【049 もっと -MORE-】(九龍妖魔學園紀/葉佩)
月日が流れるのはあっという間の事で、例えばそれは1日でも1年でもその間の期間の印象が強ければ強いほど、過ごしている間には気づかないのに。過ぎてしまえばあっという間のことだったと気づいてみたりする。そう、例えばこの3ヶ月間もそんな感じだったりとする。
疲れた体を引きずって自室に戻る。体はもう泥のように疲れて眠りたいというのに、俺はまず協会へ向けてメールを出していた。簡単な内容報告、詳細は後日という内容を送ると俺は部屋のベッドに倒れこむ。今になってみると体は痛いし、埃だらけだし、血の匂いも硝煙の匂いも錆の味もする。簡単に手当てしてくれたけれども節々も痛い。けれどそれよりも何よりも体にのしかかる負担が重くて、とりあえず襲ってくる睡魔に身を委ねるかのように。そして俺の意識は、落ちた。
『〜♪』
着メロの音が響いたのは、それから数時間後。まだ夜明け前にすらなっていないというのに、確かに深い眠りに包まれていたはずの俺の意識はあっという間に浮上させられる。急激な浮上に体も頭も朦朧とし、認識が遅れる。俺は面倒臭いので手を伸ばすだけ伸ばしてH.A.N.Tを探し、掴むと画面を起動させる。協会からのメールだ。まだ意識は朦朧とする。俺はそれを確かめるためだけに少しだけ眼を開くと画面を見る。若干手元が薄暗かったが、液晶画面が照らされてそれが手助けとなった。
体は重いが起きられない程ではない。俺はゆっくりとかぶりをふりなが体を起こすと、真っ先に寮の風呂へ向かう。この時間はもうお湯が沸いていないだろうが、水でも構わない。そう思って急いで準備をすると風呂へ向かう。流石にこの時間帯に起きている人間は少ないだろう。
好都合にも、寮のシャワーは生温かったが水ではなかったし、行きも誰にも出会わなかった。シャワーの生温い湯が、俺の意識を徐々に覚醒させていく。俺は先ほどの協会からのメール内容を脳裏に思い浮かべた。蛇口から出る水が叩きつけるかのように、風呂場に響き渡っている音だけが耳に響き渡る。
流れる水が、肌を伝って滑り落ちる。体はまだ関節のあちこちが痛いというのに。その温さだけが今の自分を包んでくれている錯覚に陥りそうになる。脳裏に先ほどのメールの内容を再び思い浮かべる。それは短い文章だった。内容は簡潔。
―任務の完了を確認。ID999は速やかに報告をまとめ撤収の準備を始めよ―
ああ、更にもう一文あったな。
―転出期限は、明日24:00 方法に関してはこのメールに返信次第、改めて連絡する―
明日。ああ、もう日付は今日になってしまっているから今日か。期限は本日24:00
この天香學園から『葉佩九龍』が消える。
うん、なんだか24:00に魔法が消えるっているのは何かの御伽噺のようだなと思い浮かべる。御伽噺は昔寝物語に色々と読んでもらっていたのに、今一何か出てこない。うん、何だっけ。何か消えちゃうけど迎えに来て幸せになるとかそういう話だっけ? でも最後は違うな。俺は消えちゃえば誰も迎えに来ない。そう、何かの偶然でもなければ俺という存在は灰のように消え去って、もう再び出会うことは……無い。そこまで思い当たって、思いっきりシャワーの出を強くした。
最初は単なる腰掛けだったのになぁ、と小さく呟きながら。
日本での、仕事で。あのエジプトでの仕事の後で。単に遺跡に眠る秘宝を見つけることだけが目的だったというのに。この学園で共に過ごし、共に戦い。笑って泣いて怒って悲しんで。そうして腰掛けが腰掛けでなく、安住の地だと俺は一体何処で勘違いし始めたのだろうか。その勘違いが、この場所への未練……か。
自分が甘いと、未熟だと、責める言葉がこの身に降りかかる。未熟だからこそ驕った。未熟だからこそ、あいつらは未来を守るために全てを捨てようとした。今の自分が全て自分の選択の果てにあることを知っていて尚、それを受け入れることを躊躇う。
キュ、と蛇口を閉めて着替えると風呂場を出る。すっかり意識の醒めてしまった俺は、そのまま部屋に戻るのも惜しいと髪も生乾きのままに手ぬぐいをかぶって寮を出た。
「おぅ、寒ぃ」
やはりこの12月。風呂上りに外に出るのは無謀だと思いつつ。遺跡のあったほうに視線を移す。先程まであの眩きばかりに空を照らしていた銀色の光も既に失せ。代わりに空にあるのは星。既に向こうの空は明るくなっている。《生徒会》役員も作業を終えたのか既に姿も無く。
朝は好きだ。日が昇るということ。夜の明けない朝はないと、示しているかのようにそこにあるかのように。この澄んだ空気も、張り詰めたかのような凛とした空気も。こうして朝日を見るときは少しだけ何も考えなくても良い。
僅かに体が震えた。ここで体を冷やして風邪をひくのは得策ではない。そろそろ寮に戻ってもう一寝しようかと踵を返そうとした。
「誰だ?」
声をかけられて足を止める。その声も姿も見知った顔だった。
「あれほど酷い夜だったのに、タフなものだな」
「それはお前も同じであろう」
「そうか」
会うはずもないだろう、この時間帯、この場所で。そういえば、初めてあったのもこの場所だったと何故か急に思い出して。あの時は月の綺麗な夜だったと思い出して。それから先程まで敵対していたこの男と、こうして相対して話しているのも何もかも滑稽なような気がして、皮肉の一つすら出てこない。笑う。笑うしかないと、笑う。
「可笑しいのか?」
「こういうとき、笑わなければどんな表情をすればいいかな?」
それもそうだと、相手はこちらを見返す。この会話が茶番でしかないことも、この会話以外にする会話でしかないことも。どちらも分かっている。その上でこの会話を繰り広げていく。それでも、僅かにこの時間を惜しむ声がある。もう、明日にはこの風景もこの会話も、全てが在り得ない。ここには存在しない。
もっと、ここに居たかった。
俺はくるりと相手に背を向けて、日が昇る方向へ向き直った。
「どうした?」
「んにゃ、何とも無いよ。…………朝だな、って」
「ああ、そうだな」
日が、昇る。俺は日が昇る方へと歩き始める。
「行くのか」
「ちょっと、眠くなった。寮に戻って今日はおとなしく寝てるさ」
「今日は、居るんだな」
「ああ、『今日』は居るさ」
俺は右手を頭の横に上げてひらひらと振ると、そのまま振り返りもせずに寮の方向へ歩いていく。ここに残ることは未練にしかならない。相反する感情を抑えて、ただ俺は進むしかない。
もっとここに居たかった、もっと皆と居たかった、もっと、もっと、もっと……。
「阿門!」
気配で足が止まったのが分かる。多分こちらに視線を向けているのであろう。けれどそれ以上言葉は出ない。俺は振り向いて、一度だけ阿門の姿を視界に入れて。再び俺は寮へと向かっていった。
俺は前に進むしかない、前にしか進めない。だから俺はもう一人の俺をここに置いていく。もっとここに居たいと願う俺を、もっと皆と居たいと願う俺を、もっとあいつの傍に居たいと願う俺を。『葉佩九龍』をここに置いていくしか出来ない。
朝の空気。この澄んだ空気は何処までも澄みすぎて。凛とした空気は何処までも体を刺すかのように凛と張り詰めて。
その空気の中で冷えた体の中で、唯一頬に伝う涙だけが暖かかった。
07/01/07〜07/09/08 WEB拍手掲載
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