのではあるが。話がそれた。20年前、どういう経緯があったのかは解らないが姉は日本を抜け出して海外へ行ってしまったのだろう。あの時考えていた俺の想像はあながち間違ってはいなかったということだ。
「…というか姉さんらしいというか…」
「うん、ヨーコさんはそういう人だったよ」
男2人、今はここにいないであろう女1人を思う。これが酒ならもっと格好つくというものであったが、トマトジュースでは洒落にもならないであろうが、それはそれでいいのだろう。
そして、小太郎は語りだしたのだ。これまでの事を、俺のところに来た経緯を。
「叔父さん…俺、本当はヨーコさんの子供じゃない」
「そっか」
「うん、嘘ついてゴメン」
「いいさ」
小太郎は姉の子供ではない、けれどそういう事実にショックを受けることもない自分が何だかなあと考えつつ、ぽつりぽつりと語られる小太郎と姉さんのこれまでを俺はじっと聞いていた。
小太郎は、ある組織を姉が壊滅したときに拾ってきた子供。彼と一緒に姉は戦場を渡り歩いていたが、ある日突然傭兵稼業を引退したのはいいが、姉の部下と共に数々の場面を乗り切ってきた。姉が引退を決めたのは自分の中にある病魔の存在に気がついたから。そしてそれはもう取り返しのつかないステージまで進行しており、最後はそれでも穏やかだったこと。
姉は日本での過去を語らなかったが、俺のことは時々語っていたことがあったらしい。日本で唯一の理解者だったと、そして自分と同様に日の当たらぬ道を歩き始めた俺のことを心配していたと。もし何かあったなら俺のところへ行けと。お前なら、俺と一緒に居てもいい人間だろうと…
「ああ、ますます姉さんらしいな…」
「…叔父さん…泣いてる?」
「そんなワケあるか……なあ、小太郎」
「何?」
「俺と一緒に【家族】とやらをやってみるか?」
「…いいよ」
俺は、少し鼻声がかった小太郎の肩を抱きしめると、コップに残っていたトマトジュースを一気に煽ったのであった。窓からは、少しだけ木漏れ日が漏れたかのように俺と小太郎を照らしていた。
明るい太陽の下を歩こうだなんて思っちゃいない、けれども、こうして2人で生きていくことを誰かに許して欲しい。通常の人生からはかけ離れてしまったけれど、俺とこいつは生きたいと。
俺はビデオの内容を思い出した。あれはコヨーテ。灰色オオカミを絶滅に落とし込んだ原因の一つ。
家畜に危害を加える為に狩られる対象。しなやかな、順応性の高い生き物。沙漠で歌う獣。犬の一種でありながら人が飼う事など出来ない存在。
飼いならそうだなんて思っていない。俺も小太郎も一匹の獣。けれど、たまにはこうして集うのも悪くない、そう思っているうちに食われるかもしれない。それも俺の選択。
俺と小太郎は、この小さな安アパートの一室で歌うのだ。
夜を貫く生の歌を。
2003/11/30 tarasuji
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