008:パチンコ
ねえ神様、それでもこいつが好きなんです。
「なあ、雪」
「何?」
「俺、好きな奴がいるんだ」
その言葉はこの私の平和だった日常を、180度ひっくり返すのには十二分な言葉だった。
雪とは、私のこと。そして私に好きな奴が居るといったその男は浩平といって私の幼馴染。
長屋に近いこの近辺では彼と私は小さな頃からの幼馴染だった。だから、下手すれば実の兄弟と同等かそれ以上に互いの事情に詳しくて、両親同士も仲が良かったから本当に双子かそれぐらいに私達はいつも一緒のことが多かった。だから、そんな彼に好きな相手が居ると知れば誰なのか気になるのは当然のことで、私はその通り誰だか聞いてみた。隣の学部のあの美少女だろうか、それともバイト先の先輩か、それともこの間すれ違ったという美人のお姉さんだという奴だろうか。
だが、返ってきた答えは全く予想外のものであった。
浩平の趣味はパチンコである。
断っておくが私も浩平も一応18歳を過ぎたので合法的に出来る年齢である。しかし、浩平も私も小さい頃から互いの祖父に連れられて出入りしていたので店の人とも顔なじみになっていた。けれでも私は忙しさの余り最近は行く暇もなかったが、浩平は18歳になったその日に合法的に出入りし始めていた。もっぱら浩平は余り稼ぐということではなく、暇つぶしと気晴らしを兼ねてということであったが。
そして、浩平はどうやらそこで恋に落ちたらしい。
「ね、その子ってどの子?」
恥ずかしがる彼を横目に私は、その子を探し始めた。浩平は、きょろきょろと辺りを見回しながら店内中に視線を向ける。
そして、解った。彼が指差す前に、彼の表情が変わったからだ。幼馴染として彼の傍で彼の表情を見てきたからこそ解ってしまった。
あの人が、浩平の好きな人だと。
少し栗色がかったさらさらとした髪、色素は薄いが確かに黒を思わせる瞳。そこら辺の女性より色白な肌色、細身だがひよっ子という訳ではなく引き締まった細さを思わせる肉体。身に纏う雰囲気はそれでいて柔和というよりは緊迫というか誰をも寄せ付けない孤高の雰囲気を思わせ、こんな場末のパチンコ屋にいるとは思えない存在感をもたらす。それでいて、その場に溶け込めることも出来る。
身に纏うこの店の野暮ったい制服もその人が着ると別の制服のように見えるのもまた不思議で、案の定隣に座っている浩平を見たら顔がもう真っ赤で目がキラキラとしていた。漫画でもあるまいし、そんな表情なんかする人間いないって思っていたけれども、目の前で見てしまえばあれはあながち誇大表現では無かったのかと実感してしまった。まあ、20才前後のむさくるしい男が、頬を染めてぽわぽわという雰囲気をかもし出してしまえばキモイと言えば、キモイとしか言いようのないのだが。それでも本人は真剣なのであろうから口は挟まないでおきたいところだった。
その相手が、同性でなかったらの話であるが
浩平は、女性のモテないタイプではない。高校の辺りは結構周囲の評価も高かったし、今でも私の友人達の中でも紹介して欲しいということが多い。ラブレターだって貰ったことがあるのを知っているし、何人かの女性と付き合ったこともある。結構ムチムチ系のおねーさんが好きなことも知っているし、人並みに女性に興味があることだって知っている。
だから、今回の事は本当に驚いたのだ。けれど、それを否定することは出来ないし、私に相談してきたときの彼は真剣そのものだったから。だから、それ以上何もいえなかった。最近は、世の中でも許容の動きが出てきたのは確かだけれでも、日本社会ではまだ合法的に受け入れられていないし未だ【日陰の恋】というイメージが強いこの時代に、それでも彼は恋をしてしまったのである。
だから、私は彼を見たいと浩平に頼んだ。そして、今日この日、このパチンコ屋にやってきたのであった。そして、私は思いっきり落ち込むことになるのである。
はっきり言ってしまえば、私も浩平のことが好きなのだ。小さい頃から一緒に幼馴染をやってきて、浩平が私の中で最高の男の基準になってしまい、彼を超える男は私の周囲に現れなかった。幼馴染の贔屓目とか言う奴ではなく、私は浩平のことを好きなのだと自覚したのはここ数年のこと。それでも、今の関係を壊すことが怖くてそれを告げることはしていなかった。
私が躊躇と逡巡という二文字を往復している間に、浩平は好きな人を見つけてしまったのである。馬鹿といえば馬鹿だし間抜けといえば間抜けだ。けれどもそうとしか言いようの無い今の状況は笑うべきなのかそうでないのか。
この恋を応援しようとか、そんなヒロイン的なことは考えていない。今は考える余裕がない、けれども隣の男が頬を染めて恋をしている姿を見るとどうしてもとてつもない自己嫌悪が襲ってくるのである。
「ねえ、告白とかはしないの?」
「…してえよ、けどさ…普通同性に好きだって言われてはい、そうですかっていうことはねえだろ」
「漫画でもあるまいし」
「そうだな」
結局、私も浩平も同じなのだろう。
今の立場を崩すことが怖い、そこから一歩も踏み出せない。
それから私と浩平は無言でパチンコ台に向かって打っていた。
狙っても上手く入らない玉。予想外の確率で当たる台。そのどれもこれもが今の私達を象徴しているかのようで。結局、私も浩平もその日は勝つことなどなくその店を出たのであった。
2003/12/07 tarasuji
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