041:デリカテッセン
何もない、何も変わらない日常の終焉
僕と彼女は夕飯を共にする。
メニューは外食だったり、彼女の手作りだったり、僕の手作りだったり、お惣菜だったり、インスタントだったり。それぞれに、都合が悪いとき以外は僕は彼女と夕飯を共にするようにしていた。
僕と彼女は家族ではない。
僕と彼女は血など繋がっていない。
僕と彼女は恋人でもない。
僕と彼女は友人でもない。
だけれども、僕と彼女はほとんど毎日のようにこうして一緒に夕食を食べている。それは最早僕らの習慣と化していて、それを今更違和感を覚えることがなくなっていた。
僕らは、食事の間ほとんど喋ることはない。
話をしたとしても必要最低限の挨拶と「いただきます」「ごちそうさま」という挨拶だけだ。挨拶だけはきちんとしろと母親に躾けられた成果だと僕は思っている。だから、僕は彼女が何の仕事をして、どんな家族構成で、何が好きで、何が嫌いで…そんなことを全く知らない。それは彼女も同等なのだが。
互いに知っているのは互いの食の好みだけである。それも直接相手にそれを告げることはしない。互いに苦手なものがあれば残すのだ。その残った量・食材・味付けなどと相手の反応を見取って次からは味付けを変えるなどの工夫を凝らす。
だから、互いに知っているのは名前と食の好みのみ。
この奇妙な儀式のような生活を人に話せば『変』という一言で片付けられるであろうことは確実なので、僕はこのことを誰にも言っていない。ただ、人に言うことで僕たちのこの習慣が崩れてしまうのを恐れたからだ。それは彼女も同じだったのかどうかはわからないが、少なくとも彼女も僕と似ている人間なのは間違いない。そうでなければこんな習慣など続くこともないだろうから。だからこそ僕は彼女とこうして毎晩夕食を採るだけの関係を続けているのだから。
彼女とそうして過ごし始めてからもう一年が過ぎようとしていた。そもそも彼女と出会った経緯すらもう覚えていない。僕はそんな人間だ、それもこの生活がここまで続いた理由かもしれない。彼女は少し細い顔立ちにキツイとも言える眼鏡をかけて長い髪を後ろで一つに纏めている。どこかしらに『地味』というイメージが付きまとうのは僕だけではないのかもしれない。けれどもそんな彼女が夕飯を食べたときにほんの僅かに見せる表情の変化が、僕の感情を揺さぶるときがある。時折見せるそれが僕にあれこれの想像を膨らませるが彼女にそれを告げることもたずねることもしない。彼女もそれは同じだった。
夕飯を終えると作らなかった方が後片付けをすることもいつの間にか習慣化してしまい、後片付けが終わると互いに自分の部屋に戻る。僕と彼女は一緒に住んでいる訳ではない。この場所は二人で夕食を食べる、ただそれだけの為に二人で借りた場所だった。互いに不満もなく家賃も折半、そう高い家賃でもなく互いの自宅も近いらしい。(僕は近いが彼女はそうでないかもしれない、何せ僕は彼女の自宅を知らない)
言い訳めいた話だが、僕と彼女の間には性的なことも、いやそれ以外のことも全く何も無かったのである。世間ではそう見ないかもしれないが、それだけは確実だった。それに互いをそういう対象にしてみていなかったのかもしれない。
以前何処かで聞いたのか読んだのかもう忘れてしまったが、食事をすることはセックスをすることと同じだということが印象に残ったことがある。それは相手を食べる、という行為がいかにエロティックで即物的、現実的な快楽中枢を刺激するとか何とかいう話で、それを考えればセックスも食事も人間の本能に近い行為であることは間違いない。『子孫を残す』『生命維持』理由は違えどもその本能的な、相手を食らい、飲み込む。その動きは官能的な部分をも引きずりだし、互いの充足感を満たすというらしいが、一体どこまでが僕が知った知識でどこからが僕の考えなのか既に境界線は曖昧になりつつある。しかし、それはそれで満足するのだが、僕だって立派とはいえるかどうか判らないが成人男子であり肉体的な欲求は彼女以外の方法で充足しているのだが。
だからというか、それだけで僕は充足していたのだから彼女の素性を知ろうなどという欲求は不思議と起こらなかった。彼女がいて、ここで一緒に夕食をとる。それでいいのだと思っていた。
そんな生活も長くは続かない、それは互いに承知の上だった
その日の夕食は、最近僕が気に入っている惣菜屋のコロッケだった。
以前、僕が気に入って夕食に出したそのコロッケは今時珍しくもないが、ジャガイモとひき肉の割合がかなり巧妙でジャガイモのホクホク感と肉汁のジューシーさ。そして衣がサクサクと口当たりもよく油もしつこくない。最近開店したばかりだが、この主人の腕の良さを見せ付けられるものであった。僕は時々買い物帰りにここのコロッケを頬張りながら帰るのが楽しみになっていた。
彼女も僕も旨い物には目が無いほうであるから、彼女もここの惣菜屋を気に入ったのであろうか。だとしたら僕は少し嬉しい気分になった。いつも通り「いただきます」から始まる夕食が始まる。僕も彼女もいつも通りで無言で夕食を食べていたそのときだった。
「私、明日田舎に帰ります」
彼女の声がそう僕に告げる。挨拶以外にほとんど聞くことのない彼女の声は意外としっかりしたものでそれが彼女に合っているなと僕は考えていた。その言葉はただ、それだけの意味でしかなくていたって感情など微塵にも現れない事務口調だった。その方面の仕事でもしているのだろうかそれは彼女から自然と現れたような気がする。
「そうですか、じゃあ明日不動産屋に行ってこの部屋を解約してくるよ」
僕の声は彼女に何と聞こえていたのだろうか。それを確かめる術はなく、僕はその一言を告げただけだった。その日は僕が後片付けをした、けれどもやはりいつもと同じで二人とも終始無言のままであった。僕は明日解約するのならこの部屋の荷物(調理道具)をどうしようかと考えていた。部屋は今流行の家具付きの為、家具の方の処分は要らないが調理道具は互いに持ち込んだものもあり自分の分はともかく、彼女の持ち込んだ分もあるのだ。
そんなことを考えていると彼女が僕の考えを読んでいたかのように、自分の持ち込んだ調理道具を段ボール箱にしまい始める。ガチャ、カチャと硬質な音だけが部屋に響いていた。彼女は綺麗に緩衝材に調理道具を包むと丁寧にダンボール箱に収めていく。僕はその作業をじっと見ていた。彼女の持ち込んだ量は彼女一人で運べることは出来ず、僕は彼女に手伝いを申し入れると彼女は素直にそれを受け入れた。
近所の宅配を扱っている小売店に荷物を運ぶ。僕も彼女も時々そこで食材を購入したことがあったから店の主人であろう中年の女性がこちらに声をかけてくる。僕は曖昧にそれに相槌を打っている間に彼女は伝票書きをしていた。中年の女性は僕らを恋人か夫婦か勘違いしているようであったがそれを否定することも説明するのも面倒なので適当に答えておく。この適当とはいい加減という意味ではなく、適切にことに当たるという意味である。僕は時々そういう言葉に敏感なことがあって知人には不思議がられているが、教師でもないのにそんなことをいうのは確かにそうなのかもしれない。一応僕らの関係は『知人』なのだと。中年の女性はそうなのと笑いそこで彼女が会計をする。荷物はかなり重かったので僕は中年の女性が指示する場所まで運んでやった。中年の女性は礼だと僕と彼女に飴を一個ずつ差し出した。子供でもないが、こういうオマケというのはいつになっても嬉しいものである。
彼女と僕は再び部屋に戻る。彼女は荷物から自分の合鍵を僕に返し、僕はそれを受け取った。それが最後だと僕らに示すこととなった。
「ごちそうさまでした」
「ご馳走様」
僕は鍵を掛ける。その音がこの時間の終焉だった。僕も、彼女も互いに後ろを振り向かず自宅の方へ戻っていく。正直に言えば、彼女が戻ってこないかという幻想を抱いてもいたがそれがあるぐらいなら僕らはこういう関係を保ってはいなかったと思う。二度と会うこともないだろう彼女の面影はいつも食べているときだけだった。名前も住所も素性も知らない彼女。今思えばあの何もなかった関係がたまらなく愛しい。明日からは自分の部屋で自分のためだけに夕食を作り食べる。なんてことは無い、一年前に戻るだけだ。
無意識にポケットの内側を探ると先程貰った飴が入っていた。僕は包みを開けて口に入れる。それはソーダの味がした。
僕はそのソーダ味の飴を舐めながら無償に、あの惣菜屋のコロッケが食べたくなっていた。
2003/09/24 tarasuji
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