039:オムライス
今朝は目覚めが良かった。
外の空気は冷たくなく、暖かすぎず。そしてまだ暗い中私は家からこっそり出る。
近所の公園までジョギングをして、近所のラジオ体操に参加してそれからストレッチをし、自宅まで戻る。
冷たい水で洗顔して、それがとても心地よくて。腸の調子も快調、さて準備は万端。
そうしている内に友人が私を迎えにやって来た。
私は昨日選んだあの服を着て、荷物を持って友人と共に出かけていった。
途中の神社で神頼みし、目指すはあの場所へ。
-レストラン『Gold Egg』-
「いらっしゃいませ〜」
少し間延びしたウェイトレスの声、少し黄色がかったその場所は席は満杯に近かった。少し待たされたがそれ
もまた計算のうち、食べものは待った方が美味しいものである。
このレストランは最近近所のオープンしたレストランで、その味と最近テレビに紹介されただけあったいつ来
ても満杯である。今日も、お昼時を外してきたとは言え既に店には行列が出来るほどの状態であった。
15分待ってようやく私と友人はテーブルに案内された。ウェイトレスが水とおしぼりを運んできた。
「やあ」
「あ、来てくれたんだ」
「うん、あんたがバイトここに決まったっていうから見にきたんよ」
「やだ〜、この制服似合う?」
このウェイトレスは私の同級生で、忙しくなったせいで人手が必要なこのレストランでバイトを始めたのだと
いう。そもそも今日私がここに来たのはここでバイトを始めた同級生の冷やかしと、もう一つの理があった。
私と友人は仕事中の彼女を冷やかすのを一旦中断した。周りが余りにも混雑しているのと、彼女がクビになっ
たりさせるのも何だかな、という理由から。私と友人は早速メニューを開く、ウェイトレスの彼女も仕事の顔
になった。友人との出会いに吃驚はしていたようだったが、こう見えても公私の区別は彼女は付いている。
「じゃあ、私は『チキンクリームソースのオムライス』のSと、セットでサラダとデザート」
友人が注文した。私はメニューのある一点を見つめてそして、顔を上げる。
(後悔するなら今のうちだよ)
私の何処かでそう囁く声がする。しかし、もうここまで来たのだ。今更引き返すことなど出来やしない。私は
もう一度財布の中身を確かめると思い切って声を上げた。
「この、5Lサイズの特大オムライスチャレンジに挑戦する」
一瞬、ウェイトレスの彼女は驚いた顔で私を見つめる。
「本気なの!?」
「ええ」
最早、女に二言はない。彼女もそれ以上何も言う気は無いらしく伝票にオーダーを書き込んだ。
「ご注文を確認します。『チキンクリームソースのオムライス』のSにセットでサラダとデザート。それに、
5Lサイズ特大オムライスチャレンジで間違いありませんね」
「はい」
「では少々時間がかかりますがお待ちください」
そういってウェイトレスの彼女はテーブルから離れていった。そんな私を向かいに座った友人が心配そうに見
ていた。
「本当に大丈夫?」
「さあ」
「さあ……って」
「ま、何とかなるでしょう」
この店は雑誌で紹介されて有名になったのには味もさることながらもう一つの理由があった。それこそが、私
が今頼んだ特大オムライスチャレンジである。よくテレビ番組で大食い&早食いチャレンジを行っている店が
あるが、この店もその一つであった。特大オムライスを30分以内に完食すると賞金一万円がもらえるのだ。
おまけにこの店に写真が飾られるという特典もあるのだが、こちらはさほど重要ではない。やはり目的はその
賞金なのだが、これを失敗する逆に5000円(税抜き)徴収されるのは痛いが、試してみる価値はある。私が朝に
走っていたのもその理由があったからだ。まあ、賞金は副次的なもので本当の理由は一度食べてみたかったか
らという本当に安易な理由からであったが。
「お待たせしました」
そうこうしているうちに目の前にオムライスが運ばれてきた。友人のは普通だったが、私の目の前に運ばれた
のは…頼んだ本人でさえ驚く代物であった。それも直径30pはあろうかという皿にこれまた皿からはみ出し
そうになるくらいのボリュームのオムライスがデンと乗っかっていたからだ。そしてソースはデミグラスの匂
いをプンプンと漂わせていた。思わず隣の人も、それどころか周囲のテーブルの人々もそれを見て目を丸くす
る。店内の視線が私とそのオムライスに集中していた。
コックらしい人が私のテーブルにやってくる。多分、この店のご主人だろう。
「それでは、再度ルールを説明いたします。このオムライスを30分以内で完食する、ただそれだけです。こ
のテーブルの上の調味料はご自由に使用なさって結構です。水のお代わりが欲しいときはこのウェイトレスに
申し付けてください。貴方が無事完食なされば一万円、もし失敗なされば5000円頂きます」
「はい」
「ではいいですね。・・・・・・用意」
騒然としていた店内が今静寂に包まれている。否応が無しに私も緊張してきたのかスプーンを持つ手に力が込
められる。
「スタート!!!!」
店内が一斉に沸いた。
合図と同時にスプーンがオムライスの城を崩しにかかる。崩したと同時に口に運び、飲み込む。飲み込むのと
同時にまた口に運ばれる。先程も言ったがここのオムライスは絶品である。口に運んだ途端ぱらりとなる中の
ライス、ふんわりした食感の卵、デミグラスソースのコク。どれをとってもプロの仕事を感じられる。
しかし、今のわたしにはそれ以上の余裕は持てなかった。
崩しても崩しても減らないオムライス。最早口の中は卵のふんわり感も、ライスの味も、デミグラスのコクも
何処かに去ってしまったからだ。ただ、口に入れ飲み込み、また口に入れ…それだけを繰り返す。
時々、水を少しだけ口に含む。多量の水で流し込むことも多いが、今それをしてしまうとオムライスの入る余
裕がなくなってしまう。本当に口直し程度だけに含むだけであった。
「残り10分!」
周囲の音も、今どのぐらいなのかも全くわからない。ただ、腹がキツイ、重い、熱い、苦しい…そんな感覚だ
けが私を支配し始める。一口目は美味しかったオムライスの卵の味、ライスの、デミグラスソースの味が、だ
んだんと嫌なものに変わっていく。
嫌だ
嫌だ
嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
もう止めたいのに
なのに、何故私はまだ食べようとしているのだろう。
「残り1分!」
店内の騒動とは裏腹に、私の周囲は静かだった。
オムライスは残り一口だった。だけど…食べたいのにスプーンが動かない、これまでなのかな…私。
「残り30秒!!」
どうしても、これ食べなきゃいけないのかな…
「あと15秒!!!」
ここまで来たんだもん、もう5000円(税抜き)払って止めてもいいや。諦めに入ったその瞬間、向かいの友人の
声が聞こえてきた。
「あんた、賞金で新しいゲーム買うんじゃないの!?」
そうだった!
今日発売の新作ゲームを買うためにはどうしてもここの賞金が必要なのだ。
発売まで3年も待ってようやく発売するのに、待っていたのに!だから、今ここで諦める訳にはいかない!!
「残り10秒、10、9……」
私は最後の力を振り絞ってスプーンを口に運んで飲み込んだ。間に合ったのだろうか、それすらも判らなかった。
店内は歓声と拍手に包まれていた。
「おめでとう、間に合ったよ!!」
最初に気が付いたのは友人の声だった。オムライスの乗っていた皿には米粒一つ残っていなかった。ウェイト
レスの彼女が凄いと抱きついてきた。店の主人が一万円を手渡し、その時店に居た客の皆が私の近くに寄って
きて、そして皆で記念写真を撮った。本当に嵐のような瞬間だった。
私は腹と口元を押さえながら、財布の中にしっかりと賞金を入れて友人に支えられながらその足でゲームショップ
に向かっていった。
しかし、ゲームは買えたものの、ようやく家にたどり着いた時点で私は満腹のあまりに眠ってしまい気が付い
たら朝になってしまった。オマケにその次の日の夕方まで食欲が無かった。更にその日の夕食はオムライス
だったのだ。
私は、当分オムライスは見たくも、食べたくないと心に誓ったのは言うまでも無い話であった。
2003/03/07 tarasuji
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