042:メモリーカード −A smile of a machine doll−
もしも、貴方が消えてしまったら、私も一緒に消してください。
「それでいいのか」
「はい」
そう言い切った瞳は余りに真っ直ぐで。私を見つめるその微笑が余りに穏やかで。
そんな姿を見ているのが、見続けているのがこんなに身を切られるようだとは思わなかった。
目の前に居るのは一体の人形。
『ウィル』と呼ばれる家事手伝いの為に作られ、瞬く間に一般に広がった機械人形。
アシモフの作ったロボット三原則に従い、人の気に入る範囲でのみ感情というプログラムを
与えられ、人の望む程度の機能だけを持ち合わせた存在。
その存在は人々に受け入れられ、扱いや整備も簡単なために最近では日常生活に欠かせない
存在となった幸福にして不幸な人形たち。
そして、人間の1人1人にそれぞれの物語があるように、人形の一体一体にも物語は存在す
るのは当然のこと。
これは、プログラムを超えた感情が芽生えた人形の物語。
最後を静かに待つ、一体の人形の物語。
「ドゥフト、準備が出来たよ」
「ありがとうございます、Dr.」
ドゥフトと名づけられた機械人形が僕の目の前で、僕に頭を下げる。その仕草は人間と変わ
らず、僕は慌てて頭を下げてドゥフトは思わず笑みを零す。
白磁の肌、薄桃色の頬、オーシャンブルーの瞳、黒とも紺とも取れるような髪。その髪は男
の子のように短く切られてはいたが、もとは見事な長髪だということが想像出来る。そして
その顔に負けず劣らずのメリハリは無いもののバランスの取れたボディ。
その全てがぎりぎりの調和を奇跡的にもたらた存在であろうその外見は製作者の執念とまで
呼べるような、そんな鬼気すら感じさせる。無銘の作だとは聞いていたが、これは名のある
製作者が作った人形と比べても遜色のない出来であることは間違いなかった。鈴の音を転が
したような、夏のガラスの風鈴が涼しげに響くような声。優雅という言葉がしっくりとする
動き。その微笑は人であったならどれほどの賛美を持って迎えられていただろう。
いや、人形であるからこそこの美しさが今まで残されていたのだろう。傷つくことなく、運
のよいことに大そう愛でられていたのであろうということは想像出来る。
それを失うのを僕は惜しいと思った。
ドゥフトの意志を無視して、この美しい人形を自分の手元に置いてしまいたいという誘惑に
すら駆られていた。だけど、そんな事をしても空しいことも自分はよく知っていた。
僕のことを紹介しよう。
自分で自分の事を紹介するから、多少は装飾というか建前というか卑下というかそんな物が
混入しても許して欲しい。僕は自分に誠実にあろうとするが、それが為されているかといえ
ば答えは『NO』としか言いようがないからだ。だけど、僕はなるべく僕主観の視点ではあ
るがこれから語っていこうと思う。
名前はラティオ。
性別はものこの時代ではあっても無いようなものだけど、今現在は一応男ということになっ
ている。食べる為の生業としては人形屍生師を営んでいる。その名の通り機械人形『ウィル』
の制作、修理、再生…そして処分を請け負っている。『ウィル』にとっては僕の仕事は神と
も悪魔とも思われる仕事であることは間違いなく。最も、『ウィル』にそんな思考が持ち合
わされていればの話ではあるが。
正直言えば、子供の頃から当然のように存在していた『ウィル』を僕はそんなに好きだった
訳ではない。寧ろ彼ら、彼女らに対して覚えたのは恐怖だった。機械人形とは言えその性能
は人間と負けず劣らずだった『ウィル』は思考能力さえ存在していれば人間に取って代わる
ことだって出来たのだから、僕がそれを恐れる気持ちも判って欲しい。なら、僕が何故その
恐怖とも言える存在の生産・修理に携わったかは自分自身でも未だに謎なのだから仕方がな
いのだ。
ただ、僕は他の人形屍生師のように人形を愛しているからではなく、人形を恐れるが故に人
形にかかわるようになったことを覚えて欲しいのだ。だからこそ、『彼女』も僕を選んだの
であろうと後になって思う。
そんな僕の目の前に現れたのが、『彼女』であった。
ピンッ ポポーーン
調子外れのベルが鳴り響く。
僕は仕事の合間に邪魔されたので少し不機嫌に玄関のドアを開けた。
「何だい?こんな時間に…」
「ここは屍生師のDr.ラティオさんの家でしょうか?」
僕の目の前で、『彼女』がにっこりと微笑んだような…そんな気がした。最初は人間と見間
違えるところだったが、直ぐに彼女が『ウィル』だということが判った。屍生師をやってそ
れなりの期間が経つが、人形が単体でやってくるのは初めてだった。
僕は散らかりっぱなしの居間を人が座れる程度にまで片付けて、何とか『ウィル』を座らせ
る。その人形は、椅子の埃をハンカチで数度払うようにして吹き飛ばした後、ゆっくりと椅
子に座った。
「何の用だい、何処か故障したのか?」
人形は首をふって返答に変える。その口から紡がれた言葉は、僕の運命を変える言葉だった。
「私を、壊してください」
これが僕と『ウィル』……いや、ドゥフトとの出会いだった。
驚いたって、そりゃあ驚いたさ。人形が自分を壊して欲しいと訪ねてくるとは夢にも思わな
かった。普通、『ウィル』というのは機械人形だ。自分の消滅を望む人形などこの世界の何
処にも存在する筈がない。けれどもドゥフトははっきりと望んだのだ、己の破壊…死を。
僕は準備を口実にその作業を数日後延ばしにした。
ドゥフトは何処かの家で迷子になった挙句に、記憶中枢が破壊されているのかもしれない。
そうでなければ、人形が己の死など望むことなど有りえないからだ。まずはドゥフトの事を
調べてみることにした。仮に持ち主が居るとすれば、勝手に破壊などしてしまえば訴えられ
るのはこちら。面倒は御免だから俺は表・裏ところ構わずあらゆるデータから『ドゥフト』
という名の機械人形を探した。
しかし、何処にもそんな名の人形は存在しなかった。
『ウィル』というものはどんな人形も必ず何処かで制作されて、政府などに登録されている。
稀にモグリの場所で製造されるのもあるが、それは大抵粗悪品であった。しかし、目の前の
ドゥフトは違う。その人形は人形制作に関わっている僕自身でさえ驚かされる程の高性能の
人形で、これほどまでの性能と外見ならば必ず何処かで噂になっている筈である。しかし、
それは全くなかった。ドゥフトは僕が調べている間に僕の手伝いをするようになり、汚れて
暗く、湿気を帯びていた家は見違えるほどになっていたのだ。
その能力と、人と全く変わらないように見える考え方は僕の心に不思議と心地よさを与えた。
そうしているうちに、この人形を壊すのが惜しくさえ思えてきた。だから僕は思いきって聞
いてみたのだ、ドゥフトが破壊を望むその理由を。
ドゥフトは困った顔をしながら、彼女は一度椅子に座ると首筋から一枚のカードを取り出した。
それは、ゲデヒトニスと呼ばれる部分…判りやすく言うならメモリーカードとでも言えばい
いだろう。それは人形の記憶や経験と呼ばれる部分全てを司っている。
僕は、それを受け取った瞬間、ドゥフトはそのまま動かなくなった。メモリーの不足による
一時的な稼動停止のプログラムの一つである。僕は、機械にそれを差し込むと閲覧を始める。
それは、彼女が生まれる前の
それは、彼女が生まれた後の
それは、彼女が幸せだった時の
それは、彼女が悲しかった時の
記憶の全てだった。
僕は、思わず隣に居たドゥフトの方を見た。何の反応を示す訳でもないのに、どうしてもそう
してしまった。
ドゥフトの瞳からは、涙が溢れていた。
人形は、泣くことが出来ない。そうプログラムされていないのに。
僕は、見てはいけないものを見てしまったような気がして慌ててゲデヒトニスをドゥフトの中
にセットしなおした。
ドゥフトが僕に視線を向ける、そして最初見たあの微笑みを向けた。
「私を…壊してください」
「ドゥフト、準備が出来たよ」
「ありがとうございます、Dr.ラティオ」
最後の微笑みを僕に向けて、彼女はゆっくり瞳を閉じた。その微笑は今まで見たどの『ウィル』
よりも美しかった。僕は、彼女のゲデヒトニスを抜き出すと、彼女の起動プログラムを破壊する
プログラムをドゥフトに送り込んだ。機械人形の体がプログラムとに侵食され、その優美な微笑
みも体も、その全てが鈍(にび)色の錆に侵食されて自己融解していく。
僕は、ドゥフトが消えてなくなるまで瞬きするのも忘れ、ずっとそれを見続けていた。
涙一つ、出なかった
僕は、異国の海が見える丘の上にある小さな墓の前に居た。
墓に名は刻まれていない。
「君との約束を果たしに来たよ」
僕は園芸用のスコップで小さな穴を掘ると、そこにポケットから取り出したゲデヒトニスを埋める。
土をしっかりかぶせ、掌で何度も何度も叩いて穴を埋めた。
ドゥフトの記憶の中で一番大切にされていたこの場所に、ドゥフトを埋める。
ドゥフトが最も愛した人間がここには眠っている。
それを望んだのは彼女自身。『ウィル』としてではなく、ドゥフトという存在としてここに眠らせて
欲しいと願い、僕はそれを叶える。
僕はドゥフトを愛していたのだろうか…それは否だ。
ただ、僕は…僕はドゥフトのあの微笑みに揺り動かされただけだ。
だから、おやすみ。
彼女の記憶と共に僕の感情も埋葬して、僕はその丘から立ち去っていく。
僕のメモリーから、彼女の微笑みを消去した。
それでいいのだと僕の中で誰かが囁いた、それはとても懐かしい声だった。
2003/07/03 tarasuji
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