026:The World
「七つの世界にかけて。私はあなたを好きなのだ。どの世界にあろうとも。
いつか、かならず、この距離を縮めてみせる。世界を越えて。」
そう言ったきり、彼は糸の切れた凧のように私の方に倒れて来た。とっさに私は手を伸ばし、
彼を支えようとするが、彼の勢いが強く彼もろとも私は地面に倒れこんだ。腕の中にいる彼を
見て、それから少し腕に力をこめる。見た目の細さとは別に、しっかりと筋肉のついた体に少
し恥じらいを覚えながらもそれでもこの腕を放したくなかった。
離してしまったら、もう二度と捕まえられない。
そんな予感が私の中に生まれていたから。
田辺真紀の体を借りてこの世界に存在している私は、事故というか偶然というか、成り行きと
いうかイワッチこと岩田裕とお付き合いをする羽目になってしまった。友人の新井木勇美は、
「マッキー、あんなのでいいの?」
と事ある毎にストレートに聞いてくる。私だって、最初は彼と付き合うつもりは全くなかった
のだ。できるなら、この田辺真紀が恋をしている同じ整備班の遠坂圭吾と付き合うつもりだっ
たのに、何の因果か机の中に忍ばせておいたラブレターは見事に岩田の机に入っており、屋上
に彼が現れたときの衝撃は今でも忘れる事が出来ない。
冗談だといって断られた方がマシだと最初は考えた。だけど、予想外には岩田は私の手紙に承
諾の意志を示し、今では私と岩田が付き合っているのを知らない人間は何処にもいない。そん
な周囲が私を見る目は最早珍獣扱いとでも言おうか、ご愁傷様とでも言いたげで、私も途中で
接続を斬ってこの世界から去ろうとすら考える始末。だけど、この自分の幸運を他人の為だけ
使ってしまう彼女が哀れで、彼と別れてきちんと遠坂と付き合うことができるようにするまで
が私の責任だと考えてしまう。
最初は、本当に嫌だった。
彼が嫌いなのではない、優柔不断な自分がここにいることが。なまじ、現実世界での私に恋人
などいなかったのだから、一度ぐらい味わってみたいと考えた自分が嫌だった。
道で出会ったサラリーマンのおじさんが偶然お礼だと言ってくれたこのプログラムを使用しな
ければ、こんな思いをすることも無かっただろうし。
それでも、時間が経つにつれ今まで私が見えてこなかった一面がだんだん見えてくる。いつも
見せるギャグの合間に見せる摩訶不思議な言動や行動。それはギャグとはまた違う、一瞬だけ
見ることのできるその一面が何故か私の心拍数を増していく。全てがギャグの為に生きている
ようで、その隙間から時折零れ落ちる優しさや、脆さが私の意識を変えていった。
私は整備班から士魂号3番機パイロットに部署移動を命じられた。そしてパートナーは岩田に
変更されていた。彼曰く、
「貴方だけにこんな面白いことさせておく訳にいきませんからね」
それだけだった。
岩田は予想外にも仕事をこなし、私の訓練にも付き合ってくれた。何しろこの『田辺真紀』の
体はパイロットとしては脆弱すぎるのだ。このままでは勝つことも出来ない。私の体が出きる
まで、とりあえずはバズーカとミサイルで撃墜を繰り返すという戦法を使い何とか生き延びる
ことが出来ていた。
ある日、私が今日の仕事を終えて戻ろうとする途中彼が屋上に座っているのを見かけた。その
様子が気になって、一瞬そちらに視線を向けたその瞬間、彼がこちらに気がついて屋上から飛
び降りてきた。
「い…岩田さん?」
「ああ、貴方でしたか」
「あ…あの…」
私が何か言おうとする前に、制服の裾から一輪の薔薇を差し出した。
「血のように赤い薔薇をどうぞ」
「あ…、ありがとうございます」
私が手を伸ばして薔薇を受け取ろうとすると、岩田は腕を上げてそれを交わす。私が出してし
まった腕をどう引っ込めようか考えているその隙に、薔薇を私の髪に挿した。
「ふふふ、青い髪に赤い薔薇…薔薇がバラバラ〜〜豚ばら肉〜!」
雰囲気ぶち壊しのその行動に私は彼が二度と立ち上がれないように、叩きのめした。先程まで
胸の鼓動を早めてロマンティックな展開を期待していた私自身が馬鹿だった。それでも、髪に
挿された薔薇を捨てる気持ちにはなれず、こっそりドライフラワーにして自宅に飾ってあるの
は内緒の話である。
岩田にすれば、彼女である『田辺真紀』に優しいのであって、『私』の存在など気がついてい
ないのは自明の理である。だけど、時折見せる彼の別の部分を見るたびに、好かれていないこ
とを実感させられるのが、何故か悲しかった。
それでも、私がこの世界に居続けようとしたのはひとえに彼が居るから。例え、気が着かれな
いことは知っていても、側にいて彼を見ていられる。そして、この田辺真紀のこともあるのだ
が、あのサラリーマンのおじさんと約束したのだ。何が起こっても最後までこの世界を見捨て
ない、と。
私は、これ以上岩田と付き合うことが出来なくなっていた。いつか来る別れにおびえながら付
き合いを続けるよりも、いっそ別れて田辺を遠坂とくっつけてしまった方がいいと感じていた
からだ。その方が『私』がいなくなった世界にも都合がいいのだから。そして、私は岩田に別
れを告げる。意外にも彼はそれをあっさりと受け入れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
私の身勝手で傷つけた彼に謝ることしか出来なかった。
「……」
突然、岩田に抱きしめられる。
「最後ぐらいはこうしてもいいでしょう、それでも、私は貴方を好きなことに変わりはありま
せんよ」
「ごめん…なさい…」
卑怯だと判っていても謝ることしか出来ず、涙が止まらなかった。
それから、私は思いを振り切るかのようにがむしゃらに戦った。生きる為に、最後を見届ける、
その為だけに。私のパートナーは舞に変わっていた。
「ねえ、マッキー。そろそろ撃墜数300いくんじゃない?」
「え…?」
帰り際、新井木がそんなことを言い出した。そういえば、数えていなかったが段々と近くなっ
ていたのは確かである。
「もし、偉くなったらボクも出世させてね」
「あ…はい…」
『絢爛舞踏勲章』
幻獣を300倒した者に与えられる勲章。歴史上4名しか授与者がおらず過去に授章したもの
は皆行方不明になっているという曰くつきの勲章。人の形をした化け物と言っていた人も居た
な〜と思い出してしまう。この戦いの間色々驚くことが起きた。
いきなり芝村準竜師に降下作戦を命じられ、スキュラと戦ったり、熊本城では舞と生死を賭け
た戦いを繰り広げたこともあった。いきなり右腕が青い光を放ったり、友達になった人が戦闘
で亡くなったり。あっという間の二ヶ月間だった。
数日後、私は史上5人目の絢爛舞踏勲章を授与された。その日は周囲の反応が一気に変化した
日でもあった。それでも岩田の言葉には私を気遣ってくれるニュアンスが込められて私はそれ
を支えにしていた。
そして、最後の戦いが始まった
私はぼろぼろになり、皆の声援を、彼の声を受け戦い、そして全てが終わった。
朦朧とする意識の中で、私はプログラムが終了するのを感じていた。悔いは無かったはずだ。
だけど、最後の心残りはもう二度と彼に会えないこと。『田辺真紀』は居ても、『私』はもう
彼に会うことも、側にいることも出来ないのだから。
肉体の痛みもそろそろ感じなくなって来ている。私はもう一度だけ涙を流した。
その時、多目的結晶を通して声が頭の中に響いた。
「フフフ…。言ったはずですよ、『どの世界にあろうとも。いつか、かならず、この距離を縮
めてみせる。世界を越えて。』と。私はあなたが好きですよ………」
消え往く意識の中で、彼は確かに私の名を読んだ。『田辺真紀』ではなくて、一度も教えたこ
とのないはずの『私』の名前を。
私の意識はそこで途切れた。
気がつくと、私は自分の世界に居た。ディスプレイに文字が打たれていく。
>アナタノ働キニヨッテ第5世界ハ救ワレタ。本OVERS-SYSTEMヲ終了サセ、次ノ指令ヲ待テ。
世界は救われ、平和になっていく。これからの世界に私たちは必要ないのだと坂上先生だった
人は言った。私はもう彼に会えることが出来ないことを実感する。
涙が、とめどなく溢れ、泣いてばかりいる自分がここにいることに気がついた。世界を救おう
とも、私はいつも泣いてばかりだ。彼の最後の言葉を頭の中で反芻する。
「フフフ…。言ったはずですよ、『どの世界にあろうとも。いつか、かならず、この距離を縮
めてみせる。世界を越えて。』と。私はあなたが好きですよ………」
距離を縮めてみせる、それは多分私と彼が会える可能性は残されていることだ。
彼は今第6世界で戦っていると聞いた、ならばいつかは私は彼と会える可能性も残っているの
だと気がついた。私は瞼を擦り涙を拭いた。だとしたら泣いている余裕はない。
彼と再び出合ったときに、彼が気がついてくれるようなそんな人間でいなければならない。
「可能性は0じゃないよね」
そして、私は泣いてばかりの自分と決別する。7つの世界から見れば取るに足らない小さな約
束だけれども、私はそれを信じてみようと思ったのだから、だから私は諦めない。
花瓶には知らない内にドライフラワーの薔薇が挿してあった。
第六世界の反乱を成功させた彼が私ともう一度出会うのは、また先の話である。