【034 風呂上がりの1杯 -AFTER BATH TIME-】(月姫/志貴&四季)



それは夢だと思えば、夢であり。
現実だと思えば、現実となる。
夢と現実の狭間にある、あったかもしれない幻想の欠片。



 相変わらず、遠野家の風呂はどこぞの温泉旅館のように広すぎて慣れることが難しい。そういえば、八年前はあの離れの風呂といえるのが精一杯の場所を使っていたのだ。それに有間の家の風呂も家族2人が入れば精一杯の代物だったなあと思えば、今、この遠野の家の風呂が贅沢のように思えて仕方が無い。
 確かに風呂は嫌いではない、いや、むしろ好きだ。有彦のツテから田舎町の温泉まで旅に出たことだって何度かある。……いかんいかん、考えるのは止めよう。そう考えるからこそ俺がこの風呂に慣れる事が未だに出来ないのかもしれない。幸いなことに、翡翠も琥珀も、ましてや秋葉もこの風呂にまではやってこないのだから、一人で考えるのは十二分に風呂と言う場所は適しているのだ。

 風呂から上がり、部屋へ戻る道を歩いているとふと、窓の外が視界に入った。



 空には青い、蒼い、あおいつき。



 ふと、それに誘われるかのように俺はくるりと向きを180度変えると玄関の方に足を向ける。風呂上りの直後に外に出ると、風邪をひくんじゃないかとか、誰も居ないのに何をしにいくのだろう、ということが頭をよぎったが敢えてそれを無視する方向に走る。何故だかは自分にも分からないが、そこに行く必要がどうしてもあったのだろう。
 気がつけば、俺は昔よく遊んだ場所に立っていた。秋葉とあの子と俺とあいつがよく遊んだあの場所。空を見上げれば、見慣れたはずのその月がこちらに迫ってくるような錯覚すら覚える。

「よお」
 声をかけられ。顔すら見ていないと言うのに、その声が誰であるのか分かってしまうのは俺が何処かでそれを求めていたのだろうか。
「とっくに盆は過ぎたって言うのに何の用だよ」
「細けえな、俺は出てくるのに時と場所を選ばないんだ」
「随分都合のいい設定だな」
「そりゃあ、そうじゃなければこの話だって存在しないだ…」
 言葉を続けようとするそいつの口を俺は手で押さえ込んだ。やめとけ、それ以上言ったら俺たちどういう扱いをされるか分かってるんだろうに。とりあえず、俺は夢に犯されるのだけは勘弁だからな。あいつは苦しそうにもがいているが、別段気にしないで話の続きを続けよう。そう決まって、俺は口を塞いでいた手をゆっくりと離した。
「お前、俺を窒息死させる気か!?」
「すまない、ちょっと身の危険を感じたものでね」
「!?」
「こっちの話だ」
あいつはまだ腑に落ちないような顔をしているが、それには構わずににこりと笑う。最近、ちょっと琥珀さんのスキルが身に着いてきたようである。それがいいのかわるいのかは判断つきかねるが。
「ところで、もう一度聞くけど一体何の用なんだ?」
「いや、いい酒が手に入ったからお前と一杯やりたいなー、と」
「はい?」
予想外すぎるとも言いがたいこの展開に丁度良く、あいつ…シキの右手には一升瓶が、左手にはお猪口が二つあった。しかし、こいつは現実存在ではないくせにどうやって酒を調達しているのかは謎ではあるが敢えて追及しない。追求したら話なんて進まないのは十二分に分かっているのだから。
「つまみはないのか」
「あ? 酒が上手けりゃ十分だろう?」
さも当然のような顔をしてシキは笑う。そういえば、アイツがこんな笑い方をするのは、八年前以来だなあと漠然と思った。
「何か食わないと、胃がもたれる」
「そんな安酒じゃねえから、安心しな」
そう言われれば、そうかもしれないと思う。いつもの俺ならもっと反論するだろうに今の俺は何故かそれに納得してしまっている節があるようだ。

 俺たちは互いに酒を注ぎあうと、互いにお猪口を掲げ乾杯の代わりにする。外に出たことで少しは冷めていた身体だが、まだ熱が残っているのだろう。火照った身体に良く冷えた日本酒が染み渡るかのように体がすっきりとする。
「美味いだろ?」
 何処か子供のように聞いてくるシキに俺は「ああ」とだけ答えるともうひと口飲み込んだ。口に含んだ瞬間、米の香りが口いっぱいに広がるが、飲みごしはすっきりとした代物でそんじょそこらの酒屋で手に入る代物ではないと言うことは分かる。ああ、こんないい酒を味わってしまえば今後は安酒など飲めなくなるだろう。と思えばこの美味すぎる酒に少し文句すら言いたくなる。
「シキ」
「何だ?」
「おまえ、ほんっとうに俺と飲みに来ただけなのか? 何か用事でもあったんだろ?」
「いや、ない」
「はい?」
「言いたいことは全部【酔夢月】で言ってしまったからな。今度は何もなく飲みたかっただけだ」
「それを持ってくると、これが夢オチだということがばれるぞ」
「何を今更。大体、俺がここに居る時点で夢オチだっていうのは少しぐらいコアなファンなら分かってしまうだろ?」
 まあ、それを言ってしまえば身も蓋も無い。しかし、これが夢オチで終わるとするならばどうにも終わりが予想できそうだが、嫌な予感がするので敢えて止めておこう。精神衛生上それが一番いいに違いない。
 あおいつきが、懇々と注ぎ続ける柔らかな月光の下でもうまみえる事の無いだろう二人が酒を酌み交わす。それが夢か現かなど既に必要の無い事項であり、俺もシキも互いにそれが現実ではないことを知っていたからこそ、この状況に酔い続けていたのだろうと後になって思うのはまた別のこと。

 少し、飲みすぎたのかアルコールが回ると眠くなってくる。
「夢の中で、夢を見るとどうなるんだろうな」
「夢は、夢を見ない」
「そうか」
「そうでなければ、夢である意味もない」
そうであれば、今個々で眠っても夢は見ない。見るとするならばそれは現実であろう。シキはいないが、何処かに俺の望むままに眠っているシキを抱えたままの志貴がいる筈の現実が。ふと、それが合図であったかのように俺の意識がぼやけ始めた。
「また、飲もう」
それがどちらの声だったのかも判別できぬまま、俺は意識を失いはじめた。




 そして、戻った意識が最初に認識したのはやはり慣れぬことの出来ぬ、違和感を持った天井と、見慣れた人々。
「全く、風呂に入りすぎてのぼせるなんて何を考えてるんですか。兄さん」
秋葉の声。
「申し訳ありません、私がもう少し早く気がついていれば」
本当に申し訳無さそうに、か細い声の翡翠。
「風呂に浮かんでたら土佐衛門ですね」
だから琥珀さん、それはやめて下さい。貴方が言うと怖すぎます。
「冷たいお水です」
ゆっくりと起き上がると、翡翠が差し出した水を飲み干し、一息つく。琥珀さんの話によれば俺が余りに風呂から出てこないので様子を見に行った翡翠が、俺が風呂でのぼせていることに気がつき琥珀さんだらしい。琥珀さんを通せば、必ず秋葉にもその話は聞こえる。結局俺が目覚めるまで3人はこの部屋に居たらしい。
 シキが出てきた時点で夢だとは気がついていたが、それにしてもこういうオチだったのか。最初に俺が風呂好きだと説明していた時点で何かあるとは思っていたが。

まて?

俺は風呂でのぼせた。風呂に入るには裸だ。今の俺はパジャマを着ている。ということはやっぱり…。
「俺…風呂に入っていたときは裸でしたよね」
「ええ、私がパジャマを着せましたよ。翡翠ちゃんはあの通りですからね。でも志貴さんの見ちゃいましたし、きゃ」
琥珀さん、楽しそうに言わないで下さい。後で殺意をあからさまに発している人が居ますから。
「とりあえず、今日はゆっくりと休んでくださいねー。じゃ、秋葉さまも翡翠ちゃんも行きましょう」
琥珀さんはいつもの笑みを浮かべると秋葉と翡翠を引き連れて部屋を出て行った。あまりの恥ずかしさを堪える為に、ベッドにもう一度横になる。眼鏡をサイドテーブルに置こうとしてふと、気がつく。

先ほどまで使っていたお猪口がひとつ、そこにあった。



青い、蒼い、あおいつきが空を照らす。
夢と現の狭間を、柔らかく包み込むかのように。




05/05/05〜05/11/11 WEB拍手掲載

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