【032 たまご -EGG-】(絢爛舞踏祭/舞踏子&ヤガミ)
「ようこそ火星へ。我々火星独立軍は、お前を歓迎する」
目の前で、そう言った男はまるで長い間待ったと言う顔をしていた。多分、私はそのときどんな顔をしていたのか分からない。鏡すらないその場所で、何故か私はその男が安堵していたかのように見えた。
今、思えばあの時の私は卵から孵ったばかりの雛で、あの男、ヤガミは親鳥のようなものだったのだろう。雛は卵から孵って一番最初に見たものを親と慕う。多分全ての舞踏子やホープが一番最初に目にするのはヤガミの顔だ。だから皆、彼のことを気に掛けるのだ。恋人にしろ、友人にしろ。どんな形にしろ。 多分それはヤガミ自身でも気がつかないだろうと思う。彼は義体という殻の中に宿る【希望】という中身を待ち続けていたのだ。そしてその中身には【希望】が宿っていた。ただ、彼の思惑と違うのはその【希望】が彼を選ばなかったということだけである。
多分、他の世界の舞踏子なら、ホープならヤガミを選び、ヤガミを信じたのだろう。だが、不運なことにこの世界の舞踏子はヤガミを選ばなかった。それだけのことである。
「どういうことだ」
突然、背後から肩を掴まれて声を掛けられる。この夜明けの船の中でそういう振る舞いをする人間は限られている。舞踏子は振り返りもしない。
「何が?」
その声には、温もりも何もない。何も知らない相手であれば、声をかけるのすら躊躇われる、そんな声色。だが相手もそれに怯むことは無い。
「先程の、戦闘のことだ」
ようやく舞踏子は振り返り、既に分かっている相手を確かめる。その顔にはやはり声色と同じく、感情の一欠けらも無いアンドロイドそのものだった。
「あの戦闘は陽動だけで十分だと言ったはずだ。なのに何故、全滅させた」
やはり舞踏子は顔色すら変えるつもりも微塵になく。
「いずれ、あれらも倒さなければならないのでしょ。だったら今叩こうが後で叩こうが同じこと。私の仕事はこの火星に【100年の平和】を呼ぶこと。手っ取り早い方法として全てを叩き潰すことにしたの」
だが、と反論しようとしてその男、ヤガミはそれ以上何も言えなくなった。舞踏子はやはり無表情で、動揺する様子すら微塵にも感じられなかったからである。
確かに、彼女は【希望】としてこの船に下り立った。しかし、最初の頃はそれなりに指示を聞いていたのに最近の舞踏子は、ヤガミには理解できない。戦闘では恐るべき数の撃墜数を稼ぎ、容赦というものが感じられない。更に、都市船の人口が減り始めている。火星の民が、減り始めているのだ。
(確かに、必要最低限の犠牲は止むを得ないと思っているがこれでは……殺しすぎだ)
火星を再生するにしろ、開放するにしろ人員がいなければそれは行えない。逆にあまりにも多すぎると飢餓が発生するなど社会的影響が出てくる。それ今まではある程度の人口コントロールも必要ではあったが、これでは出生と死亡のバランスがとれず平和になっても、火星が立ち行かない可能性が出てきているのだ。
「オマエは【希望】だ」
「だから何だというの?」
「オマエはこの世界を平和にするためにだろう?」
心なしか、ヤガミの口調には熱がこもっていた。感情ひとつもらさない舞踏子とは対照的である。
「ええ、でもそれはヤガミの思う【100年の平和】ではない」
「オマエは、何をする気なんだ」
舞踏子の意図がつかめない。目指すところは同じものであると思っていたのに、実は違っていたのだ。手中に収めていたはずなのに、気がつけば掌からさらさらと零れ落ちているのが感じられた。
「私たち、舞踏子・ホープのなすべきことは一つ。この火星に【100年の平和】を呼ぶこと。それをなす為の【希望】タマゴたち。義体は殻。心は中身。殻は同じでも中身は皆違う。黄身が二つ入っていたり、黄身が実は黄色じゃなくてピンクや青だったり。既に固ゆで卵になってしまったり、白身と黄身が逆だったり」
「何が言いたい」
「この世界に降りた【希望】のタマゴは手段という白身はあっても、心という黄身が半分無くなってしまったの」
ヤガミは舞踏子の言葉を反芻する。咀嚼する。脳裏へと届かせて意味を探る。つまり目の前に居る舞踏子は【100年の平和】を手に入れる手段は知っていても感情には乏しい。人の生死すら容赦せず、目的の為にだけ突き進んでいくある意味殺人機械よりタチの悪い代物だ。
「ヤガミ、本当に運が悪いわね。こんな欠陥品の【希望】を引き当ててしまって」
そして舞踏子は微笑んだ。穏やかに、柔らかく。それはまさしく女神の微笑みとでも言うかのように。突然の表情の突出にヤガミは戸惑いを見せる。そして無意識に舞踏子の肩を掴んでいた手に力が入った。
「俺の運の悪さは、相変わらずか」
それは、何かに向けての悪態だった。目の前の舞踏子ではなく彼女をこの火星へ差し向けたOVERSへのものなのか。目に見えない運命へのものなのか。多分発言したヤガミ自身にだって分からない。
「用件はすんだ?」
目の前の舞踏子の表情は既に消え失せていた。
肩を掴んでいたヤガミの手を振り解くと、舞踏子はゆっくりと彼の視界から遠ざかっていく。そしてそんな舞踏子の後姿をヤガミは視界から消えるまで両目に焼き付けるしかなかったのである。
(【希望】である筈の彼女が、火星を滅ぼす可能性もあるとは何という皮肉か)
この【希望】はひとつ扱い方を間違えれば、火星はおろか世界全てを滅ぼしかねない代物だと気がついたとき、ヤガミはその場で、人知れず笑うことしか出来なかった。
07/05/23〜08/04/07 WEB拍手掲載
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