049:竜の牙
「大切なものを守るためなら、僕はどんな手でも使う。例え、誰かに悪魔とののしられようがね」
そう言って微笑んだ男が居た。
その微笑みが、恐ろしかった。
例え、何百年も生きていても…いや、生きているからこそ本能的な恐怖が伝わってくる。
微笑みの裏にある恐怖が、彼の背後から抑え切れな勢いで溢れ出す。
その瞳は、紛れも無い青。
青すぎるその瞳が、いつも見慣れていたその瞳が、この世界のものでない別のものに見えた。
不思議なことにその恐怖をもたらす微笑みが、かつて愛したあの優しかった彼女と同じに見えたこ
とが、見えてしまった自分が嫌だった。
速水が、司令になった。
善行が関東に帰還し、その後の後任を速水に任せるという話はおぼろげに聞いてはいたが、実際に
なるとは思っていなかった。あの、ぽややんが。
けれども、今朝のHRで深紅のスカーフを右腕に巻いた速水の表情は見間違うことない自信み満ち
て、奴が『芝村』になったことが判った。速水が、芝村のお姫さんを好きになっていたことは一目
で判った。いくら止めたって、恋心って奴は誰にも止めることが出来ないのは自分自身が一番理解
していたし、俺も奴が不幸になることを望んではいなかった。
だが、芝村は駄目だ。
奴らは目的の為なら犠牲も厭わない、世界を救うと大言を吐きながら全てを巻き込もうとする一族。
世迷言を吐き、立ち向かうものは叩き潰す。
奴に、速水にだけはそうなって欲しくなかった。
あのぽややんには、ぽややんのままで居て欲しかった。
それは俺の、俺だけの我侭(わがまま)という奴なのだろうか。俺は奴に己の幻想を重ねていたいだ
けだったのか。
「やあ、瀬戸口くん。どうしたの?」
速水が俺を見て笑う、いつもと同じ微笑で。
けれども、その身に纏う雰囲気はもう俺の知っている奴では無かった。
最初は只のぽややんだった奴は、何時の間に竜と化したのか。
何時の間に奴は竜と化し、その牙を世界に見せ始めたのか。その牙は誰を、何と戦う為に存在する
のか。
何を、傷つけようとするのか。
何を、護ろうとするのか。
その姿が遠い昔に押し込めてしまった感情を揺さぶり始める。
頬に、涙が流れていた。
穏やかな微笑みをもった少年はもう何処にもいない。
ここにいるのは、竜と化し世界を護ろうとする男だ。
それが、何処までも悲しかった。
2003/07/02 tarasuji
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