079:INSOMNIA
安息の忘却、精神の過度の緊張が、
人としての自分が壊れていくのをどこからか眺める
夜の帳が下り、濃紺の夜空に星が瞬く。
周囲の静寂は昼間には気付かぬ存在を浮かび上がらせ
安息と不穏が入り混じった、異世界へと人々を導く。
回想に思いを馳せ、誰にも見せぬ己の顔を身に纏い、表に晒す。
いつから自分はこうなったのだろう。
女は、窓越しに現れる月を眺めながら何度目か判らなくなった大きな溜め息を零す。
眠りたいのに、眠れない。
それでも、布団に入り横になってみるものの全く眠ろうという欲求は現れず。何か
を考えてしまい朝になってしまう。脳裏に浮かぶのは、人と会った時のこと、故郷
のこと、父のこと、母のこと、子供のころの自分の事と毎日多岐にわたる。
眠れないから、考える。考えると一人でいるのが寂しくなる、寂しくなるから相手
を求める。相手は一夜限りの人間がいい、長く付き合えば情が移り、その人のこと
も考え始めるから。名前はいらない、顔もいらない。ただ、言葉を下さい。私の時
間を埋める言葉を。空虚な、私を埋めてくれる言葉を。
女はまた、携帯に手を伸ばした。
精神科に通って治療も、薬も飲んでいる。
だけど、効果は一向に現れず。それよりも体に残る気だるさが蓄積されていくのが
感じられる。昼間の仕事も手につかず、そんな私に仕事以上に近寄ろうとする人間
など皆無に近く。
眠れたなら、私は違う自分になれるのだろうに。
今日も女は携帯に手を伸ばす
携帯の請求書が届く。
いつもながらの額。給料の半分が飛んでいくのは明らかだった。女は深い溜め息
をつきながら、請求書を破り捨てる。
名前の知らない何処かの誰かと話したり、メールを交わすのは楽しかった。何処
かの誰かと自分の知らない自分が存在するから。
眠れない人間が自分だけでないことを確認して安心している自分がここに居た。
その為にまた女は携帯を手に取る。
携帯にメールが届く。
そのメールを見て女はそこで立ち尽くした。
そこに綴られているのは、言葉。
言葉が必要ないから喋る必要はない
休む必要がないから立ち止まる必要がない
夢を見る必要がないから眠らない
やるべきことがあるのを知っている者は何よりも強い
貴方が何かを欠けているというのなら、それは貴方に必要ないものなのだろう。
それは人外の者。
けれども、そういう生き方をしている人間を知ったときに君はどうする?
不思議なメールだった。
差出人は知らないアドレス、多分一文字間違えたのだろう。
だけど、女はそれに返信を返すことはなかった。女はどうであれ自分の為に届いた
言葉だと思っていた。眠れないことを悲しく思うことでなく、それを前向きに受け
止めろと。眠れないのなら、やることがあるのだろう。自分には。
女は携帯に触れるのを止めた。
人と、世界に触れていこうと考えた。
眠れないのなら、それでもいいのだ。
そう考えたその時、女を閉じ込めていた脆い柱は崩れ去った。
女が眠りを取り戻すのは、もうすぐ側まで来ている。
2003/05/25 tarasuji
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