014:ビデオショップ −A smile of a machine doll 7−
過去の記憶を繋ぎとめて残しておく
その中で、永遠に人は生き続ける
それはとても素敵で、すこし悲しい場所
ふと、私は足を止めた。
何の用も無いのだけれども、そこで止めたのは偶然か必然か。
『Opere Complete』
そう書かれた看板が揺れる。
私はその古ぼけた木のドアをゆっくりと押した。
そこは本当に注意しなければ気が付かない程、普通の民家と変わらないような外観だったので内装も
そうなのかと思っていたのだが、予想通りだった。
ただそこが普通の民家と違うのは1人掛けの小さなテーブルと椅子が数個置かれていることだった。
私は取りあえずそこに腰掛けて荷を下ろす。
少しばかり休みたかったのだ、私はずっと歩き続けていたのだから。
「いらっしゃいませ」
声を掛けられて私は慌てて声の方を振り向く。
目の前に立っていたのは女の子だった。髪は亜麻色、瞳は薄緑色で懐古趣味とも言える黒のシンプル
なワンピースの上に、白いフリルのついたエプロンを締めている。その姿は古い映画で見た家政婦…
いや何と言っただろう。アノヨ…ジゴク…違うな、ええと何だったけ。こういうことって思い出せな
いと気になるものだ。
「あの…どうなされました?」
その声に私は我に帰る。いけないいけない、またやってしまった。私は昔から何かを考えてしまうと
自分の思考に全てを支配されて他人の前に無防備に晒してまう。あの人はそんな私のことを…
私は再び自分の思考に溺れてしまいそうになるのを意識して引っ張り上げて、心配そうに私を眺める
女の子に微笑む。目の前の女の子は年のころは12・3ぐらいであろうか。まだ少しあどけなさも残
る顔立ちに私の中の何かが繋がっていく。
「ねえ…」
「はい?」
亜麻色の髪を纏めて一つ括りにし、髪の後ろでオダンゴに纏めている。それが更に彼女の扮装に良く
似合っていた。彼女はこの店の雰囲気と同じものを醸し出している。私もその雰囲気に酔わされてし
まいそうな錯覚すら感じていた。
「ここって、何のお店なの?」
喫茶店ならばメニューやらそれらしい小道具がもっとある筈だ。けれどもここにはそういうものが一
切存在しない。でも先ほど彼女は『いらっしゃいませ』と言った。だとすればここは何かの店なのは
間違いないわけで、だけどここには不思議とこのテーブルと椅子以外に判断できる物が存在しない。
判らないことがあれば聞いてみようという人間なので私はそのまま聞いてみたのであった。
彼女は一瞬、私を見てそれからああ、と頷いてそしてこう答える。
「ここは、過去の幻想(ゆめ)を見せてくれる場所なの」
彼女のその言葉に私は驚いたが、何故か大げさな反応は出なかった。ただ、静かに「そう」と呟いた
だけだったのは自分でも驚いている。
「どんなのが見られるの」
「ええと…あ、忘れた。ちょ、ちょっと待っててね」
彼女はエプロンやスカートのポケットを無造作に手を入れて捜すが見つからない。少し半鳴きになり
ながらも探そうとしているその姿も可愛いと思ってしまった私は疲れているのだろうか。しかし彼女
のポケットから出てくるのは別の紙やら飴の包み紙やらそんなものばかりであった。
「忘れ物だよ、ケル」
彼女の目の前に一枚の紙が差し出された。その声は低いのか私にはすぐに男女どちらか区別は付かな
かったのである。突然声を掛けられて彼女は嬉しそうに後ろを向いた。
「あ、緋渡(ひわた)だ」
「いらっしゃいませ、お嬢さん」
そういって水を差し出したのは緋渡と呼ばれた長身の青年だった。その瞳は赤みがかった灰色、髪は
少し白が混じった黒で、後ろでひとくくりにしている。彼の雰囲気はまさにこの店と調和しているよ
で私は少しぼおっとしてしまった。
「ここは世界に置き忘れられた幻想(ゆめ)の溜まり場。貴方はどんな幻想(ゆめ)をお望みですか?」
声が心地よく頭の中に響く。けれでも自分が望んでいることなど突然言われても直ぐに思いつくはず
もなく私は少し考えてしまった。その様子を見ていたのだろう、彼女がその場から走り去ると何か持っ
て来た。
「緋渡、これはどうかな?」
青年はそれをじっと見ると、少し口元に笑みを浮かばせたような気がするのは私の錯覚だったろうか。
「そうだね、いいと思うよ。有難う、ケル」
そういわれてケルと呼ばれた彼女は顔をくしゃっとさせて嬉しさを表現する。青年は彼女の頭をくしゃ
くしゃに撫でてやっていた。青年の手元にあったのは最早アンティークに近い映像の記憶媒体でかなり
一部の人間しかそのメディアの存在を知らない筈だ。私が知っているのも以前仕事で見せてもらったか
らに過ぎない。この青年がそれを持っているということは若いのにそういう方面に興味があるというこ
とであろう。そしてこの店の外観からは想像もつかないが、この青年は裕福な人間であることも伺える。
こんな誰も気が付かないような店とそこに並べられているアンティークの物ばかり。しかも売り物では
ないとすればこの青年個人の所有物であるのは間違いないのだから。
でも、そんなことは大したことではなかった。金は欲しいが今のわたしはそれを必要としていなかった。
私が裕福な訳ではない、分類すれば貧しい方に入るであろう、けど必要ではなかった。私自身が何を望
んでいるかなど誰にも一生わからない。わかって欲しくなどない。
「お嬢さん、これは如何ですか?」
差し出されたのは一本のビデオテープ。
ラベルには綺麗な文字でこう書かれていた。
【胡蝶の夢 -The dream of a butterfly-】
お題は結構と言われ何がなんだか判らないまま私はそのビデオを見ることになった。タダなら見て損は
ないのだろう、もしかしたらタダだからつまらないのかもしれないが見せてくれるというものなら別に
構わなかった。ケルと呼ばれた少女がそのビデオテープ、大昔の記憶媒体を現在主流の3Dモニター型
の機械に繋げる。これはホログラムを利用した立体感のあるデータを再現できるものなのだが、何せこ
れはそういう機能が存在しないために現れた映像は一方からでなければきちんと見えない様子だった。
何時の間にか、緋渡と呼ばれる青年も、ケルと呼ばれる少女も私の隣に座ってお茶を飲んでいた。
話はこう。
人間になりたいと望む【パピヨン】という機械人形(ウィル)がある日突然夢を見るようになる。
人形が夢を見るだけでも十分驚愕の出来事なのに、その人形が見る夢は100%の確率で正夢を見る
ようになるのであった。その噂を聞きつけて人形のもとには沢山の人が訪れるようになった。最初は
人形も自分の夢が当たることになるとは思わず、その人形の持ち主も驚いてばかりだったがやがて人々
はその人形に全てを任せようとする。その恐ろしさにその持ち主は人形に夢を見るのをやめさせよう
としていた。しかし、人形欲しさに持ち主を騙す形で人形はさる好事家に売り払われる。持ち主は人
形を取り返すために好事家の元に向かったが、人形の目の前で持ち主は銃弾の餌食となり命を絶たれ
てしまう。その光景を目の当たりにした人形はそれ以来死の夢ばかり見るようになる。
その死の予知夢ばかりが的中し、人形は恐怖の対象として存在するようになっていた人形の望みはた
だ一つ。人形の最初の持ち主の所へ行くこと。そんなある日人形はさる裏社会の住人の所にと売り払
われる。その人形は再び死の予知夢を繰り返し、最後には怒り狂った人間によって木っ端微塵に破壊
される。その人形が最後に見た夢は自分が蝶となり最初の持ち主の所に戻る夢であった…。
後味の悪い夢…だけど最後の救いがあるだけましだと考える。
人形は蝶になれたのか、それとも夢を見る人形の最後の夢は叶わなかったのか。しかし、彼らが私に
このビデオを見せたのは一体何の理由があるのか。私は何故この映像を見なければならないのか。
判らない、判らない判らない判らない…頭が廻り廻って混乱という二文字を思い浮かべる。
「まだ、思い出せないのかな?」
青年が私に不可思議そうに問いかける。何を思い出す必要があるのだろう…私が何を忘れていると。
もう一度、囁かれるように青年は語りかける。
「この話は君のことだよ、パピヨン」
その一言で、全てが繋がった。
そう、私はパピヨン。夢を見る人形、夢を見るが故に全てを失った人形。
【ウィル】と名づけられた、ただの機械人形。
夢が終わる。
『人間として暮らす』夢が終わり、人形の自分に戻る。
「ようやく気が付いたね、パピヨン姉さま」
「貴方…ケルネリン?」
「嬉しい、覚えていてくださったのね」
ケル…いやケルネリンは私の妹として作られた機械人形。だとしたら彼女が居るのは人形屍生師の…
「思い出したみたいだね」
「緋渡さま…」
青年・緋渡(ひわた)は昔私を作った人形屍生師。
人形屍生師、人形を一から設計し、機械人形の修復・破壊まで機械人形(ウィル)に関わる全ての技術
を持つ職人。私はある人形屍生師が設計したものを緋渡に組み立てられてこの世に存在する。
新たなる主に迎えられた私がもう二度と会うことは無いと思った人たち。
「どうして…こんなことを…」
「君が夢を見る能力が強くなりすぎて自制が効かなくなっていた。そして全てに死の予言を撒き散ら
していただろう。自分の手で責任を取れといわれてね。そうでなくても勿論僕はそうするつもりだっ
た。そのままにして置きたかったけれども僕が作った愛しい娘だ。僕は最後に君を見つけてもう一度
だけ聞きたいことがある」
緋渡は一息おいて、私に向かう。
蝶は新たな花の元に向かうか、それともこのまま夢で終わらせるか
その問いに対して、私の答えは決まっていた。
「姉さま、いなくなったの?」
隣にいる少女が尋ねてくる。
破壊された人形は偶然にも製作者である緋渡の元に運ばれて再生させられた。それは勿論人形の意志
ではなく、持ち主の意志。高額で人形を貰い受けた最後の持ち主は人形を捨てるのを惜しみ、全ての
記憶を消して何も知らない存在にして彼女を再生させるように緋渡に頼んでいた。勿論、緋渡も自分
の人形をこのまま眠らせてしまうのは惜しいと感じたのかその依頼を引き受けた。それが人形の、パ
ピヨンにとって最善の行動だと思ったから。
元々パピヨンは自分が設計した人形ではない。彼の遥か昔の知人が残した設計図を元に緋渡に組み立
てて欲しいと頼まれたものである。その設計には【夢を見る人形】というプログラムが加えられてお
り、それに従って緋渡はパピヨンを組み立てた。その知人も、もうこの世にはいない。知人が何を考
えてこの機能を付け加えたのかは一切誰にも語らなかった為に今となってはその真意も不明である。
けれど、偶然とはいえ一度は手放した筈のパピヨンは戻ってきた。そして自分の記憶のビデオを見た、
その上で彼女は選択したのだ、己の運命を。
「そうだね、ケル。パピヨンはいなくなった、この世界から。もう夢を見て、夢に囚われる人形は居
なくなってしまったのだよ」
「もう、姉さまには会えないの?」
泣きそうな顔をしてケルは緋渡の足にしがみ付いた。下の方から瞳を潤ませて緋渡の方を見つめる。
緋渡はケルの頭を優しく撫でてやった。少しくすぐったそうにケルは緋渡の足に絡む。
「彼女はいるよ…このビデオテープの中に、永遠に…」
ケルはそれ以上何も言わなかった、緋渡もそれ以上何も言わなかった。
互いが、互いにそれぞれの中にある彼女の面影を思い浮かべていた。
窓の外に、白い蝶々が羽ばたくのが見えた。