059:グランドキャニオン
この世に神がいると信じたい瞬間がある
今、この瞬間自分がこうしてここに立っている。
意味の有無ではなく、無条件にそれを信じたいと思う、願うその瞬間が確かに存在する
「ここは、遥か昔は海だったといえば信じるかい?」
先輩が、そういって笑う。
俺はその声を聞きながらも目の前の光景に圧倒されていた。
始まりは去年の春、二人で一緒にTVを見ていたときだった。
たまたまCMが入り先輩がチャンネルを適当に変えるのにちょっとムカつきながら、先輩からリモコンを取り上げる。チャンネルを元に戻そうとしたその瞬間、よく聞きなれたクラシックの曲と共にある映像が目に入った。俺はチャンネルを元に戻すよりもその画像に見入ってしまっていたのである。
一面の青い空と、果てしなく広がるような岩山
ふいに思った、『ここに行きたい』と。
そこが何処かも判らなかったけど、俺の中でその思いだけが一瞬にして広がる。
「いつか、一緒に行こうな」
突然の誘いに、それが可能かどうかな二の次で。
俺は何と言っていいのかも判らずに、そっぽを向いてチャンネルを元に戻した。
本当はとても嬉しかった
あの風景を二人で見たかった。
けれども、日々の忙しさからその約束は忘却の彼方に流れ行き。それでも俺と先輩の関係は不思議と変わることなく一緒に居ることがあった。それからある日突然先輩が言い出したのだ。
チケットが取れたから一緒に行こう、と。
先輩はあのたわいも無い約束を覚えていたのであった。
何となく先輩の方が収入も多いのは知っていたが、それでも俺だって一応社会人なんだから先輩の奢りに甘えているのは自分自身が許せなかった。だから自費で行く事を告げるが結局押し切られてしまった形で旅行の話は進んでいった。しかし、不思議なことに俺はその旅行の誘いを断るという選択肢が存在していなかった。
先輩はああ見えていろいろなことを知っているのだから、準備はあっという間に進んでいき旅行当日になったのである。
個人で行くのはかなりの危険ということで、俺たちは最小人数で参加するツアー形式で現地まで行くことになった。そして、今俺の目の前にはテレビで見たその光景が広がっている。
予想以上のその光景
自分が果てしなくちっぽけなものに思えた。
俺の悩みも、怒りも、迷いも、戸惑いも、自分自身の中にあるこだわりすら大破するように何事もなく雄大なその姿。何も語ることなく、それでもその存在は人を引きつけ。
己もその世界に居るという感覚が何処かに消え去っていくような感覚。
一つ、深呼吸をする
眩暈すら覚えそうなその光景に一歩後ずさるように下がると、後ろにいた先輩に抱きとめられる。先輩も俺の方を見ながらも、目の前の光景に口を半分開けてその光景を眺めていた。
背中に感じる先輩のぬくもりが景色に圧倒されて消えそうになっていた俺の存在を呼び戻そうとする。
「来て、よかったな」
「はい……」
俺はもう一度、深く呼吸をすると何時の間にか隣に居た先輩の手をギュッと握り締めた。
それが、とても自然なことのような気がしたから。
言葉に出来ないたくさんの言葉を、握り締める強さに込めて俺たちはその光景に魅入っていた。
どうか、ずっとこのままいっしょにいられますように
2003/08/24 tarasuji
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