063:でんせん −A smile of a machine doll 3−
貴方のこころが伝わってくる
私の中にこころが生まれる
それは貴方が私に気持ちを伝染させたせいなの?
何も知らぬ状態で私は目を覚ます。
データに映る光が、視覚を遮ろうとして動きが鈍る。
「目を、開けて」
どうやら私に指示しているらしい。声には敵意は感じない、私はその言葉の通りにした。
目の前に居たのは、1人の青年。しかし、この人物が誰なのかは直ぐに判断出来た。
「マスター」
目の前にいるのは私を作った人間。
私は機械人形。『ウィル』と呼ばれた人の為だけに存続を許された人形。
「君の名前はドゥフト。僕の名前はレクス・カエルレウム」
言葉がデータにインプットされていく。
―私の名はドゥフト―
―マスターの名はレクス・カエルレウム―
「了解しました、Dr.カエルレウム」
「うーん、堅苦しいな。僕のことはレクスと呼んで」
「しかし…」
マスターの要望とは言えどもそれは出来ない。マスターは困った…ような顔をして腕を組んだ。
「では、これは命令。これから僕のことをレクスと呼ぶこと」
「…判りました、Dr.レクス」
「ドクターも要らない。僕はそんな高尚な人間ではないから」
「レクス…で良いのでしょうか?」
「良く出来ました」
これが、私とマスターとの初めての会話。
メモリーは飛ぶ。そう、これは私の全て。
マスターは私の調整をする。
あの頃の私は『ウィル』とはいえ、まだ市場に出せる性能ではなかったから。
『ウィル』は人形屍生師に作られることが多い。マスターも人形屍生師の1人であったが、
今は仕事をしていないらしい。それでも私を作り上げたのだから再び仕事をすることにした
のだろうと計算をする。そうやって人形屍生師に作られた『ウィル』は基本的プログラムの
他に追加プログラムを学習という形でマスターすることが出来る。大抵の『ウィル』は基本
プログラムだけで十分だということだが、私が何故市場に出されずにここに居るのか、マス
ターの意図は理解出来なかった。
「おはよう、ドゥフト」
「おはようございます、マス…ではなくレクス」
「まだ、きちんと名前が呼べないのかい?」
マスターはそういいながらも言葉は荒くない。寧ろ丁寧さを与えるので大丈夫だろうと判断
する。マスターは私に色々な本を読ませる。しかし、内容は理解できるが、マスターの意図
は全く理解の範疇には無い。私は一体何を求められているのであろうか。
マスターは私に笑うようにという。だから私は笑顔という機能を使うのだが、マスターは違
うという状態を保ったままである。マスターは私に何を望むのだろう。
マスターは私によく仰られる。
「人形を制御して王になりたいのだよ、人間は」
私はいつもこう答えていた。
「私は人形です。人間に使われる為に存在しています」
マスターはその答えを聞くといつも顔をゆがめる。私の答えはお気に召さないのであろうか。
それを聞くと表情が歪む。マスターはこれを『寂しい』のだと教えてくれた。
「君たちは機械だけれども“人”だ。人形とは人の形をしたもの、故に君たちは人と同じも
のだ」
「それは違います。私たちは機械です、それが存在理由です」
「ならば何故君たちは『ウィル』という名を持っている!?」
マスターの語気が荒くなる。いつもかの話になるとマスターは興奮状態に陥るのだ。そして
私はマスターが落ち着くまでじっと待つ。それが日常だった。
マスターの机の上には一枚の写真がある。
それは私の顔をした私では無い存在だ。初めて見たとき、私は誰かと尋ねたところマスター
は大層驚いた顔をなされていたが、しばらくして語り始めた。
「この写真は僕の許婚だった人さ。名は佳織(かおり)・カントゥス」
「…だった?」
「ああ、死んだよ。肺の病で呆気なくね…彼女はまだ若かった」
そう答えるマスターはとても穏やかで、私のシナプス回路がきしむ感覚があった。
私は写真の彼女の姿を見えないようにくるりと裏返していた。鏡でさえも見ることはしなく
なっていた。
「君の名前はね、彼女の名前から付けたんだ」
マスターはまだ彼女のことを忘れていない。
「彼女の名は君と同じ名前。ドゥフトは古い言葉で『かおり』という意味なんだ」
マスターは、私を呼んでいるようで、私に声を掛けているようで、実は亡くなった許婚のこ
とを今でも想っている。
私は人形だ、レクスにとって私は『ドゥフト』ではなく『佳織』の代わりなのだ。
そうすることで私は回路への負担を取り除こうとした。
このまま側にいれば私は間違いなく壊れてしまうから。
私はだんだん人形ではなくなっていく。
レクスがそう望んだから、けれどもレクスは私に死んでしまった許婚の代わりの人形としての
存在を望んでいる。私は迷う…レクスが望んだ『感情』と呼べるものが芽生え始めていた。
私の機能が止まった。
その間のレクスの状態はわからない、けれども私はこのまま止まってしまうことを望んでいた
のかもしれない。このまま止まってしまったならばもう惑わなくていいから。レクスのことだ
けを考えて笑える。
しかし、それは適わなかった。
再び目の前にあったレクスの顔は痩せこけていた。
色も白く、何があったのか判らなかった。私が目を開けて名前を呼ぶとレクスは私を抱きしめた。
きつく、きつく抱きしめていた。
「良かった、良かった。もう君まで失うかと思った」
肌に暖かいものがふれる。それがレクスの涙だと判別するには時間がかかった。
「僕は君まで失うのかと思ったとき、気が狂いそうだった。そして判ったんだ、君は佳織の代
わりなんかじゃない。ドゥフトとして、1人の女性として僕は君を愛している。君は人形じゃ
ない」
レクスの気持ちが私に伝染してくる。私は何時の間にか彼をそっと抱きしめ返した。
多分、これが『愛』という感情
「私も…貴方を愛しています。レクス」
そうして、私たちは小さな口付けを交わした。『幸せ』という感情を私は初めて覚えた。感情を
全て伝染させてくれたのはレクスだった。レクスは私の世界の全てだった。
そして、その夜レクスは私にある事を告げた。
「君には知らせないようにするつもりだった」
「…なんですか。私なら大丈夫です」
そのときのレクスの様子は明らかにおかしかった。そしてその行動の理由が判るのは彼の言葉を聞
いた後だった。
「君にはアシモフの三原則を使用していない、そして感情の制御も施していない」
それだけで、意図は全て理解できた。
「僕は佳織を失った悲しみを引きずったまま、ドゥフト、君を作った。佳織そのものをもう一度作
ろうとしたんだ。そしてそれは機械の人形ではなく、人間を作りたかったんだ。だから君には感情
を存在させた。他にも禁忌とされている技法で君は作られている。だから君は…」
そこでレクスの言葉は途切れた。だけど、私が言う事は唯一つ。
「貴方が作ってくれたから、私たちは出会えた。それだけで私は幸せです」
レクスは私をもう一度抱きしめた。
それからの日々は幸せだった。
感情は私に色々なものをもたらした。綺麗なものを見て綺麗だと思える感覚、ほんの些細なことを
驚きに出来ること。最もそれは正の感情だけでなく怒り、嫉妬、悲しみなど負の感情もあったがそ
れを感じられることを幸せだと思った。
それが、私の生の中で一番のメモリー
それは突然やって来た。
レクスが倒れたのだ。
原因は肺の病。佳織がかかったのと同じだという。いくらレクスが私のものになったからといって
も彼女はレクスを連れて行こうとしている。その肺の病は今の時代にも治療法はなくレクスは衰え
ていくばかりであった。
レクスの側で看病を続ける私にレクスはすっかり小さくなってしまった声で語りかける。もう話す
ことも辛いだろうに、彼はそれでも私に話しかけた。
「ごめんね、今度は君を1人にしてしまうね」
「まだ決まった訳じゃないわ、貴方は治るのよ」
「判っている、僕の寿命は残り少ない…だからドゥフト。僕が亡くなった後、ラティオという人形
屍生師の元に行きなさい。彼は変わっているけど君の相談にのってくれるだろう、僕もまだ数度し
かあった事はないけれども彼はいい腕の人形屍生師だから…」
「嫌!貴方以外のところになんて行かない!!」
レクスの命は今も刻々と削られていく。私は人だといっても体は機械人形のまま、どうすることも
出来ない。レクスが私の顔に手を伸ばした。
「『ウィル』…とは古い言葉で『人間』という意味さ…最初に君たちを作った人間は君たちに人間
であって…」
「もう喋らないで!」
私の制止を無視して、それでもレクスは話し続ける。
「ドゥフト。君は微笑みなさい、君には笑顔が良く似合う…愛して……」
頬に触れていた手が力を失いシーツに落ちる。彼は瞳を閉じて…そして穏やかに微笑んでいた。
絶叫が、部屋にこだましていた。
弔いの鐘が鳴る
ひっそりとした葬儀だった。
私は人形、泣くことは出来ない。愛する人間であろうとも人形が泣くことは争議の元となること
を知っていたから。
「結構腕のいい人形屍生師だったんだけどねぇ」
「婚約者をなくしてからは変わってしまったんだよ」
「唯一の身内が人形とはね」
「とすればあの財産は全て人形の物になるのかい?」
「欲しいね、持参金付きの人形」
無責任な言葉が周囲に振りまかれ、それでも私は抗議の声一つ上げることすら出来ない。悔しかっ
たが、私は人形だという立場を自覚させられる。レクスが土に還るように埋められた私の胸にあ
る決意が生まれていた。
私は弁護士にレクスの遺言を伝えると、その足である場所に向かう。
“ラティオ・メタルルジー人形屍生師”
調子外れのチャイムが鳴った。
「何の用だい、何処か故障したのか?」
屋敷の主はかなり不機嫌そうだったが私には関係ない。私はレクスの望むままの笑顔で、こう答えた。
「私を、壊してください」
レクス、貴方のくれた感情が私に伝染したの。
貴方を愛しているわ、私が人形に希望になることを貴方は望んだみたいだけれども私はそんなもの
にはなれない。貴方を失った今、私にはもう貴方のメモリーしか残されていないの。人形としての
私ならばそれに縋って生きていたかもしれない、けれども、私は貴方の元へ行くことを望んだから。
だから、私は必ず貴方の元にたどり着いてみせる。
愛してる、愛しているわ。
メモリーの中に残るのは彼女が愛した、愛された男の記憶。
人形は微笑む。
愛する男の為だけに、己を滅ぼそうとも微笑み続けている。
夢の中で再び出会えることを願って。