007:毀れた弓



    毀れた兵器

    必要の無いもの

    役には立たないもの

    私は、それでも貴方の傍にいて貴方を抱きしめたいと願う



    それは許される願いですか?





    駆け抜ける男が居る。
    暗い夜の闇の中を、騒々しい足音が駆け抜けていく。
    その足音はいつか夜明けが来ることを告げる騒々しい足音。世界にバカがいてもそれを受け入れる世界を生み出す足音。魔女も道士も人狼も、忍者も共存出来る世界の始まる足音。

    だけど、その足音が聞こえる代わりに世界の魔法は失われていく。

    世界の魔法が失われれば、魔術も、精霊も、存在しなくなる。
    魔術が使えなくなれば、人類の決戦存在として、作られた結城小夜の神狩りとしての存在は失われる。

    -結城小夜-

     人類の決戦存在として壬生谷で作られた、対魔術戦のエキスパートであり魔道兵器の巫女。あらゆる魔術、術式をその身に詰め込まれた存在。世間から一切隔離され、学校はおろか殆ど人と触れ合うことすらなかった存在。蒼い鴉…光鵺のヤタを式として戦う存在。神と戦う刃。魔を打ち据え、朝を呼ぶ為の一条の光。
     感情というものを一切排除され、彼女は恋も笑うことも、感情を表に表すことなどせず戦って死ぬ存在となった…筈であった。彼女と出会ったあの存在さえいなければ。

    -玖珂光太郎-

     最下級の死と飽食の精霊をラリアット一つで己の式に無意識に従え、人外のモノに好かれやすい男。
    バカという言葉が彼ほどに相応しい存在はないだろう。世界の倫理も何のその、他人の痛みも自分の痛みとして認識し、それを取り除く為だけに戦える。
     彼に関わった人間は、例外なく調子を狂わせてその人間のあり方をほんの少しだけ修正してしまう。
    そう、結城小夜も彼女の在り方をほんの少し修正されたのだ。

    【七二三事件】と呼ばれる事件で、小夜は古き神を狩るために東京にやってきた。

     その戦いでの小夜の役目は古き神を倒し、神を倒した小夜が新たな神となるのを阻止するために小夜は死ぬはずだった。いや、死ぬ必要があった。それが、壬生谷に作られた小夜の全てだった。小夜は兵器として神を倒し兵器として死ぬだけだった。
     しかし、実際に神を倒したのは玖珂光太郎。光太郎は蜘蛛神の少女を倒し己の頭上にコータロー・ワールドタイムゲート(以下コータローWTG)を開いてしまったのだった。結局、小夜は死ぬことが出来ず、かといってこのまま生まれ育った飛騨の山奥にも戻ることをせずにこのまま東京に居つくこととなったのである。
     壬生谷の者とはいえ、役目を終えたこの身で東京の神霊庁にそのまま世話になり続けることも出来ず途方にくれていた小夜は魔女ふみこ・O・Vの屋敷に厄介になることとなった。

     東京を離れられないのは、小夜が生き残ってしまったこともあるが光太郎がいるからだ。あの戦いの中で光太郎は小夜に感情というものを生み出してしまった。新たな神となった光太郎を監視する必要があるという大義名分に小夜は東京に居続ける。
     小夜は、光太郎に対する自分の気持ちを自覚しては居なかった。ただ、気になのだ。初めて出会った時は失礼な人だという印象しかなかった。けれども、共に戦ううちに光太郎を心の何処かで意識し始めている自分に気がついた。ふみこや光太郎の式神であるザサエさん、他の女性が彼の隣に居るだけで、彼と話をしているだけで胸の何処かでもやもやとした感情が沸き始めている自分が居た。それは女性と話している光太郎に専ら向けられているのだったが。
     それにもう一つ、光太郎はふみこやザサエさんまで名前で呼んでいるのに自分のことだけどうしても名前で呼んでくれないのだ。いつも「アンタ」や「お前」としか自分を呼んでくれないことが小夜にとっては何故か悲しかった。それが理不尽といえば理不尽だった。


     同時に、小夜の中では日がつれる毎に膨らむ不安もあった。

     光太郎に会うたびに、光太郎と共に怪異と戦う度に光太郎の式神であるザサエさんの影が薄れていることに気がついたのはいつだったろうか。あの、食人鬼の精霊は戦えば戦う程のその姿を薄れさせていく。それでも彼女は戦い続けている。

    その表情はいつ見ても幸せそうで、小夜は己の感情の中に戸惑いという感情を見つける。
    小夜の脳裏に、魔女と交わした会話が浮かんだ。




    「あの死と飽食の精霊はね、光太郎があの精霊と一緒に戦えば戦う程に己の存在を自滅させるの」

    「それって…」

    「光太郎は魔術を否定する存在、彼が神になった今、世界は魔術を亡くす方向に進んでいるわ。光太郎が戦えば戦う程、魔術は消え去ってしまう。精霊は魔術と関連の深い存在だということは知っているでしょう?」

    小夜は頷いて返答に変える。

    「そう、魔術が無くなれば精霊も消えてなくなる。あの精霊はそれを承知で光太郎と共に戦っているの」

    「そんな…そんなことって…」

    通常ならば、誰が己の存在を消去することを知りながらそれに手を貸す行為をするであろうか。小夜はほんの少し、動揺が顔に浮かんだ。魔女…いやふみこはその様子を少し面白そうに見ている。

    「あの精霊は世界が光太郎の為だけに選んだ確率事象の一つ、必要悪。けれども……」

    最早小夜の耳にふみこの言葉は入っていない。自分の選んだ男のために己が自滅すると判って傍に居続けるあの精霊の艶めいた儚い微笑みの理由が少しだけ判った気がした。





     適わないと思った。

     けれども、傍に居たい、傍に居たいという思いは負けたくなかった。それがあの精霊であろうとも。光太郎は魔術のない世界を作ろうとしている。【神狩り】としての【魔道兵器】結城小夜が存在しなければ、小夜は単なる荷物にしかならない。ただの【少女】の結城小夜なら彼の傍にいることも、彼と共に戦うことも出来なくなる。それでも、光太郎は小夜に対して同じように接するであろう。けれどもそれは違うのだ、何がどう違うのかわからないが、それは小夜の望むことではないのだ。
     力を失うのが怖いのもあるが、それ以上の何かが、何かがあるのだ。



     ふと、道を歩いていると子供たちが数人集まっている。何かを取り囲んで騒いでいる。泣き声が聞こえる、何故か小夜はその声の方に近づいていった。

    「どうしました?」

    「こいつのおもちゃがこわれちゃったんだ」

    「おもちゃ…?」

     泣いていた子供の持っていたのは弓を模した玩具。糸が切れ、使い物にならなくなった玩具。あのぐらいなら自分で直せるかもしれない。小夜は子供に声を掛けていた。

     …読みが甘かった。簡単だと思っていたのに、意外にこれが難しい。小夜は悪戦苦闘しながら、弓に糸を張ろうとしていた。弓は破魔の道具として、壬生谷でもその対抗の仕方など色々教わっていたのだ。小夜の背後から子供たちの声が聞こえてくる。

    「おいおい、どーした?」

     背後から聞こえてくるのは、声。最初は幻聴かとも思えたが、それは確かに聴覚に響いていた。小夜は、ゆっくりと振り向いた。

    「光太郎さん…」

     光太郎は以外にも小夜より器用であっという間に壊れた玩具を直してしまった。子供たちは光太郎に礼を言うとその場から去って行った。小夜は、突然現れた光太郎に何ていって言いか判らずに沈黙を残すのみ。

    「相変わらず、不器用だな」

    「あ、貴方にそんなこと…」

     しかし、真っ赤になって怒ってみたところで光太郎に反論する筋合いは無い。小夜は言葉に詰まってそれ以上なにも言えなくなってしまった。相変わらず、彼の肩に居る精霊は少しまた薄くなっているようだが、そんな光太郎を見て、小夜を見て微笑んでいた。
     ふと、先程の毀れた玩具の弓が脳裏に浮かんだ。



    -あれは、私だ-



     毀れた弓、毀れた兵器。
     感情が生まれたゆえに、死ぬことも許されない出来損ないの兵器。

     世界がこのまま魔術を亡くす方向に進めば、小夜は魔術を失い戦う術を失う。だとしても小夜は光太郎の隣に居ることが出来るのだろうか。まだ、自分は魔術を失くすことを恐れている。光太郎の傍に居る死と飽食の精霊は己の存在を失っても光太郎の傍にいることを選んだというのに。

     ならば、自分はどうしたいのだろう。

     迷っている、迷っている己が居ることに気がつく。





    -時は2006年12月-

    小夜は、東京の上空に浮かぶ城を見上げていた。



     自らが必要ない世界が生まれようとしている。

     それでもいい、ただ【魔道兵器】ではない結城小夜が望むことは唯一つ。

     己が死んだと聞いたとき、光太郎の心にほんの少しでもさざ波が起こること。

     彼は怒るだろう、こんな最期を選んだ自分の事を。

     兵器は毀れるまで兵器、兵器として生まれた自分に出来ることは唯一つ。

     彼に兄殺しをさせないこと。兵器は毀れても戦い続けるしかないのだ。

     戦って死ぬことが、彼に自分を残すたった一つの方法。



    小夜は一度唇をかみ締め、そしてその声が高らかに叫ぶ。

    「ヤタ!!!!」

    蒼き鴉が、月夜に舞った。







    2003/10/24 tarasuji
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