018:ハーモニカ
この穏やかな日々がいつまでも続くことを
ののみとブータはプレハブ校舎の屋上で、熊本の町を眺めていた。
太陽は、すっかり西の方向に動いておりオレンジ色に全てを染める。
ぷぅ〜、ぷぅ〜
ののみは草笛を鳴らしていた。
「ねこさん、ねこさん。ののみ、ちゃんとふけてる?」
「ふぁ〜ご〜」
ブータは、そうだとばかりに、少しやる気の無い鳴き声で答える。
「へへへ、これ“くさぶえ”っていうんだって。たかちゃんがおしえてくれたのよ」
そう言ったののみの顔は夕日のせいか少し赤かった。
ののみは再び草笛を鳴らし始める。最初は音にもならなかったその音色が、段々と
音になっていく。遥か遠い昔何処かで聞いたその音色を思い出して、ブータはのの
みの隣に擦り寄ると、静かに瞼を閉じた。途中で音が外れるのが気になったものの
ブータは遥か昔の友たちを思い出す。
ののみは何度も繰り返し草笛を吹いた
音が曲になるにしたがって、夕日のオレンジ色も濃くなっていく。
「ののみちゃん?」
夢中になって、草笛を吹いていたののみを呼ぶ声がした。
「あっちゃん、まいちゃん」
「ののみ、もう仕事時間は終わったぞ」
後ろに居たのは速水と舞だった。
「ののみ、“くさぶえ”のれんしゅうしてたの」
そういって、小さな掌を広げるとそこには一片の草が握られていた。
何度も吹かれて、しわしわになったその葉っぱは大事そうにされていた。速水はしゃがん
でののみに視線を合わせると、ぽややんと呼ばれる笑みを向けながらののみに話しかける。
「ののみちゃんの草笛、聞かせてもらえるかな?」
「うん!」
夕焼けのなか、真昼の太陽のようなその微笑みに、隣で二人のやり取りを見ていた舞もつら
れて微笑む。ブータはそんな3人を見ながらののみの方に近寄った。
「ブータも応援してくれるってさ、ね、舞」
「な、何を!」
突然話を振られた舞が赤くなったのは夕日に照らされたのかそれとも。舞は直ぐにいつもの
表情を取り戻すと、ののみに聞かせて欲しいと告げていた。
「じゃあ、いくね」
ののみは一つ息を吸うと草笛を吹き始めた。
聞いたことのないメロディ、だけど、そのメロディは自分たちを応援してくれている。そんな
錯覚にも近い感覚が速水を包んでいた。舞はその曲を聴いて目を大きく見開き、それからゆっ
くりと目を瞑った。自分の中にある大切な存在のこと、守りたいもの、その為の勇気が体の中
から沸いてくる。
「あら、何の音色かしら」
「ハーモニカですかね」
「何か、頑張らないといけないって思いません?」
その音色は小さい音のはずなのに、5121小隊のメンバーの耳に届いていた。
手を、足を止めて音色に耳を傾ける。
小さいけれど、真摯な祈りの音色に、それぞれが、己の中にある思いを呼び起こす。
瞼をゆっくりと上げた舞は、その瞬間ののみの周りに小さな青い光が見えたような気がした。
目を擦ると、その光はもう見えなくなっていた。それは嫌なものではなく、『守るもの』だと
そう思った理由は判らなかったが、舞はそう感じていたのであった。
音が、止んだ
「あっちゃん、まいちゃん、ねこさん。どうでしたか?」
この音色が与えた影響など知る良しもなく、ののみは二人と一匹に微笑みかける。舞が何と
声をかけようか迷っている合間に速水がののみの頭を撫でた。
「凄いね、ののみちゃん」
「えへ、えへへ。このきょくはね、おとーさんがうたっていたうたなのよ。ののみもこのうた
だいすきなの」
「そうなんだ」
「父は、この歌をいつも歌っていた。この歌は、いつ、どこの世界にいようとも応援してくれる。
そう言っていた」
舞が、言葉を挟む。
「そうなの、おとーさんはそういってたのよ」
ののみが頭を撫でてもらった嬉しさにくるくると回っている。速水は、幸せそうに父親のことを
話す二人を見て、少し胸の奥が絞られるような感覚を覚えていた。
夕日が、沈もうとしていた。
「さて、帰ろうか」
「うん、みんなでかえるのよ」
「ああ」
日が沈み、灯火管制で一面の星空が見える夜空を3人と一匹はそれぞれ一緒に歩いて帰った。
そして、誰もが思ったのだ。この、穏やかな日々を守るために戦おう、と。