027:電光掲示板
情報は、いつだって正しいとは限らない
その異変は、突然起こった。
僕の町の、いや、全世界の電光掲示板でそれは一斉に。
世界中のあらゆる土地の、あらゆる言語を使う人々が、同じ時に一斉にそれを見上げた。
異変
そう、それはそう呼ぶのにふさわしい出来事だったのだ。
ある人々は冗談だと笑い飛ばした
ある人々は何かの予兆だと言って恐れを見せた
ある人々はそれを真実だと走り始めた
ある人々はそんな人々を冷めた目で見ていた
そして、僕と『アイツ』はそんな世界を見ていた。
新しく始まる予感、期待を胸に。
今、テレビもビデオも一昔前の映像手段となったこの時代に不思議なことに電光掲示板だけは
隆盛となっていた。人々は、電光掲示板で情報を得、そして生活をしていた。
人類はもう自分自身で情報を選択する必要はなくなり、ただ、与えられた情報だけで満足する
ようになっていた。
だから、一つのものが流行れば、世界中が殆ど同じ流行を追い、また新たに与えられる情報に
満足していく。もう、それを疑問に思う人間は人類の中でも減少していった。僕も、生まれた
時からそういう生活をしていたので別にそれが変だとは思わなかったが今は違う。
僕のその意識を変えてくれたのは『アイツ』に出会ったからだ。僕も『アイツ』に出会うそれ
が人類の幸せだと思っていた。
『アイツ』は今年の始め頃に僕の学校に転校してきた。
初めてみた時の『アイツ』の印象は、違和感だった。それは、クラスの連中とは全く違うもの
であり僕も上手く表現できるわけではないが、数少ないボキャブラリーの中から合わせてみる
とその言葉しか出てこないのだ。
その違和感は『アイツ』と一緒にいるうちにその輪郭がおぼろげになってくる。とにかく、周
囲がどんなに流行りのものを身につけ、追いかけても全くそれに興味・関心を示さないのだ。
自分の好みの服を着て、自分の聴きたい音楽を聴いて、自分の食べたいものだけを食べる。と
にかく、自分の選んだ物だけを信じているのだ。最初は『アイツ』に興味を持っていたクラス
の連中もその内、だんだんと『アイツ』を遠ざけ始めていた。
「ねえ、○○○は着ないの?」
「なんで?」
「だって、流行ってるよ」
「流行ってる?それだけで自分に似合いもしない服を着るのかい?」
「そ、そんな…ただ…」
ともかく、終始こんなやりとりだから誰も側にすら寄らなくなった。『アイツ』はクラスでも
孤立し始めた。
しかし、『アイツ』は何故か僕にだけは話しかけてきた。そして、僕は『アイツ』のことを嫌
いにはなれなかった。
「帰ろうか」
「あ…うん」
初めて一緒に帰った時のあの衝撃は今でも覚えている。
僕は、この間電光掲示板で見た店に寄ろうと誘おうとしたが、『アイツ』に連れられていった
のは電光掲示板では不味いと評価されていた店だった。僕は断ろうとしたが、そういう雰囲気
ではなく、僕は恐る恐る付いて行った。
「あの…」
「いいから食ってみな」
目の前に出されたラーメンの湯気の暖かさと食欲をそそる匂い、店のオジサンの笑顔、そして
空腹が僕の固定観念を打ち破り、僕は箸をつけた。
「美味い!」
「だろ?」
僕が一気にラーメンを食べるのを見届けた後、『アイツ』は満足そうに笑った。それは、僕が
初めて見た『アイツ』の笑顔だった。
その帰り道、僕は『アイツ』からいろいろな話を聞いた。遥か昔には人類は自分たちが情報を
選択し、自分のしたいことをしていたこと。しかし、その情報が余りに増えすぎた為に何をし
たいかすら判らなくなり、そして自分たちが情報を選択することを止めて電光掲示板に頼るよ
うになったということ。学校の歴史でも習わないようなことを『アイツ』はよく知っていた。
「何で、僕にそんなこと…」
「お前、私に違和感を感じただろう、最初に」
「え…?」
確かに、『アイツ』に最初、違和感を感じた。しかし、それを『アイツ』が判るわけがないの
に…。僕は一体どんな間抜けな顔で『アイツ』の顔を見ていたのだろう。
「最初に、転校してきた時皆は同じように私を見ていたが、お前は私を見ながら何か考えてい
た、そうだろ?そして、その時の顔は他の誰とも違った。だから私はお前に声を掛けた」
「そうなの?」
「ああ」
『アイツ』はきっぱりとそういうと、また明日と去っていった。突然僕の身に起こった色々な
事態に心が対処しきれないまま、僕は自分の家に向かっていった。
それから、何故か僕と『アイツ』は何かと話をするようになった。
『アイツ』と僕は別の人間だけど、何故かウマが合った。そして、ある日『アイツ』はこんな
事を言い出した。
「なあ、お前この時代をどう思う?」
「え?」
「電光掲示板に与えられた情報だけを頼りに生きているこの時代。生まれ育ったけど、どうし
ても馴染めないこの時代」
「そうなの?」
「自分で好きでないものを流行だからといって押し付けられ、それにそぐわなければ疎外され
てしまう」
「まあね」
『アイツ』はいつもこんなことを僕にだけ言っていた。だから今日もそんな類のことだろうと
考えていたんだ。
「余計なことだと思う、今の時代の者たちから見れば迷惑極まりないことだと思う。だが、誰
かがやらなければならないのだ」
「やらなければいけない…?」
『アイツ』の声は真剣そのものだった。力強さと、朗々とした声。僕の周りでは聞くことに出
来ない声だった。
「お前、あの電光掲示板の情報が操作されたものだと知っているか?」
僕は何も言えなかった。情報が誰かに操作されていることは感じていたし、全てが正しいとは
言えなかったから。だけど、それに逆らおうと思ったことも無かった。
「一部の権力者や金持ち、大企業の都合のいいように情報を操作し、それに少しでも逆らおう
とするものは抹消される」
『アイツ』は拳を振り上げた。
「初めて行った、あのラーメン屋を覚えておるか?あそこはそいつらに逆らったばかりに、不
味いと情報を流されそれを信じたものたちから迫害された」
「そ、そんな…あんなに美味しいのに…」
「そうだ、私はそんな人々を知っている。だから、今その認識を全て崩さねばならぬ」
『アイツ』はそういうと僕ではない、遥か遠くの未来を見ていた。10年、20年先ではない
もっと、遥か、遥か遠くの未来だ。
「私はここに、お前に誓う。これから『闘い』を始める、付いて来ないか?」
とんでもない言葉、とんでもない思想
だけど、僕は『アイツ』に付いていく事を決めていた。出会う前には考えすらしなかったこと
だった。だけど、僕はそれを決めていた。
今なら、今なら僕が感じた違和感の正体がわかる。他の人々と違うだけではない、『アイツ』
がこれからの僕の人生に多大なる影響をもたらすことを、自分の行き方が変わるであろう予感
だった。それが、自分の中で新たに生まれることを感じていたのだと。
僕は、『アイツ』に右手を差し出した。
「これからは、友でありそして君の同士だ」
「うむ…、私はそなたのような友をもてたことに感謝しよう」
『アイツ』は右手で僕の右手を握り返した。
それが、始まりだった。
僕(日本人)と『アイツ』…いや親友であり戦友であるアイツ・ヴェルケンシュタイン(独ハーフ)は
仲間を集め、徐々に計画を実行していった。
僕らは、まだ闘い続けている。
これから訪れる新しい…いや違うな。今の時代の人類にとっては苦しみをともなう時代を作る為に。
しかし、未来の子孫たちが自分の意志で情報を取捨選択できるそんな時代の為に。