060:轍
冗談じゃない
外を見た感想はまさにその一言。
外はこれでもかって言うくらいの猛吹雪、外の景色すら見えない。それなのに、私はこれからこの吹雪の中を
これから出かけなければいけない、それも車で。
今日はどうしても早く戻らなければならない理由が私にはあった。
着慣れた制服から、私服に着替えロッカーを出る。途中で出会った同僚と「これから帰るの大変ねぇ」なんて
互いに会話を交わしながら外に通じるドアを開けた。
白の世界
ロマンチックな言いかたをすればそんなものだが、今の私にはそんな世界は吹き付ける強風と共に何処かに消
えさっていた。そんなロマンチックないい方で締めくくるほど今の私に余裕などない。
既に外は雪藪が積もり私は明日から長靴で来ることを決意した。別に車だから他人に見られる訳でもないし、
駐車場から職場までの数十メートル歩けばいいのに格好なんてつける余裕はない。大体、今更見た目を気にし
たってどうなるような年齢でもないし、そんなのを気にするような男もいない。
こうして、自分もこの職場の雰囲気に染まっていくのだと思えば悲しいような、そうでもないようなそんな気
がしていた。
ブーツの高さよりも高い雪藪の中を越えて自分の車がある駐車場まで進む。まだ、除雪すら間に合わない状態
なのか靴の隙間から入る雪が凍みてくる。しかし、それでもそこに留まっている訳にもいかず私は黙々と歩き
始めた。全く今朝は清清しいぐらいの青空で雪が降るとは思ってみなかったのだ、それもこれも寝坊して天気
予報を見逃したことが失敗の始まりだった。この調子だと絶対家に戻ったら雪片付けが待っているのは確実で
私は急いで戻らないと大変な事になるのを覚悟した。
やっと辿り着いた自分の愛車は想像通り雪まみれで、その周囲もやっぱり雪藪に埋もれていた。
急いで車の鍵を開け、エンジンをかけて雪かき用のブラシを取り出す。
窓ガラスや、天井、ボンネットに積もった雪を慣れた手つきで払い落とすが、凍ってしまって中々落ちない。
仕方なしに柄の先でガリガリと凍ったガラスに付いた雪を強制的に落として私は車に乗り込んだ。
暖房から吹き付ける冷たい風。まだ温まっていない車内で私は雪で濡れた手袋を外すと手のひらに自分の息を
吹きかける。僅かでも温まって私は両手を開いたり閉じたり。
しかし、指はまだ上手く動かず。私はその行為を更に繰り返した。その成果か指先にほんのりと赤みが差して
来た。車の方も暖房が効き始めたのだろう。私は思いっきりアクセルを踏み込むと雪藪を越えて駐車場を脱出
したのであった。
しかし、除雪もままならない道路。
何台か車が通った跡はあったが進むとボコボコして走りにくい。車が揺れる衝撃が車を通して私の体に伝わる。
進んでも、進んでもその衝撃は収まることはなく。寧ろ進む度に酷くなっていく道路に私は必死で車のハンド
ルを掴み、運転していた。
視界一面に吹き付けるかのような、雪、雪、雪
雪に視界を奪われて、それでも私は道路を走り続ける。ギアはセカンドのままにしてゆっくり、ゆっくりと先へ
と進んでいった。私の焦りと裏腹に、車の運転は慎重にするしかなかった。相変わらず振動は伝わってくるし、
視界はワイパーをかけても見通しが良くなる訳でもなく。今なら言える、これが『冷や汗もの』だと。
そんな瞬間だった。
「・・・・・・!!」
車体が右側に大きく動く。恐らく、まだ除雪の付いていない道路のことだ、前の車が走った轍からずれてしまっ
たのだろう。幸い、対向車はいなかった模様で私はゆっくりとハンドルを直す。車が滑った時は確か無理はしな
いでハンドルをゆっくり元に戻すとか聞いた覚えがあったからだ…私は不確かな記憶を揺り起こし、ゆっくりと
体勢を戻したあと、再び道路を走り始めた。恐怖のあまりハンドルをしっかり握りすぎていたのだろうか、とも
かく、私は再び轍から外れないように車を走らせたのだった。いつもなら5分、10分の距離が今日に限ってそ
の倍、いやそれ以上に感じていた。こんなに緊張したのは初めて父と車に乗せた時以来だろうか。あの時も本当
に緊張していた。
見慣れた景色が見えてくる。
恐らく、雪の勢いが弱くなってきたのだろう。私は安堵に一つ息を吐くと自宅の近くの空き地に車を止めた。
この大雪なのだから、当然自宅も雪で止めることが出来ないのである。私は先に雪かきをしていた母を手伝う
為に急いで荷物を下ろして手伝った。約2時間かかって、除雪作業は終了し私は大きく息をつきながらコタツ
に潜りこみ母が用意した昼食を食べながらテレビのスイッチを入れた。
ちゃらら〜♪ ちゃっちゃちゃちゃ〜♪
馴染みのあるテーマソングがかかる。
そう、今日は何としてもこの昼の連続時代劇『暴れん坊家政婦は必殺!』を見逃す訳にはいかなかったのだ。
うっかり昨日ビデオ録りを忘れたのだから今日はどうしても戻る必要があったのだ。それも今日は物語の佳境
に差し掛かる大事な回である。
母はそんな私を見ながら、半ば呆れつつ昼食を差し出した。私は幸せをかみ締めながら箸を動かし始めた。
冬の轍ほど恐ろしいものはないと実感したのは、本当にこの時からだった。