023:パステルエナメル −A smile of a machine doll 4−
その色が、私を狂わせる
貴方を恋い慕う故に、私は人で無き浅ましいものにと変貌を遂げる
泣かないで、
これは貴方を私一人のものにしようとした私の罪
夏が過ぎようとしていた。
蝉の鳴き声も日に日に弱弱しくなり、夕方の風は肌寒い日が多くなっていく。
僕の好きな季節がやってくる。
僕は、夕暮れに吹くそよ風に髪をたなびかせながら紫がかった茜色の夕暮れを眺めていた。
「レクスーー」
一瞬、空耳かと思うほど遠くから声が聞こえる。
けれども、この声が幻聴なのかそうでないかは自分自身の中では明白だ。
振り返る。
茜色の夕日に溶けてしまうかのような彼女の姿があった。
馬鹿みたいかもしれないけれど、手を伸ばす。そうしないと彼女がこの世界に溶けてしまい
そうな予感がしたから。
僕は彼女の名を呼び、その場から立ち上がった。
彼女の方に向かって歩き出そうとしたその瞬間、僕の胸に何かが飛び込んでくる。ショート
カットを風になびかせて、夕日と同じ茜色のワンピースがひらひらしていた。
無意識の内に僕はそれを抱きしめると、腕の中の彼女は顔を上げて僕の表情を覗き込んだ。
「佳織…?」
「良かった、つかまえた」
佳織はそうして僕の胸にもう一度顔を埋めた。僕は少し腕の力を抜いて、もう一度彼女を抱
きしめる。手に入れた、小鳥の羽根を潰さないように…ありったけの愛おしさと優しさを込
めて。
「どうした?」
「レクスがね、何処かにいってしまうような気がして…」
佳織が背中に回した腕をさらに強く締め上げる。
「僕は、何処にも行かない」
「そんなの判っている・・・けど」
知っているけど、判っているからこその不安が伝わってくるののだろう。彼女はそれきり何
も言わずに僕に抱きついていた。僕も、そんな彼女をそっと、だけど離さない様に抱きしめ
ていた。
僕はレクス、彼女の名は佳織。
子供の頃から、親同士が決めていた許婚。最初は二人とも否定していたけれども、今では互
いが互いを必要とした存在。
来年の春には結婚することを決まっていた。本当は直ぐにでも一緒になりたかったのだが僕
が人形屍生師として1人立ちしたその時が彼女と一緒になる時期だと結婚を延ばしてもらっ
ていた。僕なりにけじめをつけたかったのかもしれないが誰一人それに異を唱えることなく、
僕の男としての些細なプライドと我侭のために今は二人許婚としての関係を保っていた。
人形屍生師(にんぎょうしせいし)とは、この世界で重宝されている機械人形『ウィル』の設
計・製造〜調整まで人形関連についての職人である。屍生師とは奇妙な名前だが、それらは
人形の誕生〜解体、もしくは破壊まで全てを請負い、また使えるパーツから新たな人形を蘇
生するのだからいいのかもしれない。僕は新人の人形屍生師として来年の春から1人立ちす
ることが決まっていた。今は、最後の見習い期間とでもいうのかもしれない。
その最終試験として、僕は今、一体の人形を設計していた。
「制作は、はかどっているの?」
「もう少しさ」
「そう…」
そう言って笑う彼女の微笑みには陰りが見えた。
「…佳織?」
僕に見られているのを気が付いたのか、彼女は表情を瞬時に変化させる。
「ううん…何でもない、頑張ってね」
僕は、この時彼女にそれ以上何も言えなかった。
僕は今までの『ウィル』とは少し違うものを作りたかった。
人と同じように、感情を持ち己の意志で生きる人形。何の束縛を受けず、人の側にあり続ける
存在。僕は人形ではなく、人間を作りたかったのかもしれない。
師匠の所にいたときも、いや、生まれたときから僕の側には人形が居た。何も言わず人間に仕
え、人間のいいように扱われ壊れたら捨てられる。そんな存在が僕はもの凄く悲しくて。
だから、今では無理であろうともいつか、そういつか。人形たちの希望の種としての一体、そ
んな存在を作ることが出来たら幸せであろうと考えていたのである。
彼女も、僕のそんな人形に対する思いに共感してくれていた。
僕は、そんな彼女に甘えて彼女に起きた事態に全く気が付いていなかった。
ある日、僕が家に戻り人形制作に取り掛かろうとしたその瞬間、目の前には信じられない光景
が広がっていた。
各パーツがバラバラにされ、原型を留めない人形の姿。
コードは引きちぎられ、機械部品は叩きつけられたように粉々に散らばり、極めつけには頭部
パーツが何かで叩きつけられたように壊されていた。床には潤滑液が広がりそれが血の様に見
えた。何度も、何度も叩きつけられて中身がむき出しになっていたその姿に僕は言葉に出来ぬ
情念が込められているようで背筋が凍りつく感覚を覚えた。
そこに人の姿があった。
奴が・・・こんな事を。
名も知らぬ侵入者に僕は直感した。その正体を確かめるべく、僕はその姿の方向に歩き出す。
僕はその侵入者に殺意さえ覚えていた。
その影を捕まえて、肩を掴む。振り返った、その姿は・・・・・・
僕は、絶叫する
世界に、運命に、そして己自身に。
このやり場のない感情はそうでもしない限り行き場所が無くなるようだった。
僕を襲ったのは、それだけではなかった。
佳織はその後、壊れた人形の後を追う様に肺の病でもう二度と目を開けることは無かった。
僕は、佳織が病に犯されていることに気が付かなかった。彼女はいつもの微笑みのまま永久に
僕の側に居ると信じていたからだ。
それと同じように、彼女がそこまで追い詰められていたことを僕は気が付かなかった。
人形が壊されたあの日、僕が見た姿は・・・佳織だった。
彼女は右手に麺棒を持ち、呆けたように立ち尽くしていた。下には人形の残骸。
「佳織!?」
肩を掴みこちらを向かせるが、彼女の視線は僕には向けられていなかった。
「邪魔はさせない。レクスは私だけのものだから…人形などに…盗られるものか」
彼女は微笑んでいた。壮絶で、美しい、それは人間のみが持ちえることの出来る微笑み。僕は
彼女の頬を軽く打つと、彼女の意識がこちらに戻ってきた。
「レクス…?」
「佳織、何があった!?」
彼女は周囲の状況を見下ろすと、周りの惨状に目をやった。そして右手に握られた麺棒を見る。
先ほどまでの微笑みは一気に恐怖に取って代わった。
「判らない…私…何をしていたの……ねえ、レクス、何が…」
僕自身ですら何も判らない。だから、黙っていた。
彼女は全身を震わせ…何事かを呟きながら…僕にしがみついてこようとした。しかし、僕はそ
の彼女の手を咄嗟に、そう咄嗟に振り払った。彼女はその様子で全てを悟ったのだろう、甲高
い悲鳴を上げて今度こそ意識を失った。
倒れた彼女を彼女の家に運ぶ。
そして、僕は彼女の両親から婚約破棄を言い渡された。
理由はなく、両親は「すまない」の一点張りだった。そして彼女が僕と会うことは許されなかった。
僕が彼女と再びあったのは彼女の最期の刻だった。
彼女は床についていた。あのパステルエナメルのような肌色は何時の間にか蒼白に変わり。唇も
薔薇色の艶やかさは何処かに消え失せ今はチアノーゼによる真っ青なものであった。元々小さかっ
た体はさらに痩せこけていた。けれどそれでも彼女は微笑もうとしていた。僕は彼女の顔を見
るのが辛かった。
「佳織」
「レ…クス」
その瞬間、彼女の顔が昔のようになっていたように見えた。
「ごめ…ん…なさ…い。私…にん…ぎょうにレクスを…盗られるような…気がして。だ…から…」
「もういい!」
途切れ途切れの彼女の言葉が更に痛々しさを募らせる。何故、こんなになるまで自分を愛したのだ
ろか。何故こんな時まで微笑もうとするのか。僕が、彼女をここまで追い詰めてしまったのだろう。
「あい…し…て」
佳織の、僕の目じりに涙が浮かんでいた。
そして、彼女は再び目覚めることは無かった。
待ち焦がれた春、だけど僕の隣には彼女はいない。
佳織が永久の眠りについたその日から、僕は不眠不休で一体の機械人形を作り上げた。
僕の理想、僕の夢、僕の悔恨、僕の行き場を失った感情の行方・・・それらを全て詰め込んだ。
彼女の面影、彼女の肢体、彼女の感情、彼女の思考・・・僕の中にある彼女をすべて封じ込めた。
禁忌とされる技術、素材、製法、魔術・・・全てを注ぎ込んだ、僕の命をも。
感情を持ち、成長する機械人形。
ようやく、目覚める。
彼女と同じパステルエナメルの肌、黒とも紺ともつかぬ髪、オーシャンブルーの瞳。
佳織がそこに再び戻ってきたかのような錯覚を覚える。けど…彼女はもう何処にもいない。
「目を、開けて」
人形が、動き出す。
「マスター」
佳織が、再び微笑んだような気がした。