029:デルタ
いつも気持ちは空回り
何処に行けば辿り着けるのだろう
俺のすきなひとには、もうすきなひとがいる。
諦めようと思っても、どうしても諦められない。でも、もっと困ったことに、その人がすきなひとは
きらいになりたいのに、きらいになれないひと。
好きな人がいる。
だけど、私の好きな人はこの世で一番私を憎んでいるはずの人間で、彼は私を受け入れてくれない事
は明らかなのにどうしても諦めることが出来ない。
私を愛してくれる人がいることは知っている、だけど彼への思いは冷めることはなく。
愛する人がいる。
彼女が他の男を思っていることも、そしてそれ故に苦しんでいるのも知っている。いつかは、自分に
振り向くことを願っているが、彼女の幸せを切に願う自分もいる。彼女が愛する男が自分を慕ってく
れていることを知っている故に、無下にできない。
ある晴れた昼下がり
ビュッテヒュッケ城のレストランにパーシヴァルは遅い昼食を取っていた。
「パーシヴァルさーん」
向こうから自分の名を呼ぶ声が聞こえる。声だけで誰かはもうわかっていたが、彼は声のするほうに
ゆっくりと振り向いた。
「ヒューゴ殿ではないですか、どうなされました?」
現れたのは炎の運び手の盟主となる少年、ヒューゴであった。彼は息を切らしてパーシヴァルのほう
に駆け寄ってきた。
「あの…これからお昼ですか?」
「ええ、先程はあまりに混雑して座れなかったものですから」
「あ、俺もなんだ。だから…その…」
ヒューゴはパーシヴァルの顔を見て何か言いたそうだったが、口がはっきり開かないのか言葉が明瞭
に聞き取れない。ヒューゴが何を言いたいのか察したパーシヴァルが微笑んで声を掛ける。
「じゃあ、一緒に食べませんか。一人では味気ないと思っていたところですから」
「うん!」
途端に少年の顔が笑みに変わる。確かにヒューゴぐらいの年齢になれば、一人で食べるのが味気ない
と子供のようなことは許されないだろう。カラヤの民なればそういう部分は更に厳しいことであろう
とパーシヴァルは推測していた。それに、ヒューゴは炎の英雄を引き継いだ人物であり、この『炎の
運び手』の盟主たる人物でもある。彼から頼めば反対することは難しいだろうし、それならば自分の
方から声を掛けたことにすればヒューゴも居心地が悪いという事はないだろうとも予測できたからで
ある。それが大体当たっていることは、今のヒューゴの嬉しそうな顔を見れば外れていないことは確
実であった。
ヒューゴはパーシヴァルの真向かいに座ると、メニューを顔の前に立てて何にするか迷っていた。何
しろここのコックのメイミが作る料理はカラヤでは見たことも食べたこともない料理ばかりで、おま
けに毎日目新しい料理が増えているせいか、いつも何を食べるか迷う羽目になるのだ。
「これもおいしそうだし…でもあっちも…」
メニューの前で迷っているヒューゴが年相応の少年に見えて、パーシヴァルは微笑ましく感じた。
「これはまた珍しい組み合わせだな」
そういって二人の前に現れたのは、銀の乙女、ゼクセン騎士団長の名で呼ばれる女性クリスだった。
「クリス様!」
「クリス…さん」
二人の視線が自然とクリスに集まる。彼女はそれを気にもしないように見えた。
「たまたま、昼食をとるのが遅れたので一緒にとでも思いましてね、クリス様は?」
「私も似たようなものだ…ふむ、丁度いい、私も一緒で構わぬか?」
「私は構いませんが、どうする、ヒューゴ殿?」
「俺も…いいです」
「すまないな」
クリスは隣のテーブルから椅子を一つ借りてくると、ヒューゴとパーシヴァルの間に場所をとり腰を
かける。それに合わせてヒューゴは少し位置をずらした。ちょうど3人の位置関係が三点となり上か
ら見た時点で正三角形のような位置である。それから、すぐにそれぞれが注文したものが届き、3人
は時折、現在の情勢についての会話をしながら昼食をとったのである。勿論、会話を切り出すのはい
つもパーシヴァルであったことは蛇足ながら付け加えておこう。
この奇妙な昼食が終わったあと、ヒューゴは一人で大きな溜め息をついていた。
「いい若い者が、こんな昼間から何を悩んでるんだい?」
突然、背後から声を掛けられてヒューゴはビクリと身を震わせ声の方に体を向ける。
「ナ、ナッシュさん!?」
「よお」
その姿を見てヒューゴは身構える。この男は一見人の良さそうな顔をして実は油断ならない人間だと
いうことはチシャ村の一件以来十分理解できていたからだ。
「おいおい、別に俺はお前に危害を加えようって訳じゃないぜ」
両手を挙げて降参のポーズをとっていたが、それでもヒューゴはまだ疑っている。
「悩みがあるなら、おじさんが色々聞いてあげよう。こう見えてもお前さんよりは年とってるし、何
かいい解決方法が見当たるかもしれないぜ」
普段なら絶対信用しないはずの人物だったが、今はこの男に頼りたくなった。ヒューゴは身構えを解
き、年齢よりも幼い顔でナッシュの方を見た。
「本当・・・?」
「ああ」
「じゃあ、聞きたいことがあるのだけど……」
ヒューゴの悩みを聞き終えたナッシュが次に目指したのは銀の乙女、クリスの部屋だった。幸いにも
いつもは彼女の側から離れないルイスも何らかの用事が出来たと、留守にしている。図らずともクリ
スと二人きりになることが出来た。
「何の用だ」
「これから、このオジサンとデートでもしないかと思ってさ、お誘いにあがりました」
「剣の錆になりたいか?」
腰から剣を抜きそうになるのを押さえて、ナッシュは全身冷や汗ものであった。
「…じょ、冗談ですよ。実は、ヒューゴ殿から…」
「ヒューゴがどうしたって?」
突然の剣幕にナッシュも驚き3歩後ずさる。
「パーシヴァルと遠乗りに行くから、彼をお借りする…クリス?」
「そ、そうか」
取り繕って見せるものの、先程の醜態に近い状態でクリスの顔は紅潮していた。冷静沈着な騎士団長
はそこにはおらず、居たのは一人の女性だった。
「なあ、クリス」
「何だ」
「聞きたいことはそれだけではないだろう?」
自分の内側を全て見透かされているようで、クリスは不思議にこのナンパ男に自分の心のうちを語り
たいという衝動に襲われた。
「ナッシュ、私は……」
アンヌの酒場で今日も夕食をとっていたナッシュは、そこに一人で現れた青年に目をやった。
「よお、パーシィちゃん」
「その呼び方は止めて下さい」
カウンター席に座ったパーシヴァルの隣に、ナッシュもグラスと夕食をもってやってくる。そして、
有無も聞かずに彼の隣に座った。
「一人なんて珍しいな」
「私だって一人で飲みたい時だってありますよ」
そういって、パーシヴァルはアンヌにワインとつまみを注文する。目の前に出されたワインを一口あ
おる。
「よし、今日は薄給だが俺のおごりだ。一緒に飲まないか?」
「珍しいですね、それなら付き合いましょう」
ナッシュは余り飲んでいないが、パーシヴァルの酒量はいつもより多いように見えた。
「悩みでもあるのか」
「ええ、貴方と違ってね」
パーシヴァルは酔うと毒舌も交わることを知っていたので多少のことではへこたれない。それでも、
ナッシュは更にパーシヴァルに酒を勧めた。
「お前がそこまで酔うとすると…クリスのことか?」
「それ以外に何があると?」
「なあ、話して楽になることもあるんだぜ」
ナッシュはそういいながら、グラスに口をつけた。パーシヴァルはそうしていながらも、真剣に自分
を見ているナッシュに気がつく。
「私もヤキが回りましたね、恋敵に悩みを打ち明けるなど…」
「まあそういうなって」
「いいでしょう、酔っ払いの戯言だと思って聞いてください。実は……」
酒場から酔ったパーシヴァルを部屋まで送って帰る途中、湖からは涼しい風が吹いていた。ナッシュ
は大きな溜め息を一つ、ついた。
(あいつら、どいつもこいつも片思いで、両思いじゃねえか)
ヒューゴはパーシヴァルのことが好きだけど、クリスが嫌いになれない
パーシヴァルはクリスのことが好きだけど、ヒューゴが嫌いになれない
クリスはヒューゴのことが好きだけど、パーシヴァルのことも気になる
全くもって奇妙な三角関係。
多分、誰かが最初に壊そうとしない限りこの関係は永遠に近い年月で、続くことになるのであろう。
しかし、ナッシュはそれを知ったからとはいえこの関係を壊すことはしないようにしようと決めたの
である。他人の干渉より、自分自身のことは自分たちで解決しなければならないのだから。
ナッシュは大きく息を吸って、酸素を吸い込むと眠る為に自室の方に歩いていった。
いつかは壊れるこのデルタのような関係のまま、それでも今日もどこかで3人は出会う。
交わることのない視線をそれぞれに向けながら。
いつか来る終局を静かに待っている。