073:煙
煙は高く、尚遠く
君の心をのせて、そして消えた。
「死にたく…死にたくないよォォ!」
「滝川っ!?」
轟音と同時に通信が遮断される。しかし、彼にはその安否を確かめる余裕など何処にも無かった。
「滝川! 滝川!!返事をしろ!!」
声をあらん限りに通信で呼びかけるものの回復される見込みはなく、ただ無音が続く。
「厚志!右方向にヒトウバン・ゴブリンの集団がいる。その数20」
背後から舞の冷静な声が周囲に敵が現れたことを告げる。いつもは冷静なその声の中に、焦り、震え、
そして憤りが交じっているのを速水は感じていた。そして、それは速水も同様だった。
周囲には幻獣の群れが二人の前に立ちはだかる。いくらエースパイロットの乗る機体で、そして対峙す
るのはヒトウバンやゴブリンの群れであろうとも、大群であれば僅かばかりであろうが足止めは可能な
のは言うまでもなく。そして、彼らはその隙を見事に突かれたのであった。目の前には彼の命を奪った
であろうスキュラが漂うように浮かんでいた。
「厚志、我らには悲しみに浸っている余裕はない!」
自分の声が震えているのに、それでも舞は速水に向かい怒鳴る。速水は目じりに浮かびそうな涙を目を
きつく瞑って流れないようにする。胸の奥に浮かぶ戦友(とも)の残像を浮かべ振り切ると、奥歯を強く
噛み締めて、顔を上げて前を見る。
「・・・判った。いくよ!」
「うむ!」
士魂号がスキュラに向かい両手に握り締めた超高度大太刀を振るった。
士魂号が右手が青く燐光を放ち、その背に翼が見えたといわれたのはその後の話である。
彼が死んだと聞かされたのは、その戦闘が終わり皆が戻ってきてからだった。
それでも、速水はそれを信じられなかった。何故なら、彼の遺骸をこの目で見ていなかったからだ。
戦闘と戦友の死による興奮状態で落ち着かなかった速水は、何度も滝川の名を叫びその場に居た坂上
に麻酔を掛けられようやく大人しくなったのであったとは後の舞の話である。
目が覚めたときは病院のベットに居た。
「目が覚めたか」
「…舞?」
心配そうに速水の顔を覗き込む舞。その行為を恥ずかしく思い顔を紅潮させたまま体を離した。冷静
さを取り戻そうと、深呼吸をする舞。速水は舞に気がつかれないように微笑むと顔を背けて見ないよ
うに気をつけた。彼女はそんな表情を見られるのが一番困っていたからだ。
「みんなは…?」
「無事だ」
「滝川は……?」
舞の表情が凍りついたようになる。何と言って判らない、そんな表情だ。芝村はあまり表情を明らか
にしないと舞は言っていたが、舞は別格だ。いつも素直で表情が判りやすい。以前そんなことを滝川
に告げたら不思議そうな表情をしていたのを速水は思い出す。
「た…」
思い切って告げようと口を開こうとする舞を速水は掌を舞の口に当てて遮る。そして、憂いを含んだ
瞳で舞を一度だけ見ると、首を振った。
「ごめんね、舞」
「う、うつけもの…お主は私などに謝る必要はないのだぞ…」
悲しいのは自分だけではない。彼女もまた自分の力不足を感じているのだ、戦友を助けることの出来
なかった自分の力不足を。それでも、自分も彼女ももう泣くことは出来なかった。
速水も、舞も『芝村』なのだから。
泣くことは許されない存在なのだから。
速水は経過も良好だということでその翌日退院した。
同じ学校、同じプレハブ校舎、同じ整備テント、同じ教室。そしていつものように学校に通っている自分。
ただ、違うのはそこに戦友がいないことだけで、いつもどうりの日常。
HRが始まる。
本田が今日は滝川の葬儀が行われることを告げると、授業は休みになることを黒板に記載した。
葬儀場には芝村準竜師も参列していた。小隊の全員が滝川の棺の前に一列になる。準竜師が滝川の棺
の前にゆっくりと歩み寄ってきた。全員が敬礼をする。
「よくやった、滝川」
準竜師は一歩前に出ると滝川の棺に、紫色の布に乗った、<傷ついた獅子章>を置いて敬礼した。そし
てゆっくりと瞼を閉じる。それにならい生き残ったクラスメイト達が滝川の棺に敬礼した。
「麦穂落ちて新たな麦となるように、滝川は落ちて新たなものとなる。
その身と魂は、われらの知らぬところで、新たな生となるだろう。
…次もまた、ともに戦う戦友となることを願う。…良い旅を。 ゴッドスピード、滝川」
準竜師が朗々とした声で滝川の棺に向かって告げた。クラスメイトたちもそれにならう。
「ゴッドスピード、滝川」
準竜師はその後、いつもと変わらぬように去って行った。
速水はようやく滝川の棺の中を見る。顔の窓だけから滝川の顔を覗くことが出来た。幸いにも顔には
損傷がなかったらしく、その死に顔は眠っているかのようであった。触れることは出来なかったが、
その血の気のない顔色にいつものように笑って話をすることも、一緒に戦うことも、何も出来ない事
を実感させられる。
蓋が閉じられ、再び布が被せられる。もう一度、皆は滝川に敬礼すると、滝川の棺は火葬になった。
クラスメイトたちは涙を流していた、善行と、来須、舞、そして速水を除いて。
新井木などは大声で泣いていた、いつも喧嘩ばかりしていたのに、一番大声で泣いていた。
葬儀が終わり、それぞれが帰路につこうとしたその時、速水は本田に呼び止められた。
「先生…」
本田が泣きそうな顔で、速水を抱き寄せる。。
「…そう落ち込むなよ。俺まで悲しくなるじゃないか。」
「…」
本田の胸に抱かれ、速水は何を言っていいか分からなくなり、沈黙だけを返す。
「…そうだ、これ」
本田は、自分のジャケットのポケットをまさぐると傷ついた獅子章を速水に手渡した。速水は言葉も
なく手渡された勲章に視線を落とす。
「あいつの形見だ。家族が、お前にやってくれって…」
滝川の家族は当の昔に居なくなったと聞いていたが、何処かで聞きつけて来たのだろうか。滝川は余
り家族のことを話さなかったが、彼には両親がいただろうことは会話の節々で感じていた。
速水は、もう一度その勲章に視線を落とすと、掌でゆっくりと握り締めた。
「速水!」
本田が、下を向いて速水を強く抱きしめた。
「…泣くなって…言ってるだろ…強くなけりゃお前まで死ぬぞ…」
本田は、そう泣き声で言った。速水は、自分の頬に当たる濡れた感触に気がついた。何とか自由にな
るもう片方の手で自分の頬に触れた。涙は捨てたはずなのに、まだ自分の中に残っているこの感情に
胸に残る戦友の面影を重ねて、そして久々に速水は泣いた。
ようやく、涙が、嗚咽が止まり始め、本田はもう一度だけ速水の頭を優しく撫でる。
「速水、オメエたちはこれ以上の悲しみを増やすな。明日から3倍厳しくすんぞ」
「はい!」
「じゃあ、後ろで待っている奴がいるから、俺はこれでな」
「ありがとうございました!」
速水は頭を下げて礼をすると、本田は背を向けて去っていった。
「終わったか?」
速水はゆっくりと後ろを振り向いた。そこの居たのは舞だった、しかも何故か機嫌が悪そうだ。ピリ
ピリした雰囲気が速水に伝わってくる。
「ま…舞!?」
「私はそんなに心の狭い女ではない、今のは見逃してやろう……それよりも、気は済んだか?」
今までのを見られていたことに気がつき、速水は何と言ってよいか判らずあたふたしている。
「はは…みっともないとこ見られちゃったね」
「別に…お前はそれでいいと…」
そういいかけた舞の頬に軽く速水が触れる。舞は突然のことにまた顔を紅潮させて慌てふためく。自
分が芝村失格だと感じながら。
「見て、舞」
突然、速水が葬儀場の煙突の方に視線を向ける。そこからは煙が立ち昇っていた。
「滝川もああして、天に昇っていったのかな?」
「死んだ者は、何処にも行かぬ。あるのは無だ」
「そうかも知れない、けど…」
そこで速水は言葉を断ち切り、舞もそれ以上は何も言わなかった。ただ、二人は空に立ち上っていく
煙をじっと眺めていた。それはこれ以上犠牲を出さないようにするという意志であり、決意の証でも
あった。
空は何時の間にか茜色に染まっていた。
煙突の煙も何時の間にか立ち消えて、二人の姿はそこになかった。