062:オレンジ色の猫
何気ない日常。
朝起きて、学校に行って家に帰ってそして眠る。
この平穏と怠惰な世界に私は溺れていた。
それは学校からの帰り道。今日の出来事を思い出しながら私は歩いていた。
周囲には誰も歩いていないことを確認すると鼻歌を響かせながら歩いていた。特に何か特別なことがあったと
いう程のことも無いがそれが私の日常だったからだ。私はストレスがあると歌って発散していた、それもカラ
オケでは無く学校の帰り道にこうして鼻歌交じりに歌うのが一番の発散だった。誰かに聞かれるかもしれない
スリルと外で思いっきり歌っている開放感。誰かに聞かせるほど上手い訳でも無くとにかく声を出すのがいい
のだろう、とりあえず今日も私はそうして歌っていた。
突然、視界に入ったのは猫。
それも何とオレンジ色の猫だった。
私は目を数回まばたかせ、声を出さずに口を大きく開けた。
それから、その猫が逃げないようにゆっくりゆっくりと足を踏みしめ、一歩一歩つま先歩きで近付く。そう、
気分はまるで泥棒。オレンジの毛並みの猫など滅多に見れるものではない。現に私は今まで白と黒と茶色とか
そんな系統の猫しか見たことがないからだ。『好奇心は猫をも殺す』なんていう言葉があったと思うがまさか
それぐらいで死ぬことはないだろうとかなんて全く考えずに、ただ、ただその猫見たさに私は近付いていく。
猫の方も逃げようとしなかったので、これ幸いと私はそろそろと足を進めた。
一歩
また一歩
私とその猫との距離がまさに接近しようとしたその瞬間。
猫が、私をじっと見つめたかのように見えた。そして、その直後思いも寄らぬことが起こった。
「俺が・・・見えるのかい?」
「・・・はぁ?」
そりゃあ、誰だって驚くだろう。突然オレンジ色の猫が目の前に現れて自分が見えるのかと聞かれれば。
そうだ、多分空耳だ。
私はくるりと向きを変えるとその場を立ち去ろうとした。こんな場合はさっさと家に戻って寝るに限る。おや
つでも食べて寝てしまえばこれは夢だったと思い忘れることが出来る。そうして私はいつもの日常に戻ること
が出来るのだ。猫なんかが喋ることのない私の日常に。
しかし、何故かその場から私の足は動かない。まるで接着剤か何かで貼り付けてしまったかのように動かそう
としても神経が切れてしまったかのように、心の命令と脳の命令とがすれ違っている。もしかしたら、私はこ
んなことを望んでいたのだろうか。退屈とも思える『いつもの日常』から抜け出させてくれる『何か』を。
私はゆっくりとしゃがみ込むとその猫の方に顔を近づける。
「さっきのはやっぱり空耳だよな」
自分の中にあった妄想はやはり空想でしかなく、さっきのだって私の都合のいい願望の一つに違いない。私は
自分を自嘲しながら、立ち上がろうとしたその瞬間。
「驚いた…まさか声まで聞こえるのか!」
その猫はしゃがむ時に下ろした私の手に擦り寄ってミャー、と甘えたような声を鳴らす。無下に払うこともで
きず、手も動かすことも出来ず。その姿はどう見ても猫そのもので、どうすればいいのか判らず困り果てて猫
に視線を戻す。その内、猫が私の手から離れ居住まいを直すと私の方を見たような気がした。
「俺…いや私はシクロと申す者。我が姿が見えた貴方に折り入って頼みがあります」
「ね…猫が…!?」
私がどんなに驚いたかなんて言えるものではない。だけど、シクロというそのオレンジ色の猫は私の驚きなど
関係なく話を続けようとしていた。
「そんなに驚かないで欲しいな」
「そりゃ、猫が喋るなんて誰だって驚くよ!」
猫、シクロは私の方を見ると目を見開いた。まだ私の驚きは止まらない。
その時だった、シクロは何か周囲を見回すかのように顔を左右に動かすと突然、側にあったゴミ箱を踏み台に
して塀の上に上っていった。
「この場は一時引き上げます、また今度ゆっくりとお話を!!」
言い終えるのと同時にシクロは瞬く間に私の視界から消えていった。突然の目まぐるしい展開に私は何が起こ
ったのか自分の中で消化しきれないまましばらくその場に立ち尽くしていた。
(…一体、あれは・・・・・・?)
それは私の都合のいい夢だったのか、それとも幻だったのか。
私は歌を口ずさみながら、今の事を忘れようと更に声を張り上げた。もう誰に聞かれようと構わなかった。
それが幻想で無いことを自覚するのはその夜のこと。
2003/01/26 tarasuji
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