002:階段
貴方を押し上げるには
貴方を引き上げるには
あとどれだけの階段を踏ませればいいのだろう
まだ…頂上は見えない
夜の帳が周囲を覆い、私は喧騒と歓喜に溢れた祝宴会場を抜け出した。
「ひとまず、めでたしめでたしか」
私の呟きなど誰も聞いている筈もない、聞いているとすればこの静寂と夜空に浮かぶ月のみ。
それをいいことに私は持ち出したシャンパンをグラスにあけて飲んでいたがやがてまどろっこしくなって
口を付けて飲んでいた。軽い酔いが体に回るがそれすらも心地良かった。
長い間続いていた魔王軍の恐怖は、対抗する力を持った…勇者と呼ばれるであろう青年と仲間たちによって
幕を閉じた。皆、その喜びと開放感に浸っている。今夜はそれを祝う為の祝宴だった。
彼らは本当に長い旅をしてきた。
時には無力を無常を、絶望と悲しみ、怒りに支配されて自分を見失いそうになったこともあった。
大切なものを失いそうになったこともあった、そんな旅もようやく今、ここで終わりを告げる。
そうだと、誰もが信じている。
いつだって物語はめでたしめでたしで終わる。
けれどもその終わりは極僅かのものだ。いつかまた新たな出来事が始まるのが世界の成り立ちでありのだから。
「でも、まだ…」
「何がまだなんだ?」
声を掛けられて振り向くとそこに居たのは私の愛する人だった。
有無を問う前に彼は私の隣に座った。私は持っていたグラスを彼に渡すと残っていたシャンパンを注ぐ。
「お疲れ様」
「乾杯って奴か?」
「いいえ、それよりも慰労かしらね」
彼は注がれたシャンパンを飲み干した後、ぬるいと呟いた。
「冷えたのでもとってこようか?」
彼はいいや、とグラスを脇に寄せる。少し冷たいけれど、心地よい風が私と彼を吹き付けていた。私たちは
言葉を交わすことなくその場に二人で座り込んでいた。
「【奴】は、どうだ」
「そうね、【彼】は限りなく成長したわ。でも、まだ足りない…【あれ】を倒すにはまだ彼は未熟すぎる」
「ほう、【死の魔女】はそう考えるのか」
「じゃあ、貴方はどう見えるのかしら、【堕落騎士】さんは」
そういうと、彼はムッとした顔をした。彼がそう呼ばれるのを嫌っていてわざとそう呼んだのだ。
私の別名は【死の魔女】 死に関しての予言が当たることからそう呼ばれるようになった。
彼の別名は【堕落騎士】 騎士というのは名ばかりの放蕩騎士からそう呼ばれるようになった。
勿論、それは私たちの一部だけれども、それが全てではない。
「俺から見ても【奴】はまだ足りない部分がある。けれども妙な確信がある、【奴】が【あれ】を倒すとい
う確信がな」
「そうね」
私はそういって喧騒が漏れる祝宴会場の方に目を向けた。
魔王の支配から解き放ったあの青年【彼】にはもう一つ大事な役割が残っている。それは世界を平和にする
ことのほかに、もしかしたらそれよりも私たちにとっては重大な役割が。
その役割を果たしてもらうために、私は【彼】を利用している。【あれ】を倒すことが出来るのは多分【彼】
だけで、そのためには【彼】にはもっと力を付けて貰わねばならない。例えそれがどんなに残酷なことであ
ろうとも。今回の魔王の侵略とそれの抵抗などはまだほんの序の口でしかないのだから。
「じゃあ、もう一段階上はどうするんだ?」
「心配ない、もうすぐ彼の元に向かっているわ。もの凄い勢いでね」
「そうか」
「【彼】はそういうものを引き寄せる素質があるのは知っているでしょう?機は熟した、本来ならもう数百
年も先に訪れる筈のものまで全てが、時間・空間を越えてやってくる。そしてそれらを全て乗り越えられな
ければ【あれ】は倒せない」
彼はそれを聞くと少し苦い顔をする。思い出しているのであろうか、遥かなる過去を。そんな横顔を見せら
れるとたまらなく、その頬に触れて抱きしめたくなるというのに。私はゆっくりとその頬に腕を伸ばした。
彼は黙って私に触れられていた。だけど、それ以上触れることは出来なかった。
「もし…もし【奴】が負けそうになったら?」
「そうね…私という【死の魔女】と貴方という【堕落騎士】が死をとしても護るんでしょう?そのために私
たちはこの世界に居る訳だし」
「ま…そ、そうだが…」
私はどさくさにまぎれてというか何と言うか彼の肩にもたれかかる。一体何百年も一緒に居ても滅多なこと
が無い限り私に触れてもくれないのだから、こんなちょっかいだって出したくなるのだ。相変わらず初心と
いうか何というか、そういうところもひっくるめて好きなのだが。
「ちょっと酔ったからしばらくこのまま」
彼はそのまま私を拒絶せず、動こうとはしなかった。あの人の温もりが、心地良かった。
己の望みの為にあの青年を利用しつくそうとしている。その事実を【彼】が知ったならどうなるのであろう。
でも、もうそんな事で痛める心などとっくの昔に無くなってしまった。
私と彼が別の名で呼ばれたあの時から…もう償いきれないほどの罪を重ねたのだ。
私たちは永遠の共犯者。
例え地獄でも裁き切れないほどの罪を重ねて、そして私たちは【彼】に希望を託す。