【050 ごちそうさま -THE LAST-】(Ar tonelico2/ココナ)




 その日は、いつもと変わらないかのように。

 カーテンの隙間からこぼれるような朝日に照らされて。少し肌寒さを感じながら、いつものように目覚める。
 まだ少し眠気の残る頭を振って、強引に目覚めさせる。まだ体は気だるさを覚えるがここで睡魔の誘惑に負けてしまってはいけない。ここで眠ってしまったら、次に起きるのはクロが起こしにくるときであろう。前の日に夜更かしをしてしまい、翌朝に睡魔の誘惑に負けてしまった時には、いつもクロはそうして起こしに来てくれた。起こすときのクロの声は、優しくて、ついそんな声を聞きたくてわざと何度か二度寝をしたこともあった。多分、今日もここで睡魔の誘惑に身を任せればクロは私を起こしに来てくれるだろう。
 けれど、今日だけはそれは出来ない。だから、私は、勢いをつけてベッドから体を起こすと、大きく背伸びをした。朝独特の、少しひんやりとした、けれど心地の良い空気が体を包む。

 私の部屋。
 私と、クロの部屋。

 4年間、ここで毎日クロと過ごしていた。


 お気に入りのゲロッゴぬいぐるみ、お気に入りの枕、お気に入りのパジャマ。
 床の傷はあの時につけたものだった。窓から見えるパスタリアの景色。緑の木々、青い空。中央にそびえ立つ大鐘堂宮殿。その空を舞う白い鳥。毎日見慣れた景色だった。夜になれば星が見えた。黒いビロードのような闇に瞬く、星の海。夜空に輝く二つの月。星のことなんか分からないけれども、月の無い夜はよく見えた。雨の日の雷雨の時は、怖くて布団をかぶったこともあった。そんな私をクロは大丈夫だよ、と優しくなでてくれたっけ。この家が、クロと過ごすこの家が私の全てだった。
 9歳の時、両親をI.P.D.の暴走で亡くして、私はあの時一人ぼっちになるはずだった。けど、あの時クロは私と一緒に暮らそう、と言ってくれたから。私には新しい家族が出来た。私は生きていくことが出来た。家族になって、ずっと一緒だった。これからもずっと一緒にいられると無邪気に信じていた。
 私がどんなにクロのことを好きだとしても、クロには心に決めた人がいるのは分かっていたから、クロの恋人になれなくても、家族で、妹という立場は絶対に崩れないと思った。


 だから、本当に思っていなかったんだ。こんな日がくるなんて。



 いつものように、着替えて下へ降りる。
 焼きたてのパンの匂いがする、ジュクジュクと何かが焼ける音が聞こえる。今日は、クロが朝食当番だったっけ。と思い出しながら、音と匂いに釣られてお腹が小さく鳴ったのを感じた。
「おはよー、クロ」
「おはよう、ココナ」
 いつもの挨拶、いつもの言葉。明日もまた続くかのような、日常の1コマ。私は、いつものように顔を洗って、テーブルに着く。朝のメニューはいつもと変わらない。パンと目玉焼きと、サラダ。
 クロの準備を手伝って、お互い同時にテーブルに着く。いつも通りに食べて、向かいにはクロがいて。他愛の無い会話をして。私はパンにバターを塗って、目玉焼きとサラダを乗せて食べる。本当に、何気ない朝。
「うん、やっぱり、クロのごはんは美味しいね」
「そうか」
 クロが手を止めてこっちを見る。私は笑っているだろうか、どうなのだろうかよく分からない。
「行くんだな」
「うん」
「忘れ物は無いか?」
「大丈夫、昨日ちゃんとチェックしたから」
 何回、こうして向き合って食事をしてきただろう。クロの笑顔をこうして見て、一緒に食事をするのもこれで最後。


 だって、私はこれから旅立つから。

 断ることも出来た。
 最初は行きたくないって思った。やっと出来た家族、ううん、クロの側を離れるのは嫌だった。クロにそのことを話したときも、クロは行くなって言ってくれた。
 けれど、私はやっぱり行くことを決めたんだ。
 クロのことは大好きだ。妹として見てくれなくても、この気持ちは変わらない。
 けど、これまでクロや、クローシェ様やルカさんや他のみんなと旅をしてきて、世界にはまだ私の知らないものが沢山あるのだと知った。昔は、スラムだけだった。クロの家族になってからは、クロとすむこの家とパスタリア周辺だけだった。けれど、フレリアさんの住むソル・マルタや地下や色々なところを見て。私の世界は広がった。

 もっと世界を見たい、もっと世界を知りたい。

 私の中でそれは幾重にも膨らんでいった。
 ジャクリさんに頼まれただけじゃない。ジャクリさんやスピカさんが遠い別の世界から来た様に、私も見てみたいと思ったのだ。この先は今まで一緒に居たクロも誰も居ないつらい旅になるのは間違いない。けど決めたのだ。
 それから旅立つまでは本当に慌しかった。別れを惜しむ間も無いほどに。だから、こうしてのんびりできたのは今日のこのひと時が、久しぶりだった。でも、朝ごはんを食べ終えたら、もう出発の時間。
 大好きだった、幸せだった。
 クロが私を家族にしてくれて、沢山のことがあって、私は確かに大事にされていたのだと、思われていたのだと分かったから、大丈夫だ。それが分かったから私はこの時間を終わらせよう。私は最大の感謝を込めて、クロ…ううん、クロアに微笑んだ。





「ごちそうさま、クロア」






08/04/07〜09/06/18 WEB拍手掲載

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