028:菜の花
あの菜の花を見ようと誓ったあの娘は今、何処に
彼女との出会いは秋も近いあの頃だった。
俺は帝が行っている夏の朱点童子討伐選考会に参加していた。
この京の都では、朱点童子のお陰で街には疫病が流行り、職のない貧しいものたちがあちこちを
うろついている。俺は幸いにしてそこまでには行かなかったものの困っている人たちを見捨てて
はおけなかった性質で、幸い爺さんから教えられた槍の技を生かすことにした。
俺は道場には通っていなかったから、近所の兄さん連中がたむろしている『京阪傭兵組合』に参
加した。ここは傭兵連中が集まるから、鍛錬の相手には事欠かないしそれぞれ余計な詮索などさ
れないので俺にとっても丁度良かった。そして、今回帝が開催する『朱点童子討伐選考試合』に
参加しないかと持ちかけられた。
何しろ、この時勢だから帝の方も強い人間を欲している。それだけに報奨金の額も普段請け負っ
ている商人の護衛などとは段違いでそれを断ることなど出来なかった。それに、都中から腕に覚
えのある連中が集まり戦えるのだ。皆の士気の上昇が留まることは無かった。
そして迎えた試合当日
京は人でごった返していた。今や生命の危険さえあるこの都での人々のささやかな娯楽とも化し
ているこの選考会だけに、会場は人でごった返していた。去年参加した時には緊張もしていたが
今年は余裕で周囲を見回すことが出来ていた。良く見れば去年闘った相手や負けた相手がこの会
場でちらほら見かけており、その中には試合前の高揚からくるのか小さな小競り合いの声も聞か
れていた。俺は、馬鹿だなとそいつらを視線だけ向けてその場を後にした。
その瞬間だった
目の前を見慣れない集団が通り過ぎる。
俺は意識せずその集団に視線を向けてしまった。しかし、それは俺だけではないようで、集団が
通り過ぎると周囲の人間も必ずといって視線を向ける。しかし、それは当然のことであった。
なにしろ、彼らは見た目にも鮮やかな髪と目の色だったのだから
あるものは緑色の髪にこれまた緑の瞳
あるものは青い髪に赤い瞳
あるものは黄色いの髪で目が細いせいか瞳の色までは見えなかった。
そして、まだ年若い黄色い髪に赤い瞳の少女がいた。
少女は、前を歩くものたちと同じように唇を引き結んで真っ直ぐ前を向いて歩いていた。
今まで俺の周囲には黒い髪の黒い瞳の連中しかいなかったのだから、その衝撃は大きかった。
ある者は彼らを『伴天連(ばてれん)』のものではないかという噂さえたてていた。俺は『伴天連』
など見たことは無かったが、傭兵達の話によれば身の丈が山のようだったとか、変な言葉を喋る
とか、人間を食ってるとか想像も付かない話を沢山聞かされてきた。だから俺は一度それを見て
見てぇと心のどっかでそう思っていた。だから、俺は彼らのことをそう怖いものだとは思えなかっ
たのだ。
流石に毎回猛者が集まる大会だけあって、俺たち『京阪傭兵組合』3番目という結果に落ち着いた。
しかし、何となく戻る気がせず人でごった返していた決勝戦を見ていくことにした。人ごみをかき
分けて前に進み、自分の視界に映ったのは予期せぬ光景だった。
準決勝で自分たちを負かした相手が、あの『伴天連』の者たちと闘っていた。しかし、どう見ても
『伴天連』の者たちの方が優勢なのは明らかであった。少女は槍を振りかざし前列で闘っていた。
自分よりも年若いのに、少女からは凄まじい程の気迫が迸っていた。そしてそれは一緒に闘って
いるものたちも同様だった。
「一本!それまで!!」
審判の声に周囲の観客から歓声が上がった。少女たちの組の方が勝ったのだ。俺は少女の方に視線
を向けると、彼女はニコリと微笑んだ。帝から報奨金と賞品が手渡される。この時、俺はこの『伴
天連』たちが『原』という一族であり、この京のどこか方隅で生活していることを知った。
俺はその後、その少女の名前を聞きだしてまた会うことを約束した。
馬鹿馬鹿しいかもしれないが、それが彼女との出会いでもあった。
彼女の名前は「恋(こい)」と言った。
実際には恋と俺は恋人同士とかそういう訳でなく、単なる友人だった。それに恋は毎月何処かに
行っており実際に会えるのは月に一度もあればよかった方だったのだから。実際に会って、俺は
恋と槍の鍛錬をすることが多かった。最初のうちは荒削りだった恋の槍も数ヶ月すると全く別物
とばかりに上達していた。彼女は多分俺の知らないところで秘密の鍛錬でもしているのだろうか
と考えて聞いてみたが、彼女はそれに答えることは無かった。
「なあ、今日は槍はこれぐらいにしないか?」
「え?それはいいけど…どうしたんだい?」
「恋に見せたいものがあるんだ」
彼女はそれに従い、俺は彼女と一緒に街外れまで歩いていった。本当に彼女は真っ直ぐで真剣で
人を疑うことを知らない子供のようなところがあった。
「まだ?」
「もう少しだから」
「うん」
それから歩くこと数間、目的地に俺と彼女はたどり着いた。
「うわぁーーー」
一面の菜の花、一面の菜の花
眼下に広がる光景は鮮やかな黄色で埋め尽くされていた。
「凄い…きれい…」
彼女のそんな表情を見ているだけで、俺は満足だった。この菜の花畑はこの周辺に住む農家が
植えている菜種油用の菜の花畑で、昔通りがかったとき偶然発見したものであった。
最近の彼女は表情も少し翳っていたので、気分転換にでもこの風景を見せたかったのである。
「元気、出ただろ?」
「うん、ありがとう!」
彼女は一面の菜の花畑を、俺はそれを眺める彼女をずっと見ていた。
「なあ、もし恋さえよければまた来年ここにこないか?」
俺は何気なく隣にいる彼女に話しかけた。
「らい・・・ねん?」
「ああ、毎年ここはこんなに綺麗な花を咲かせているんだ」
彼女はそれを聞いて少し黙ってしまった。
「そっか・・・来年か・・・」
ぽつり、と囁かれたその表情には最早先程までの明るさは無かった。それきり黙ってしまった
彼女が心配になり、俯いた彼女の顔を見ようと下から覗く。
「ごめん・・・来年は無理だよ・・・」
「え?」
「ごめん、さよなら!!」
彼女はそのままその場から走り去ってしまった。彼女を追いかけることも出来ず、俺はそこに
取り残されたままであった。今思えば、あの時なんとしても彼女を引き止めて理由を聞くべき
だったと今でも心に残っている。
それから、彼女に会うことが出来なくなった。その年の夏の公式討伐選考会には『原』一族は
出なかったため彼女と会うことは出来なかった。そして、俺に彼女の家を訊ねていく勇気は無
かった。
彼女と最後に別れてから一年近くたち、俺はまた公式討伐選考会に出場していた。その会場に
は一年ぶりで『原』一族も参加していた。その中に恋に面差しがよく似た、同じ髪と同じ赤い
瞳、そして同じように視線を真っ直ぐに見据え口を引き結んでいた青年が居た。
今年も原一族の優勝で試合は終わったが、決勝戦の時に青年と彼女の槍使いが同じことが私に
彼女を思い出させていく。脳裏に、最後に見た彼女の泣き顔が焼きついて離れなかった。俺は
意を決してその一族の方に歩みを進めていく。
「すまぬ、恋という少女がそなたの一族に居たと思うが、今はどうしておられるのかな?」
俺がそう声をかけると彼女の面影がよく似た青年がこちらの方を向いた。
「恋・・・ああ、母のことですね」
母?確か恋はまだあの時15ぐらいだと思っていたが、どう考えても目の前の青年の方が年が
上だ。しかし、それを聞くよりも先に彼女がどうしているのか知るのが先立った。
「母は、昨年の大晦日に亡くなりました」
「え・・・亡くなった?」
彼女が・・・死んだ?しかし、青年は言葉を続けていく。
「ええ、一年と十ヶ月の大往生でした。最後まで明るい母でした、何せ最後の言葉が『三三七
拍子で送って頂戴』でしたから」
「そう・・・か」
如何にも彼女らしい遺言だと感じていた。その青年は少し俺の顔を見ると何かを思い出したよ
うであった。
「もしかして・・・『京阪傭兵組合』の槍使いさんですか?」
「いかにもそうだが」
「母からもう一つ遺言を預かっているんです、家に来ていただけませんか?」
私は有無を言わずその話に従い青年の後を付いて行った。恋の家は都の外れにある質素だが大
きな家だった。
「只今、イツ花」
「おかえりなさい、煉(ねり)様!もう皆さん先に帰ってますよ」
「そっか・・・あ、ここで待っていてください」
青年は俺にそう告げるとイツ花と呼ばれる少女に二言三言告げると家の中に上がっていった。
間もなくしてイツ花と呼ばれた少女がお茶を持ってくる。
「玄関先で申し訳ありません、今煉さまが戻られると思いますのでちょ〜っとだけお待ちくだ
さいね!」
何とも明るい少女の声に拍子抜けしながら、私は出されたお茶をすすっていると青年が戻って
きた。これを・・・と差し出された手紙には確かに私の名が記されていた。
「読んでもいいのか・・・」
「はい」
そこに書かれていたのは、短いけど彼女らしい言葉だった。
来年、一緒に菜の花見れなくてごめん
でも、一緒に見たあの菜の花畑は短い人生の中でも絶対忘れないから
ほんとに、ありがと
その後、私はその家を後にした。帰り際に青年が俺にこう告げた。
「母は幸せ者ですね、こうして生きた証が貴方の中に残っている・・・母を知ってくれてあり
がとうございました」
青年はそうして頭を下げた。
その帰り道、俺は、恥も外聞も何もかも脱ぎ捨てて泣いていた。
彼女にもっと早く会いに来ればよかったと後悔しながら泣いていた。自分の弱さと彼女が何に
悩んでいたのかを理解しなかった愚かな自分の為ではなく、自分の弱さが傷つけた彼女の為に
涙を流した。
それから、何度も夏が来て原一族を見たが何処かに彼女の面影を残した人間が必ず一人居た。
それを見るたび思い出すのである。菜の花のように明るく微笑んでいた彼女と、それをお浸し
にして食べる時に感じるようなほろ苦さが胸を刺す。
それは、私が死ぬ時まで自分の中に残り続けるのであった。