048:熱帯魚




    色とりどりに鮮やかな魚の群れの中で君は、更に鮮やかに僕の視界に飛び込んで

    あれから僕は君が焼き付いて離れない






    「ああ、すまん。遅くなってしまった」

     予定の時間から、1時間遅れて辿り着いた場所は既にもう盛り上がりを見せていた。

    「遅い遅いー」

     座敷の奥から声が飛んでくる。
     もうあれから数年も経ったというのに、その話し方や声音が変わらず昔のままで俺は少し嬉しいようなそんな気分になっていた。急いで、中に入るとと一瞬だけ昔の雰囲気が戻ってきたかのようで俺は数度目を瞬かせる。

     中学を卒業してから数年。

     久しぶりに部活の皆で会おうということで、その当時のムードメーカーだった奴らが中心となって今回の同窓会は計画された。いや、正確には学年が違うのだから同窓会とは言わないか。そんなことに拘りを入れていたらまた誰かに突っ込まれそうだったので、そのことは俺の内側に仕舞っておくことにして、俺は空いていた一つだけ座布団に座り込んだ。

    「よーっし、これで全員そろったことだし、改めて乾杯しよう!」

     乾杯の音頭と同時に、全員がそれを唱和してグラスのぶつかる音が座敷に響き渡った。そうして一口ビールを煽るとゆっくりと周囲を見渡す。
     数年たって、あの頃よりも成長したというのに何処かに当時の面影が残っている。誰が誰だかわからないという状況になることもなく、当時の部員達は全員揃っているようだった。こうして社会人になった今となっては、互いに連絡を取り合うことも少なくなっていたが、それでもこうして揃えば当時のことが思い出されるし、雰囲気もあの頃を取り戻したかのようである。
     俺も、最近は仕事の忙しさに友人達はおろか、両親にも連絡が取れない状況にあったので久しぶりの集まりは気分転換にはもってこいだった。

    「久しぶりだね、最近どうしてた?」
    「そういえば、この間…」

     周囲では誰が今どうしているとか、こういう状況だということがそれぞれの合間でかわされていた。俺も質問に答えたり、他の人間に対して聞いたりしていると歳月が驚くべきペースで流れていることが実感できる。後輩の1人は、もう3歳の子供の父親だとか、プロの世界で世界相手に戦っている奴。来年結婚を控えている奴も居れば、受験生だという奴もいた。
     そんな話を聞いていると、俺の視界はそんな話に耳を傾けながら静かにグラスに口を付ける一人の後輩に向けられていた。


    「やあ、久しぶり」
    「先輩…?お久しぶりです」


     すっかり出来上がってしまった一部を横目に、俺は誰も気がつかないのをいいことに後輩の隣へとグラスを持って座った。

    「何年ぶりだろうな、元気にやってるかい?」
    「ああ、先輩はどうですか?」
    「俺は相変わらずの研究職だよ。安月給の休みなしってとこかな」
    「そうなんですか…俺は…」

     元々余り人と関わることの少ないこの後輩の面倒を見てやったことがあり、それ以来俺とこの後輩は何となしに卒業まで関わることが多くなっていた。先輩に対しては敬語も使っていたが、話の流れからだんだんと中学の時のようにくだけた言葉使いに戻っている。彼は、今現在牧場で競走馬の飼育に関わっているそうだ。生き物相手だから苦労も大きいだろうが、黙々と粘り強い彼に合っているのだろうと何となく想像してしまった。

    「相変わらず、お前は何も変わってないように見えるよ」
    「先輩も、変わっていないように見えますけど?」

     何気なく発した一言だった。しかし、そう言って返されると何も言いようがない。俺は変わったよ、少なくとも昔ほど子供ではなくなったと思うし考え方も何もかも変わってしまった。だけど目の前に居る後輩はあの頃と同じように俺の隣に居て、不器用に、ゆっくりと静かに話すその仕草なんかは全くあの頃と同じだった。だからそう口にしたのだが…

    「ちょっと、トイレに行って来る」

     後輩はそう言ってその場を立ち去っていく。その仕草が余りには一連の動作という呼び名に相応しい動きで、俺は後輩に何も言うことが出来なかった。
     中学のときは、それなりに俺としては誰とでも話すことが出来たし友達も居たと思う。けれどもあの後輩は前にも言ったとおり、人付き合いも苦手で己の感情を表に出すことも出来ず。周囲は嫌っていないものの、彼自身は他人とどう付き合っていいのかわからないままだったのでそれを少し手助けしてやった。彼は彼自身のまま、人に好かれることを知ったとき些細な独占欲が崩されてしまったような気がした。それは恋愛衝動というよりも自分のお気に入りが誰かに持っていかれたような気がしただけだったのであると俺は思っているのだが。
     だからこうして久しぶりに再開して、彼の纏う雰囲気から彼は成長してもあの頃の雰囲気から変わる事がないと知ったときにそれが少し郷愁を蘇らせたのだろう。あの頃に戻れるまでにはいかないにしても、それでもそれを味わえるだけでもこの同窓会に参加して良かったのだろうと思う。

     俺はその場が騒がしくなってしまったのをいい機会に、少し酔いを醒ましに座敷を出た。もう冬が近いのか夜のせいなのか風の冷たさが身に少し染みた。それでも、その空気は頭をすっきりとさせるのには十分だった。俺は、それから風邪を引かない内に店内に戻ると、その途中でトイレから出てきた後輩に出会った。

    「先輩?」
    「ちょっと酔い覚ましにね」

     一緒に座敷に戻ろうとするその途中、後輩の足が止まった。何があったのだろうかと俺は後輩の隣に立つ。

    「魚…」

     それは一つの水槽の前。小さな魚が数匹その中で泳いでいるのが見える。多分、熱帯魚の何かであろう。俺はそんなに魚の種類には詳しくないが、それが余りにも鮮やかな色だけにこの辺の魚ではないことは解った。多分食用というよりは、この店主の趣味かそれとも観賞用だけに飼っているのであろう。別の友人がこれを趣味をしているというのが思い出した。彼なら何というのだろうかと考える。
     後輩は、水槽の前でじっとその魚を見ている。そういえば、こいつはこういう類の動物や魚が好きだったことを思い出した。直ぐに戻る必要は無かったから、俺も彼の隣でそれを見ていた。そして一匹の魚が視界に入る。それは鮮やかな色合いの熱帯魚の中では一番地味そうな色合いをしていたが、それがかえって俺の中で一番際立っていた。何か、俺の中で引っかかっていたのだ。

    「そろそろ戻りましょうか」

     そう声を掛けられて、俺は意識をこちらに戻した。後輩はそんな俺を相変わらずですねと言いながらも非難することはなく。そして、そんな彼を見ている内に俺の中で引っかかっていたものがするりと落ちていく。

    −あの魚はこいつに似ているんだ−

     個性豊かな熱帯魚の中で、確かにあの魚は色彩が抑えられていた。付け加えれば、あの当時の俺達の部活のメンバーはそれぞれが個性的でちょうどあの熱帯魚のようだった。彼はその中でも地道に努力を重ねていたタイプで、けれどもそれが逆に俺の中で印象に残っていた。だからずっと関わって構ってやっていたんだろうか。

    「何笑ってるんですか?」
    「ナ・イ・ショ」

     あの時では知りえなかった己の感情を自覚した、笑うしかなかった。怪訝そうに見る後輩の隣で俺は一体どんな感情を持ちえていたのだろうか。




     その翌日、俺は熱帯魚を飼っている友人に電話をして色々聞いていた。友人は喜々として色々と教えてくれた。余りに話が長くなりそうだったので、その辺は適度に聞いてやり重要な部分を絞り込んだ。
     その後、俺が駆け込んだのはアクアリウムショップ。そして昨日あの店で見たあの魚をつがいで二匹購入した。一匹だけで良かったのだが、店員に二匹勧められたので断り切れなかったのもあるが、一匹よりも二匹の方が寂しくないだろうと思ったからだ。思いもよらぬ出費だったが、どうしても欲しかったのだから仕方がない。こういうのも1人暮らしのいいところだろう。

     それから俺が魚の飼育に慣れてきた頃、俺は後輩に電話をした。




     そこから先はまた、別の話。









    2003/12/06 tarasuji

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