【043 コックさん -COOK-】(逆転裁判4/響也→王泥喜)




(俺、何でこんなところでこんなことしているんだろう……)
 法介こと、王泥喜は法介は勝手知らぬ他人の台所で鍋をかき混ぜながら、小さなため息をついていた。勝手知らぬ他人の台所−牙琉響也の自宅の台所に立っている法介。彼が初めて訪れる響也の台所に立っているのは理由があった。

 (こうなるんだったら、あの時多少無茶をしても断っておくべきだった)

 後悔、とは後になって悔やむとはよく言ったもの。その状況になっても、無意識の如く動く体の動きすら今は憎憎しく思いたくなる。

 久々に飛び込んだ弁護の依頼。
 早速、状況調査のために現場へと向かう。みぬきちゃんは学校ということで、久々に一人で調査に向かうこととなった。そのついでに、所要で裁判所に寄った帰り、検事局へと資料を集めに向かう。今手がけている事件の判例を数件入手し、そろそろ事務所へと戻ろうと入り口に足を向けたところだった。
「オデコ君!」
 声の後に顔を上げれば、そこには見知った顔があった。
「牙琉検事……」
 遠目からでも分かる長身が、こちらに向かってくる。場所が場所だけに出会う可能性は高かったが、まさかこう都合よく出会うとは思っても居なかった。とりあえず、いい男とはそこに居るだけで回避したい代物なので、挨拶だけしてさっさと事務所に戻ろうとした。
「やあ、オデコ君。こんなところで会うとは奇遇だね」
「そうですね。ほんっとうにこんなところで『会う』とは思ってもいませんでしたよ」
 法介は精一杯の営業スマイルで響也に挨拶を投げつけた。勿論、挨拶の意味も社交辞令そのものであれ、こんなところで会いたくないと言うのを暗に含ませている。
「オデコ君。会話の一部に余計な力が入っていると思うのは、僕の気のせいかな」
「人を“オデコ君”呼ばわりして平気な人が言う台詞ですかね」
 分かる人が見れば、法介の周りには黒いオーラが漂っているとしか見えないが、目の前の響也はそれをあっさりと無視してのける。
「で、オデコ君、料理得意なんだって?」
「はい?」
 突然の話題転換は響也の得意技だ。人が思いもよらないところから、別の話を持ってくる。自分のその場の感情に素直と言えば、素直なのだが人を振り回すのは行動だけでなく、会話のベクトルもそのなのだ。そして法介がその言葉を脳内の染み渡らせるには数秒の時間を要した。
「この間事務所に行ったときに、お嬢さんが言ってたからね『オドロキさんのご飯は絶品ですよー』って」
 この間と言うのは、多分先日プリンのお裾分けのためにみぬきちゃんと一緒に事務所に来たときのことだろう。そういえば、あの時も人の目の前で、みぬきちゃんと二人で勝手に色々と人の話をしていたことを思い出す。出来れば思い出したくなかったので記憶の奥底にて消去されるのを待っていたのだが、ひとつのきっかけでこうも簡単に思い出してしまうらしい。人の記憶の連鎖とは、確実なものではないくせに、簡単に消去できるほど甘くもないというのか。
「食べたいな、オデコ君のご飯」
「はぁ!?」
 異議あり! 断る! と持てる言葉を尽くして断ろうとしたが。止めは意外なところから現れた。響也が突然目の前で携帯を取り出した。そして何処かへ電話を掛けているようだ。
「オデコ君に代わって、てさ」
「もしもし、オドロキさん!!」
「みぬきちゃん!?」


 法介の背中に背負っているどす黒いオーラが、さらに重さを増して、周囲を圧倒するかのように広がっている。
「オデコ君。空気が重いよ」
「馬鹿みたいに軽い空気の人に言われると更に重くなります」
 電話の声の主は、いつもと変わらぬ口調だった。そうして告げられた言葉の後、法介はこういう状態である。
『オドロキさん。今日はみぬき、パパとデートなんで今日の営業は終了ですね。ガリューさんに美味しいご飯作ってあげてくださいね。あー、楽しみですよ。今日はお寿司なんですよ』
 あっけらかんと衝撃的な事実を幾重にも積み重ねられ、その後響也に声を掛けられるまで放心状態であったことは否めない。お寿司なんて牙琉先生と一度食べたっきりで、あれ以来口に入ったことすらない。何の陰謀だろうと思いたくもなるというものだ。
 その後は、響也に引っ張られるがままにスーパーに行って食材を購入して、いつの間にか法介は響也の部屋の台所に立っていた。
 検事でロックミュージシャンである響也の自宅には、予想外に整ったキッチンと調理器具が揃っていた。整っているのは器具だけではない。調味料や食材も一人暮らしの男の台所の割には揃っている。しかもそれはただそこにあるだけではない。使い馴染んでいるのがどれをとっても分かる。これは、ある程度料理に嗜んでいなければ有り得ない台所だと法介は思った。
(自分で出来るなら、何で俺の料理が食べたいなんていうんだ、あの人は)
 顔が良くて、頭も良くて、女子にもてて、多分料理も上手いのだろう。そんな響也が何故、法介にこのようなことを頼むのか。多分、響也が女の子に一声かければ、彼のために料理を作ってくれる女の子なんて悔しいがたくさん居るのであろうに。
 そういえば、響也は法介に何が食べたいかというリクエストはしなかった。ただ法介の料理が食べたいと、言っていたことを思い出す。自炊はしているものの、彼の好みなど法介は知らない。とりあえず冷蔵庫の中身を吟味して、自分が作りなれているものを数品作ることにした。
 初めて出会って以来、何かと響也は法介に関わってくる。
 法介が、響也の兄である牙琉霧人の弟子だということだけではなく、検事と弁護士という関係だけではなく。もっと別の何かとして関わってこようとしているのが、何となしに感じられる。強引に誘ったかと思えば、時折素っ気無くなったり。素直であるかのようでいて、何か大きな隠し事をしているような響也が、どうしたいのか法介自身には分からない。ただ、それが悪意を持ってではないということを願うのみだ。

「どうぞ」
「オデコ君の、手料理だ」
 子供のようにはしゃぐ響也の声。テーブルの上に並べられたのは、数品のおかずと味噌汁と、白飯だった。テーブルに向かいあう二人。「いただきます」と丁寧にお辞儀をした後に、互いに食事に手をつける。沈黙の咀嚼。口に入れて、飲み込んで。
「美味いよ、オデコ君」
 不意打ちであるかのように、にこりと響也が笑って。箸を止めた。
「口にあったなら、良かったです」
 何度か、食事を一緒にする機会があったが、響也という男は結構味にも煩い。まずいものに当たったときなどは、機関銃のように繰り広げられる愚痴に付き合わされることが数度あった。だから、彼のそれはお世辞などでなく、賛辞なのだ。一見、彼の言葉は過剰な程に装飾されているかのようでありながら、自分の本音にはどこまでもストレートなのだということも、ようやく分かりかけてきた。だから、ほっと胸をなでおろす。
「僕は、オデコ君の味、好きだよ」
「そういうことは、女の子に言う台詞でしょう」
「味の好みが、似ているというのは大事なことだよ。特に一緒に暮らす同士で大切なことは、味と性の相性が重要だと言うしね」
「な!?」
 突然、何を言い出すのだ。と法介は危うく口に入れたものを噴出しそうになった。響也は時折、女の子に言うべきことを法介に向かって口にする。何を勘違いしているのだろうと思うのだが、聞いているこちらとしては恥ずかしいことこの上ない。
「異議あり。それは俺の料理だけでは立証不可能です」
「証拠不十分かい?」
「牙琉検事も、料理をするのでしょう?」
 法介の指摘にも、響也が怯むことは無い。
「それは、今度食べてみたいという意思表示かな」
「俺だけ振舞うというのも、どうかと思うんですが」
 響也は、やれやれと肩をすくめて法介の方を向きなおす。響也の視線は、まっすぐに法介を捕らえる。薄いブルーがかかったその瞳は、普段は気にならないが真剣味を帯びると綺麗な青になる。
「君が望むなら、いつでも立証してみせるよ」
「受けて立ちます」

 法介の言葉に、響也は不敵に笑った。
(やはり、オデコ君は法廷以外でも立ちはだかってくる姿は凛々しいね)
 目の前に向かい合っている互いの真意を、互いに知らぬまま。この奇なる縁により繰り広げられる食卓はまだ続くのであった。






07/05/15〜09/06/08 WEB拍手掲載

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