050:葡萄の葉
昼下がりにお茶はいかが?
「よお、パーシィ」
声を掛けられて振り向くとそこに居るのは変わらぬ顔。
「バーツ、頼むからその名前で呼ぶのは止めてくれ」
「冷たいな」
うんざりした顔のパーシヴァルの隣で能天気そうに笑うバーツ。
数日前、炎の英雄となったヒューゴが新しく仲間になったと連れてきたのは幼馴染のバーツだった。
予想外の早い再開にお互い…とくにパーシヴァルは驚きを隠せなかった。
ここ、ビュッテヒュッケ城ならば畑となる土地もあるからここで作ればいいと言ったらしい。そして
その説得に彼は納得したらしくバーツはビュッテヒュッケ城【炎の運び手】の一員となった。たまた
ま所用がありヒューゴと一緒に出かけられなかった間に、幼馴染がこの城に来たことで顔合わせをし
たときには本当に驚きを隠すことが出来ず周囲から奇妙な目つきで見られたことを思い出す。
イクセ村へのシックスクランの襲撃によって、バーツの畑は壊滅状態に近かった。
昔から3度の飯よりも畑に居ることが好きで、そんな彼だからこそ今回の衝撃は大きかったのではな
いかと危惧していたのだが今こうしてここで畑を作っている姿は昔の幼馴染と何一つ代わり無い。
「しかし、おっどろいたな。てっきりパーシィはゼクセン騎士団に居ると思ったからさ」
「今でもそうだ」
「ふ〜ん」
バーツとパーシィは同じ村で育った幼馴染という関係だ。元々は小さな村だから子供たちだけでなく
大人たちも村ぐるみで一つの家という風土が根付いていた。バーツは昔から父親のような農夫になり
たいといっていたし、一方パーシィは騎士になることを夢見ていた。そんな対照的な二人だったが何
故か息はあっていて農作業をするバーツの隣でパーシィは剣を振っていたことが多かった。パーシィ
がゼクセン騎士団に入団し村を出て行ってからは互いに忙しく連絡も取ることは出来なかったがこう
して一緒にいる時は昔と変わらない、互いにそう感じていた。
「しかし、このビュッテ…あれ?まあいいや。この城は以外に土の質もいい、イクセには若干劣るが
いい畑が作れそうだ」
「相変わらず畑のことばかりだな、お前の頭は」
幼馴染だからこそ嫌味も何も含まれて居ないその言葉に互いにすっかり昔のままに。
「しかしなあ、最近では嫁を貰わんかっていう話も多いぜ」
「そうか?」
何せ二人はお年頃の男性である。パーシヴァルでさえ、毎月のように持ち込まれる縁談を断られるの
に四苦八苦の状態なのだから、あのイクセの村にいたバーツならそれ以上だろうと感じていた。バー
ツは農夫をしているには似合いつかない整った容貌の持ち主である。今ではイクセの村の美丈夫とい
えばパーシヴァルかバーツのどちらかを挿す事が多い。畑のことしか頭にないとしても、客観的に見
れば働き者の農夫である。村の後継者不足に悩む農家の家では喉からでも欲しい存在とでも言えよう。
「この間な、ユウリナの家からお見合いしないかって話が来た」
「何?あの3年前にイクセ美女コンテストで優勝したユウリナから?あの美人がお前をね〜でも、お
前のことだから勿論…」
「断った」
「やはり」
予想のできる行為にパーシヴァルは少し羨ましそうにしながら、相変わらず畑のことしか頭になさそ
うな隣の男を見やる。
「そういうお前こそ、ビネ・デル・ゼクセにはいい人がいるんじゃないか?ほら、この間の豊穣祭で
連れてきた銀髪の美人とか。結構あの後村中の噂になったんだぜ、ついにパーシヴァルも結婚かって
な」
「ク、クリス様と俺はそんな関係じゃあ…」
へえ、と少し以外そうな、けれども昔から見慣れた悪戯っぽいその表情は変わらず。真っ赤になって
否定するパーシヴァルをじっと見ていた。
ツン、と人差し指でパーシヴァルの頭をつつくバーツ。
「そういうところ、昔から変わって無いなぁ」
「い、いきなり何をするんだ、バーツ」
「昔っから美人には弱いよな」
「お前には言われたくない」
幼馴染だからこそ隠し事など出来ず、自分の全てを悟られているようで恥ずかしいものがあるが、そ
れは嫌なものではない。バーツもパーシヴァルも子供の頃のままにじゃれあって、ふざけあう。
その瞬間、二人の腹の音が同時に鳴り響く。
「飯にしようぜ、パーシィ」
「そうだな」
二人が向かった先はこの城唯一のレストラン。二人が店先に現れると店長兼コックを務めるメイミの
姿が見えた。バーツが手を振ると、メイミも手を大きく振り返した。
「バーツさん、こんにちは」
「よぉ、メイミちゃん。今日のお勧めは何かい?」
「今日はバーツさんのトマトで作った冷製パスタと、トマトのリゾットがお勧めかな?あとデザート
にはトマトシャーベットもあるけど」
そういって二人に見せたメニューは見事にトマト尽くしだった。
「へえ、見事にトマトだらけだな」
「だってバーツさんのトマトって本当に美味しいの、それに今は丁度トマトの旬だしね」
そういってバーツを見るメイミに肝心のバーツは自分のトマトを褒められた喜びを満面に表している。
ここまでくれば畑馬鹿もいいところだと思いつつ、注文を決めるとメイミは嬉しそうに厨房に戻って
いった。バーツは農作物、とりわけ好きなトマトを褒められて幸せそうにしている。
「随分、あの子と仲がいいじゃないか?」
「あの子、俺の作るトマトを随分気に入ってくれたんだ。それにあの子が料理してくれると俺の野菜
がもっともっと美味くなって皆が喜んでくれる。それって嬉しいことじゃないか、パーシィ」
そういうバーツの顔に俺は曖昧な返答を打つと、その様子がいかにもバーツらしいことに気が付く。
昔と変わらずのその姿に、あの子の気持ちに気が付いているのかそうでないのか…。
「お待ちどうさま!はい、こっちがバーツさんのトマトのリゾット。ええとこっちがパーシヴァルさ
んの冷製パスタね」
「待ってました!」
そういってバーツは一口口をつける。
「アチッ!」
バーツがいきなりリゾットを口に入れると素っ頓狂な声を上げる。
「ああ、熱いから気をつけてって言おうとしたのに…」
そう言いながらメイミが慌てて厨房の奥から何かを持ってきてバーツに飲ませた。バーツはそれをお
盆から引っ手繰るように飲み干すと、ようやく落ち着いたのか照れくさそうにしている。
「バーツさん、大丈夫?」
「ああ、すまん。俺としたことが慌てちまって」
「ううん、あたしがもっと早く言ってればよかったのに…御免なさい」
「いや、俺の方が…」
「あたしの方が…」
そんな二人の様子を見ながら、パーシヴァルはゴホンとワザとらしく咳をする。メイミはそれに気が
付いてほんの少し顔を赤らめるものの、バーツは一向に気が付くこともなく。
「こ、このお茶美味いな。何てお茶だい?」
「あ、これは…赤葡萄葉のお茶なの」
「へえ、葡萄の葉のお茶かい?」
メイミの説明によるとチシャの村で細々と作られているもので、質はいいのだが生産量が限られてい
るために手に入れるのにかなりの苦労をしたとのこと。それも最近炎の英雄となったヒューゴの口利
きで手に入れることが出来た代物だという。味見といってパーシヴァルも一口飲ませてもらうと、そ
の清涼感に口の中が洗われるような感覚がした。
「まさか葡萄の葉がこんな味わいをするものになるのとは…思っても見なかったな」
「結構料理では使われているみたい、調べたところでは葡萄の葉で巻いた料理や、葡萄の葉を塩漬け
にしたものを使う料理もあるらしいわ」
へえ、と二人で感嘆の溜め息を漏らす。
「それも食べてみたいな」
そう隣のバーツが言い出した。
「御免ね、それは季節が秋になった頃じゃないと無理みたい」
当てが外れたのか、バーツは残念さを前面に押し出した表情になる。パーシヴァルは隣の幼馴染の表
情に苦笑いを隠しきれなかった。
「あの、秋になったら…私一番にバーツさんに御馳走…します」
それを聞いたバーツが現金にも反応を良くしたのを見たパーシヴァルは、メイミに同情を感じつつも
幼馴染の反応の速さに驚くばかりであった。多分こ幼馴染は彼女の反応よりも、御馳走の方に意識が
行っていることも、そしてやはりこの幼馴染は恋愛よりも食い気だということが、傍目から見ても実
感できたからだ。
「ありがとな、俺、楽しみに待っているから!」
「は、はい…私、がんばりますから」
傍目から見ても可愛いぐらいに顔を紅潮させているメイミとは対照的なバーツの底抜けの明るい笑顔
に、一体何人の女性が彼のその表情に騙されて失望していったことか。結局、バーツは自分の野菜と
彼女を取るとすれば野菜を取る男なのだ。そえはもう間違いの無い事実で。勿論、バーツが悪い訳で
はないと分かっているのだが、やはりパーシヴァルにしれみればメイミに同情すら感じざるを得ない。
その後、食事を終えたバーツにパーシヴァルはそれとなく聞いてみる。
「なあ、バーツ」
「何だ?」
「その…やはりカミサンは料理が美味い方がいいと思うか?」
「そりゃあな、俺が丹精込めて大事に育てた野菜だ。だから出来れば料理の美味いカミサンだと嬉し
いな」
やはり何処まで行っても野菜命の男のその答えに、パーシヴァルが再び大きな溜め息をついた。その
直後、バーツは更にこんな事を言い出した。
「やっぱりここでも葡萄を植えてみようかな。そうしたら来年の秋には葡萄の葉の料理が食えるかも
しれないな」
パーシヴァルはそれ以上何も言えなくなった。まさかここまで色恋に気が付かない鈍い男だとは思っ
てもいなかったのだが。取りあえず、メイミが少しでもこの男に対して何らかの感情を持たせてくれ
たならばいいと思っていたのだが、どうやらそれも難しい様子なのは間違い無い。
パーシヴァルはバーツの赤葡萄葉茶を飲み干すと、「お先に」と立ち去ることしか出来なかった。
日差しはまだ暑く、秋の訪れはまだまだ先の話である。