010:トランキライザー
例え世の中を震撼させる事件があろうとも
それを『解決』するのが『探偵』と呼ばれる仕事の定め
「この犯行を犯したのは貴方ですね」
目の前の人物はもう私を、いや周囲すら見ることなくコクリと首だけを動かした。後ろにいた刑事達が
その人物に手錠をかけ、パトカーに乗せられて行った。
「流石ですね、先生」
僕の後ろの立っていたのは一人の青年が声を掛ける。
「ああ、君か…」
気だるげに僕は彼を見ると、また視線を虚空に向ける。
「今日も先生の『探偵』ぶりは見事でしたね」
もう何回も聞かれるその台詞に僕は顔色一つ変えるわけでもなく。
「しかし、犯人があの人だったとは…」
彼は僕に構わず言葉を続ける。最早、自分の存在など眼中になくなっていたかのように。
だけど、そんな純粋すぎる目で僕を見て欲しくない。僕は、君のいや、君らの期待しているような、
そんな高潔でも、正義の味方でも、まして法の味方になっているつもりなど全く無いのだから。
だから、僕は時々そんな幻想を叩き壊したくなる
そして、たまたま彼はそんな時の僕の側に居た。
これは衝動でも何でもない。自分の内に元々あったものなのであろう。呪うのなら、私の側にいた
不幸を呪え。私は誰にも気付かれないように口端を吊り上げた。
「君は本当にあの人が犯人だと思うかい?」
「え?」
彼が幻想から一気に現実に引き戻されたかのように僕の方に視線を向けた。未だに状況がよく飲み込
めていないのだろう。僕は先ほどの台詞をもう一度繰り返す。
「君は、あの人が本当に犯人だと思うかいと聞いたんだ」
「そんな……」
ほら、簡単に亀裂が入った。彼が不安そうに僕を見る。
「君は僕があの人が犯人ではない、と言ったらどうするかい?」
「でも、証拠だって状況だってあの人以外に犯人はいないって、先生が…」
彼の語尾が段々小さくなっている。そして不信が瞳に、語尾に交じり始めた。
「証拠もある、状況も確かにあの人を犯人だって言っているね」
彼は私がそういうと、自分の感情が表情に表れた。本当に分かり易い、だからこそ叩き壊したくなる。
「だけど、その証拠も状況も僕がこじつけた物だと言ったら?」
「でも、あの人だって自分がやったって……」
「それはああ大勢の人に自分の心を暴かれて、つい『自白』という形を取ったのだとしたら?」
「そんな…」
愕然とした表情、亀裂は更に大きくなる。彼は両手の拳を思いっきり握り締めた。
「だったら…だったら何故先生は『犯人』を暴いたのですか!?」
予想通りの質問。彼もそれに漏れなかったらしい。予想通りになったのがいいのか、それとも私は再び
失望しているのか自分自身ですら判らなくなっていた。私は彼に何を期待している?
「『安心』させるためさ」
「え…?」
彼の動きが止まった。
「そもそも、警察や我々探偵の仕事は犯人を捕まえることだけが仕事ではない。皆を『安心』させるの
が仕事なのさ」
「『安心』…?」
「そう。何故殺した犯人が見つかれば、次はその人物に自分が殺される可能性は少しだけ下がる。理由
がはっきりすれば、自分が訳のわからない衝動で人を殺す、もしくは殺される心配は軽くなる」
彼は私の話…いや屁理屈をじっと聞いていた。
「何を…」
「例えば、殺される側が酷い人だからあの人は殺しました、といえば皆安心するんだ。『自分は理由も
ないから殺されない』『誰かを殺そうとする自分はここにいない』と」
『犯人』はその安心の為のスケープ・ゴートだと言えば納得きるかい?と聞いた時点で彼はもう一言も
言葉を発しなくなってきていた。ヒビは隅々まで回った、あとはほんの少しの力で叩き壊される。そし
て僕は最後の力を加えた。
「だから、私たちの仕事はその『生贄』を捕まえることだけさ」
最早、彼の視界には私は映っていないかのようであった。彼は呆然とそこに立ち尽くしていた。
「だから、僕らの仕事はまさに社会に対するトランキライザーって奴なんだ、判ってる?」
彼はもう、何も判らないようなそんな表情をしている。
破壊、完了。
「だから、君が僕の弟子になりたいなんてそんな事は考える必要はない。探偵なんて小説や漫画の中だ
けの都合のいい幻想だ」
彼は、その場から走り去っていた。僕も彼を追おうとはしなかった、その必要が無かったからだ。
僕は、ある事件に関わってから世間一般で『名探偵』と呼ばれる代物になってしまった。その名を聞き
つけて事件を解決して欲しいという輩が何人現れたかは簡単に想像できると思う。更に、自分を弟子に
して欲しいという人間も時々現れた。だが、僕が今の様なことを話すと皆去ってしまっていた。
探偵なんてそんなに格好いい物ではない。『名探偵』など虚構の世界だけの話だ。
だけど、僕は何処かで期待しているのかもしれない
それでも、僕の側に居たいという人間が現れることに。
先程、彼に僕の仕事は社会に対するトランキライザーだと言った。だけど、本当は僕も自分のトランキ
ライザーを探しているのではないか?自分を理解してくれる存在を探しているのではないのか?
馬鹿馬鹿しい
僕は、その考えを頭を振って一蹴しボロアパートに戻る為に歩き始めた。
辺りは一面の闇に包まれて、僕の姿も見えなくなった。
2003/02/24 tarasuji
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