036:きょうだい −A smile of a machine doll 10−
「姉さま、姉さま」
私の後ろを追ってくるのその姿が、私は大好きだった。
その追ってくる姿がとても好きで、私はわざと逃げた。
逃げる私を追いかけてくるその懸命な動きが、私を求めているという証であるかのようで。
私だけを見ていて、私だけを求めて。
そして何処までも追って来て。
私は貴方なんかに捕まらない。
私は貴方なんかに捕まりやしないのだから。
だから何処までも追っておいで。
いつまでも逃げ切ってみせる。
埃の舞う街に訪れたのは風の強い日だった。
あの少女が私の目の前に現れたのはそんな日だった。目の前に現れた少女は不安だと言う表情を作り私の家のチャイムを押した。私といえば、今朝太陽が昇る直前まで仕事をしており先程ようやく床に入ったばかりだったのだから、安眠を妨害する訪問者に対して優しく出来るかと言えばそれは、否である。もう少しで夢の世界の住人として生活できる直前だったのであると思えば、そのけたたましく鳴るチャイムの音は悪魔の呼び声に等しかった。
無視してしまえばよかったのだ、しかし、ひっきりなしに叩かれるドアと鳴り続けるチャイムの音に私の方が根負けしてしまったと言えばいいのだろうか。とにかく近所迷惑であることは間違いなく、私は重い体を騙し騙ししながらドアのところまでようやく辿り着いた。
「勧誘ならお断…」
「この人の居場所知りません?」
目の前に突きつけられた一枚の写真。そしてそれを持ってにこりと微笑む少女。
「知りません、じゃ…」
関わらないに限る、関わらないに限る。意識ははっきりしないまま私はドアを閉めようとするが、それは不可抗力と言う奴だった。閉めようとしたドアは、目の前の少女の手によって反対側の方向に開こうとしていた。おかしいなあ、腕相撲は弱い方では無かったんだけどなあ…とか考えている余裕もなく、目の前でドアは予想外の方向に開き始め、挙句の果てには…ドアは外されていた。
呆気に取られる私に構うまでもなく、目の前の少女はもう一度目の前に写真を突きつける。
「だからここが最後の砦なの、逃がさないからね!」
私に反論の余地は最早存在しなかった。
「それで、こんなところに【ウィル】が出向いてくるなんて?」
「何で分かるの!?」
「人形屍生師が見間違うわけないでしょ」
向かいあったまま、数分少女は先程の強気さは何処にいったのか、一言も語らない。そして先程私に見せた写真をもう一度じっと見ていた。そして、その写真と私の顔を交互に見やると、口を一度引き結んだ。
「アンタ、私の姉さんを何処にやったの!?」
興奮冷めやらない少女を落ち着かせると、少女は少しずつ事情を語りだした。
彼女は一見普通の少女に見えるが実は精巧な機械人形【ウィル】という存在である。簡単に説明すると、【ウィル】とは人間を模倣して作られた精巧な機械人形。見た目では余りそれだと解る特徴もなくどんな場面でも戦闘が可能だという人形。人の欲望の為に存在する、人に都合がいい人形。人形は人とそっくりに作られているけれども、感情も持ちえているけれども、自由だけは存在しない。特殊な法律と不文律が人形の全てを支配している。
私の仕事は人形屍生師という。聞きなれない名称だが勘弁してもらおう。私の仕事は目の前にいる人形の設計から製作・そして破壊と再生まで人形に関する一切の仕事を請け負うことである。中には、設計に特化した人や、製作に特化した職人もいるが、基本的に【ウィル】がここまで浸透した現在社会においてもこの職業はかなり知識も要るものである。なりたいからといってなれるものでもないのだ。
私はそんな中でも駆け出しを少し卒業した程度なのだが、一応食いっぱぐれの無い程度には仕事もある。けれども、突然【ウィル】が自宅に押しかけてくるなんて出来事は今まで遭遇したことは無かった。
「それで、あんたはあたしの姉さんを何処にやったの!答えなさい」
「それは出来ない」
「何で!?」
「突然押しかけて、名前も名乗らない無礼者に答えることなどない。それに君のそんな行動を見たら姉さんは何と言うのかな?」
その一言に黙ってしまった人形の少女は、両の拳をぐいっと握り締めて、少し悔しそうに眉を寄せて、それから私の方にその口を小さく開ける。その声はずるいだの卑怯者だの意地悪だのという単語が一番近いのだろうか、それを知ったらまたそれ以上に言われそうだったのは確かだが。
目の前の少女は語りだした。
少女の名はエルマーナと言った。少女は皆は自分のことをエルかエルマと呼んでいるといった。だから私も彼女をエルと呼んでいいか了承を取ると彼女は快く了解してくれた。
彼女は姉と呼んでいる機械人形はソレッラ。彼女が最初に私に見せた写真に写った娘のことであった。勿論機械だから本当の姉妹ではない、多分同じ工房で作られたのであろう。機械人形は同じ工房の作の機械人形同士だと仲が良くなることも珍しいものではない。中には兄弟姉妹と呼び合う人形も多いのだから。
彼女、エルの話によればそのソレッラという機械人形がある日を境に姿を消したそうだ。そして、エルは行方を捜しだし、辿り着いたのがここだということであった。
「名前も、事情も説明したわ。だからあんたが姉さんを何処にやったか教えなさい!」
結構激情家の娘らしい、彼女の口調は強いもので私は一瞬このまま逃げ出そうかと考えたくなってしまった。けれども、そんな態度を取られるのにももううんざりだ。だから私は言ってやったのである。
「確かにソレッラの居場所は知っている、けど言えない」
「どうして!?」
写真の人形・ソレッラの事を確かに私は知っていた。けれども今、エルにそれを言うわけにはいかない。けれど、目の前でエルが表情を崩すのを見て私は少しだけ、神心が舞い降りた。
「私とソレッラとの約束だ」
いつだって記憶の彼方に存在するのは彼女の姿だ。
「ねえ、貴方に“きょうだい”はいる?」
「貴方が質問する意味での“きょうだい”は存在しないね」
「私には居るわ」
「【ウィル】に“きょうだい”なんてあるのか?」
「しっつれいねー、そりゃあ貴方達人間のように【血の繋がった】というのは出来ないけれども【ウィル】にだって“きょうだい”っていうのは存在するのよ」
「そりゃあ、興味深い」
「同じ人から作られた人形の中には、それだけで呼び合う【何か】が存在するらしいの」
「・・・で、あんたにはそういう存在がいるってことか」
人間でも仲のいい悪いは存在するが、機械人形の間にそんあ関係があるだなんて初めて聞いた。だから、私は最初そういう話など信じてはいなかった。そんな私の問いに彼女はこう答えたのだ。
「ええ、いるわ」
人間の中でも最近は見られない、迷いの無い瞳で彼女はそう答えた。
「だとしたら、見てみたいね」
「多分、いつか分かるわ」
「そう?」
「ええ、だって貴方は“私”という存在に関わってしまったんですもの」
彼女は笑っていた。私は彼女の言っている意味が掴めなくて、もう一度尋ねようとしたが彼女の姿がだんだんおぼろげになっていく。私は彼女の姿を捕まえようとするが体は動かず、そして彼女の消えていこうとしている姿に声を掛けることしか出来なかった。
「ソレッラ!!」
目覚めれば知っている馴染みのソファーの上。
そうか、あれは夢だったのかそれとも遥かな過去だったのか。
しかし、思いをはせている余裕は無かった、私は周囲を見回すが誰一人居ない。
−姉さんは、貴方とどんな関係だったの?−
脳裏に覚えのある声が響く。私は誰も居ない部屋でここにいない誰かに向かって語りかける。
「君の姉さん、ソレッラは私の遥か昔の大事な友人。だから、本当は妹だろうと誰にも教えるつもりなんてなかった」
−じゃあ、どうして姉さんは姿を消したの?−
「私にはわからない」
−何故、私に教える気になったの?−
「エルが余りにも一生懸命だったから」
私はエルの熱心さに、ソレッラの行った場所を教えた。その後、エルは満面の笑みで礼をいいながらこの場所を駆け出していった。その姿は春風のように希望だけを信じて走っている瞳だった。対称的に、私の中では寒風だけが胸のうちを吹き抜けていた。
「なんて女だ、あんたは。何て奴だ、俺は」
それは自嘲にすらならないような囁き、呟き。
彼女が一生懸命だったから教えただなんて嘘だ。本当は教える気が無かったというのも嘘だ。
私も、あの女も本当に詐欺師だ。
また、彼女の、ソレッラの面影が浮かぶ。
「もし私を探してあの子がここに来たら…」
「あの子?」
「私の妹、私の一番大好きな妹」
「その妹さんに何をすればいいんだ?」
それはソレッラと最後に出会った日の夜。
「妹に私の居場所を教えないで。少なくとも3年後の今日までは」
「何で、大好きな妹なんだろう」
私が意地悪く笑うと彼女はこういうのだ。
「私はあの子が一番大好きよ。まっすぐで、愚かで、私を作った存在に一番似ている」
「なら・・・」
「だから追いかけさせるの」
「ソレッラ・・・」
「私はあの子にずっと追いかけてもらうの」
「・・・馬鹿か」
「貴方には一生分からないわ」
彼女は、くるりと回ってそれから一呼吸置いて微笑んだ。
それは私がまだ人形屍生師になる前の話。
ソレッラとは私の師匠の元で調整をしていたときに出会った。元々短い間だったというのに、ソレッラは私と仲が良くなった。そして、私と彼女はこの約束を交わしたのだ。
私は約束どおり彼女の妹に伝えた。そもそも、ソレッラに見せられた人形の写真を見ていたのだから私はエルを見て思い出したのだったし、忘れることが出来なかったのだ。
エルはまた何処かで姉を探しているのだろうか。
大好きだという姉が何を考えているか分からないままに。
永遠に逃げ続けるソレッラと永遠に追い続けるエルマーナ。
出会うことの無い“きょうだい”の追いかけっこに終止符が打たれることがあるのだろうか。
私はどちらを応援するべきなのか。
ふと、寒さが肉体にまで忍び寄ってきていた。
それを考えるのはまた今度、今はひとまず眠りたい。そう考えるとそこらにあった毛布を被ってもう一度ソファーの上で寝ることにした。
−せめて、夢の中で会えることを祈って−
2003/12/11 tarasuji
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