077:欠けた左手
「ようこそ『空想研究会』へ。
さあ質問だ、どうしてこの像には左手が無いと思うかい?」
それが最初の質問だった。
私が参加したサークル内で自己紹介をした後、彼が発した第一声はそれだった。
この女性像は昔美術の教科書で見た、ギリシャの…何かの像だったかな?その像のミニチュアだったと思う。
ただ、教科書と違った点は『左手が欠けている』ことだったのだ。
何故、私たちがそんな質問をされるのかその理由が判らなかった。
私は友達の付き合いでこの『空想研究会』なるものに参加しただけ。
別に私はこんなことに興味なんてないし、こんないかにも胡散臭げなサークルを開いている人種とは本当は
関わりたくだってない。なのに、どうして私はここに居て、こんな話をしているのだろう?
学校の端っこの端っこに存在する倉庫を借り切ったこの『空想研究会』は、知っている人など殆どいない、
悪く言えば壮絶にマイナーな研究会であった。私の友人は何処からその話を聞きつけてきたものか、一度参
加してみたいと言い出し、私はその友人に無理矢理に近い形で引っ張られたのである。
そもそも、この『空想研究会』だなんて名前からして怪しいものである。一体『空想』などを研究して何が
楽しいのだろう?私には理解が出来ない、いや理解したくないと言った方が正しいだろう。
友人はその像をしげしげと眺めて不思議そうにしていた。ああ、全くこんなことに何の意味があるのだろう。
私はこっそりと欠伸をかみ殺していた。
「そこの君はどう思うかい?」
質問を投げかけたその男は私に向かって声をかけた。
欠伸をしていたのがバレたのでろうか、突然声を掛けられて私は狼狽した。本当にこの像の左手が欠けてい
る理由などどうでもいいじゃないか。それでも、あまり反抗的な態度を取って逆上されても大変だ。そもそ
もこういうサークルを開くこと自体普通ではない連中に反抗するのも馬鹿らしい。
「え?発掘する時に壊れたんじゃないんですか?」
当たり障りのない答。だって、本当にどうでもいいのだもの『左手が欠けた』理由なんて。その答えにその
男と会のメンバーは特に何も表情を変えることなど無かった。大体、最初から期待してなどいない、という
視線で私を見ていた。男が口を開く。
「まあ、それが『普通』の理由だろうね」
『普通』の理由?それが一体どういう意味なのだろうか?私はさっさとこんな所から出て行きたい気分にさ
せられた。そして、私の友人に同じことを聞いた。
「う〜ん。誰かに盗まれたとか?」
おいおい、あんな像の腕なんて盗んでどうするんだよ。と、心の中で茶々をいれながら友人の方を見る。
しかし、彼らの対応は私の時とは違って真剣そのものだった。メンバーの1人が友人に尋ねる。
「誰に盗まれたと思うかい?」
「それは…この像の作者かな?」
「何故そう考える?」
矢つぎに友人とメンバー達の間に質疑応酬が始まる。私はその光景を他人事のように離れてみていた。
やっぱり、私には理解できない世界だ、それは脳も心も両方とも。
「君は、空想したことがないのかい?」
1人になった私に声が掛けられる。それは、最初あの質問をした男だった。
「無い…とは言えませんけど」
多分、空想をした事の無い人間なんているのだろうか?私も子供の頃は学校のテストが無くなればいいのに
と考えたことなんて何度もあった。
「ここは、『空想』に浸りながら『真想』に浸る場所だよ」
「しんそう?」
「『真』なる『想』いに浸る。我々は中々『空想』にふけることを許されない状況にある人間ばかりでね」
「そんなことに何か意味が?」
「意味なんてないさ」
意味のないことをここで議論するなんて馬鹿馬鹿しい。やっぱり私はこの場所が肌に合わないようだった。
さっさと帰りたい。…いや、何で私はここにいるのだろうか?友人に付き合わされてきた…そう思っていた
筈だった。
だけど、私にあんな友人がいた?
ふと、私から言葉が口をついて出た。
「貴方は『左手が欠けた』のはどうしてだと思っているのですか?」
男はその言葉を待っていたかのように言葉を紡ぎ始める。
「あれは作者が壊したんだ。完成したときには左手があったんだ、だけどどうしても彼の望む『完璧』には
成り得なかったんだ。だから、作者はわざと『欠けた左手』にした」
「私には分からない」
「『左手が欠けた』ことによって、後の人間はその理由をあれこれ空想する。理由が分からないものは『謎』
になる。『謎』は人を引き付ける。だからこそこの像は発見されて以来、『左手』という一点が欠けている
ということだけで、『謎』という美を像に植えつけたのだ」
「ますます分からない」
「『謎』は解き明かされることを願いながら後世に受け継がれる、しかし、既に解答は失われているのに問
題だけはここにある。決して解かれることのないその問題は『空想』という解法だけを残してここに存在し
ているのだよ」
「だから、本当に分からないんだって」
言葉がすれ違っているのは明白だった。だけど、男は喋ることを止めようとしなかった。
「空想は空想だ。だけど、自分の中限定でそれは真実なのだ。『考えている』という真実。だから『真』な
る『想』い。それを間違っているだの空想だの否定することは可能なのかね?」
「そんなの私には関係ない!!」
彼が何を言っているのか、言葉は耳を素通りして空気に消えていくようだった。自分だけが理解しえない事
をここにいる全員が理解していることが何だか腹立たしかった。だから、分からないと否定することで、怒
鳴ることで打ち消してしまいたかった。
「何なのここは!?馬鹿みたい!!」
「ここの正体かい?…それは、君の空想だよ」
男の一言が合図であったかのように、私の周囲が四散した。
四散した世界があっという間に再構築される。
視界が戻ったその時に目の前にあったのは・・・・・・あの像だった。それもレプリカではなく本物の。辺りには
学芸員の他には誰も居ない。友人だった人間も、質問を投げかけたあの男も、変なメンバーも。
そうか
あの『空想研究会』も『友人』も『男』も『メンバー』も、いや『世界』さえも構築したのは私。
全てが私の空想。
『馬鹿みたい』と否定した私自身。
私は、その像に向かって微かに口端を吊り上げると他の展示物の方に足を進める。
『欠けた左手』の像が私を笑っている気がした。
2003/02/05 tarasuji
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