051:携帯電話
「何ですか…?」
小夜に渡された箱の中に入っていたのは白い携帯電話だった。
しかし、今まで外界から隔離されて生活していた小夜にとってそれは初めて見る物であった。
不思議な物を見るかのように、いろいろな角度で小夜は眺めている。目の前に居た男…神霊庁の鈴木は
その姿にどう反応を返してよいか分からず、小夜をじっと見ていた。
「壬生谷の御師さま、これは『携帯電話』と言いましてその…ええと持ち運びできる電話です」
「電話?」
小夜はまだ、携帯電話を持ちながらあちこちを眺めている。そして、その口から出た言葉は…
「あの…電話とは何ですか?」
鈴木は最初から説明しなければならない事を感じながら、大きな溜め息を一つついた。
あの事件から数日後、小夜は壬生谷志功の待つ奥飛騨に戻る事はしなかった。
神々は倒れ、最早小夜の役目は終わったかのように見えたが小夜はこの東京に残ることを決めた。
人類の決戦存在は自分ではなかったことをあの戦いの中で悟り、自分はまだまだ修行不足だと認識させ
られた。このまま奥飛騨に戻り修行をするよりも、この東京に残って修行をした方が効率が良いと考え
たからである。
小夜はその考えを書にしたため壬生谷志功に書簡を送った。反対されるとは思っていた小夜の元にヤタ
が届けた返事には意外な返事が書かれていた。
「許す」
その一言だけであった。
小夜は意外な返答に戸惑いを見せたが、ここに居られることが出来ることの方に気を取られてしまった。
壬生屋志功は今まで小夜を育てた人間である…つまり小夜を人類の決戦存在として育てたのはこの男で
あった。それが、小夜を突然外界で暮らすことを認めたのは何か思惑があるのではないか。しかし、事の
顛末を神霊庁から聞いていた壬生谷は小夜が最早この奥飛騨に戻る事はないと感じていた。
疑いも何も感情も持たず育った少女だからこそ、外界に出すとなれば何かしら影響が深層に残る。そう
なれば感情を排除することには労力がかかる。それよりは、量産型とは言え壬生谷の技を受け継ぐ戦闘
兵器を作る方が手っ取り早い、壬生谷はそう判断した。
それでも、小夜を今まで育ててきた壬生谷志功は神霊庁の鈴木に連絡を取り小夜の面倒を見てくれるよ
うに頼んだ。壬生谷の内情を知らない鈴木は、壬生谷の御師でもあり小夜を蔑ろにするわけにも行かず
小夜に住居と当面の生活費を用立てすることになるのである。
そして、連絡の為に鈴木が小夜に手渡したのが携帯電話であった。
しかし、電話の概念すら知らぬ小夜に使い方を一から教えるのは骨が折れた。
何しろ相手は今まで別世界のようなところで育ってきた人間なのだから。そして、ようやく小夜が使い
方…といっても電話のかけ方を覚えた。覚えるのは案外早いほうらしいが…。とにかく、何にしろ以前
のような事態が二度と起こらないという保障はない、だからこそ迅速に連絡を取れるようにしなければ
ならなかったのだ。鈴木はくれぐれも使いすぎないように念を押すと、小夜に携帯電話を渡した。
小夜が携帯電話を鞄にしまうとその足で向かったのはある場所だった。
ある部屋の前に辿り着くと、ドアの前を見る。
『日向&玖珂探偵事務所』
小夜はドアを開けようとしたが、ドアは開かない。恐らくまた猫探しの依頼でも入ったのだろう。しか
し小夜はそこでじっと待っているようなことはしなかった。
「ヤタ!!」
以前に比べると少しだけ小さくなった…光の鳥、ヤタが現れ事務所のドアを攻撃した。
轟音を立てて崩れさるドア
小夜は戸が開いたことを確認すると事務所の中に上がりこんだ。いずれけたたましい明日を告げる足音
を立てて現れる少年をソファーに座って待っていた。
少年は、猫探しの依頼を終了させてようやく戻ってきた。
小腹が空いていた、おっさん…いや所長は用事があるからと先に少年は事務所兼自宅に戻っていたので
ある。戻ったら今日もカップ焼きそば(わかめスープ抜き)かと思うと少しげんなりしたが、それしか食
べるものがないのだから贅沢は言ってられない。何故か母さんの手料理が懐かしく思った。
少年はドアを一瞬だけ見て、そして大きく溜め息をつく。
(勘弁してくれ…)
そして、中で待っているであろう連続ピッキング犯を回想して少年、玖珂光太郎は中に入った。腹の虫
が、きゅるきゅると鳴り響いていた。
「おい、アンタまた鍵を壊したな!」
「…光太郎さん」
そこに居たのは光太郎の予想通り小夜だった。小夜は鍵の概念がないらしく、鍵をかけて留守にしてい
くと必ずといって鳥を使って鍵はおろかドア毎ぶち破ってくれるのであった。何度言っても改善する傾
向はないのであろう。
「まったく、だから昭和生まれって奴は……」
「何ですか?」
「鍵を鴉で壊すような女はダメだっていってんだよ」
「何ですって!」
こうなれば売り言葉に買い言葉。
合同捜査をしたあの時から二人の相性は全くといって合っていなかったのだから、今になってもそれが
すぐに改善されるのは無理と言ってもいいだろう。
日向は野暮用を済ませた後、途中で出会った金大正をつれて自分の事務所兼自宅のドアの前に居た。
(今日もか……勘弁してくれ)
既に小夜によって事務所のドアが壊されること数回。勿論その修理費は小夜が出すはずもなく全て日向
が少ない報酬の中から出していたのである。ただでさえ報酬が安いというのに、ドアの修理費が高いの
だから毎日がカップラーメンなのもうなずける話である。金もそれは知っていたらしく二人は顔を見合
わせて大きな溜め息をついた。
中に入ると、予想通り光太郎と小夜が口論をしていた。下手に手を出すのも何なのでその場から去ろう
としていたのだが、最早二人が式神である小夜の鵺「ヤタ」と光太郎につく「ザサエさん」という名の
鬼女まで使おうとしていたのを日向の式神「大神雷球」と金の「仁王剣」でようやく止めたのは言うま
でもない。
何とか二人を落ち着かせることに成功した日向と金だったが、その後始末が大変だったの。話を聞くと
本当にどっちもどっちでその理由に腹を立てた日向が二人を外に追い出した。
「喧嘩するなら他所でやってくれ」
日向に追い出された二人は行く場所もなく、仕方なく近くの公園に向かった。
先程までの喧嘩の勢いは何処かに行ってしまったのか、二人とも沈黙を通したまま。光太郎は販売機で
コーラを二本購入すると、小夜に一本手渡した。
(そういえば、初めてであったときもこの飲み物を頂きました…)
そう、本当にあの出会いは最悪だった。小夜が最近覚えたばかりの缶の開け方を実践してみる。
「あ、待て…」
その瞬間だった。
プシャァァァッ!!
中のコーラが音と共に小夜目がけて飛び散る。
砂糖の甘い匂いに小夜は目を見開いたまま、濡れている自分を実感した。
「何をするんですか!?」
コーラが小夜の顔と胸元を濡らす。光太郎はしまったという顔をしていたがもう遅かった。
「すまん!大丈夫か!?」
「大丈夫ではありません」
光太郎が肩にかけていたバックから何かないか探すが、何もこういうときに役立つ物は入っていなかった。
また先程のように喧嘩になるのは避けられないと思っていたのだが、意外に小夜は微笑んでいた。
自分の鞄からハンカチを出すとそれで自分の顔を拭いた。
「以前にもありましたから準備はすることにしたんです」
「そっか」
顔を拭き終えた小夜を光太郎がじっと見る。
「なあ、今日はどうしたんだ?」
「何がです?」
「用があるから来たんだろ?」
鈍いようで鋭い。小夜は鞄の中から鈴木に貰った携帯電話を取り出した。
「あ、あの。これ『けいたいでんわ』です」
光太郎はそれを見ると、小夜の携帯を触っている。やがて、鞄から山さんにもらった古い、恐らく携帯電話
が出始めた初期の辺りの大きな携帯電話を取り出した。なんらかの操作をしているようだったが、小夜には
判らなかった。その作業のあと、光太郎が小夜に携帯を返した。
「壊すなよ」
「失礼です!」
小夜にまた絡まれるのは勘弁とばかりに光太郎は走って逃げた。その後姿を呆然と見る小夜。
「『ばんごう』とやらを教えてもらえませんでした」
そう、小夜が光太郎のところにきたのは「携帯番号」を教えてもらう為だった。鈴木が言うには「ばんごう」
を押して通話ボタンを押すと「でんわ」がかけられるとの事だった。それさえあれば、あの人の声が聞くこと
が出来ると思い小夜はここまで来たのである。
しかし、実際にあってしまうと互いに憎まれ口ばかりになってしまう、小夜にもそしてあの鈍感の光太郎にも
その理由が判らなかった。小夜がじっと携帯電話を見ていた。
プルルルル…プルルルル…
小夜の携帯から音が聞こえる。小夜は驚いてあたふたしていたが、何とか通話ボタンを押すことが出来た。
教えられた通りに耳に当て、教えられたとおりに「もしもし」と声を上げた。
「あれ、あんたか?」
「光太郎さん!?」
小夜は驚いた。「ばんごう」とやらも教えていないのに、どうして光太郎から電話がかかってくるのだろう?
「あんたの携帯見て番号判ったからかけてみた」
「……」
しかし、小夜は驚きと嬉しさの余り声を上げることが出来ない。
「おーい、どうしたんだ。あんた、小夜たーん、おーい」
「その呼び方は止めて下さい!」
「何だ、居るんじゃねーか。返事ぐらいしろよな、全く」
「も、申し訳ありません」
小夜が謝ると、今度は電話口の光太郎が無言になった。
「どうしたんですか・・・?」
「これだから昭和生まれは…今度携帯の使い方教えてやるからな」
予想外の言葉に小夜も返事を返すことしか出来なかった。そして光太郎もそれは同様だったらしい。
「ありがとうございます」
「いや、それで事務所のドア壊されずに済むんだったら安いもんだっておっさんが…」
その言葉を聞いて小夜は驚く。多分側に日向や金もいるのだろう、自分ひとりで舞い上がってしまったようで
恥ずかしくなった。そして、何故か僅かばかりの苛立ちもあった。
「そうですか!それじゃあ!!!!」
小夜は勢いでボタンを押して通話をきった。そして少しの期待をしていた自分が少し、悲しくなったと感じた。
それでも、声を聞けた事はうれしかった。それが恋心であることを自覚するのはまだまだ先の話であった。
「全く、いきなり切る事はねーだろ、あの昭和生まれが」
「話は終わったか?」
背後に居たオヤジーズ…もとい日向と金に視線を向けられて少し照れる光太郎。
「ああ、これでドアの壊されることもなくなれば、毎日カップ焼きそばとの生活もオサラバだな」
先程、小夜に携帯を見せてもらったとき、光太郎はこっそりと小夜の番号を自分の携帯に登録していたのであった。
事前に連絡してもらえれば留守の時にヤタを使ってドアを壊されることはない、と二人は考えたのだ。
しかし、小夜が携帯の使い方を覚えてもドアの被害は減らないと気が付いたのは、それからまた後の話ではある。
2003/03/01 tarasuji
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