【027 さくらんぼ -CHERRY-】(頂天のレムーリア/奈穂中心オールキャラ)
それは千葉奈穂(ちば・なお)が目を覚ましたその日の晩のこと。
奈穂は良狼(よしろう)の暴走を止める為に、ウェーブデビルに素手で触れた為に右手に凍傷を、左手に火傷を負っていた。
ようやく意識を取り戻したかと思えば、そこは既にレムーリアと呼ばれる大陸に辿りついたと聞かされて飲み込むのに時間はかかったものの「そうですか」と笑みをこぼした。よかったですね、ようやくレムーリアですよと笑顔を見せて、両腕に火傷と凍傷を負ったことすら忘れて、良狼に触れようとしてその両腕の痛みにようやく気がつく始末である。
見回せば知った顔と知らない顔が交じっていて困惑していたが挨拶されてようやく納得する。それにいたるまで色々細かいことがあったのだが、「まあいいや」と片付けてしまえるあたりも彼女の美点の一つともいえよう。どんな思惑があろうとも心配してくれたのだし、悪い人じゃなさそうだからというのが奈穂の印象だった。
その日の晩は祝いだと言って海賊も娘子軍(じょうしぐん)の兵士達も、普段の確執など忘れてどんちゃん騒ぎを始めている。海賊の首領である赤鮭はそれを止めるでもなく、いやかえってその騒ぎを煽っている。娘子軍の軍団長である青カモメも今日だけは特別だからと言ってその騒ぎを黙認していた。最も赤鮭が羽目を外しすぎた時のストッパーにならなければと息巻いている部分もあったのだが。
雷蔵も宴会は楽しいことだと言う認識があったらしく、海賊や娘子軍の兵士にせがまれて岩手との猛特訓の末に見につけた剣舞を披露している。今回は特に気がまえることもなくのびのびと踊っており、その姿に喝采すら沸きあがっている。
奈穂は病み上がりだと言うのに、主賓としてテーブルの真ん中に座らされる。目の前には色とりどりの果物や御馳走の山。中には奈穂が見たこともない種類の果物や料理も沢山あった。どれから食べようか迷う奈穂。しかし既に周囲は出来上がっており奈穂の周囲には殆ど人がいない。まだ上手くスプーンすらもてない今の状況では奈穂は何も食べることは出来ないのであった。目の前に御馳走があっても食べられない今の状況は拷問に近い。
(お腹すいたあ…)
鳴る腹を抱えて、目の前の食べ物を恨めしそうに見る奈穂の隣に誰かが座る。
「良狼さん?」
「……」
確か良狼は先ほど雷蔵くんに「僕の華麗な舞いを見ないと駄目だよ!」とか言われて引っ張られていった筈だ。良狼は奈穂の前に盛られた皿の料理が減っていないことに気がついた。
「……食べていないのか」
「あの…」
両手を挙げる奈穂。ようやく良狼は奈穂が食べられない理由を悟る。
「すまない…」
「そ、そんな良狼さんが気にする必要がないんです。わ、私が勝手にやった為に皆さんに迷惑かけてしまって」
それきり良狼も奈穂も黙り込んでしまう。周囲はこんなにも賑やかにざわめいているというのに、今この場所にある本当に近い距離にある奈穂と良狼の間は沈黙と気まずさが漂っている。
(な、何か言わないと…)
沈黙を打破しようとするものの、どうすればいいか分からない。
「口をあけろ」
え、と奈穂が少し死線を上にずらせば目の前にはスプーンを持った良狼の顔が至近距離にある。反射的に奈穂が口を開けば良狼の持ったスプーンの先が奈穂の口の中をめがけて飛んできた。
「どうだ?」
どうだといわれても、突然のことに味すら感じない。奈穂はとりあえず昔兄に注意されたようによく咀嚼してから飲み込んだ。
「今は食べることも大事だと言っていたからな」
良狼は多分、小鳥にでも餌をやるような感覚に陥っているに違いないと思いながらも、当の奈穂は余りに恥ずかしくて次の口を開けない。顔がほてってくるのは分かっていたし良狼に何らやましい意味が無いのも知っているからなんと言えばいいのか分からないのである。
「あの…」
「こんなところにいた!」
突然奈穂と良狼の間に雷蔵が入ってくる。舞台を終えた後でそのままで来たらしい。まだ少し汗ばんでいるが奈穂は助かったと思いながらも、少し残念に思う。雷蔵は良狼に何かを言うと奈穂に視線を寄こした。
「奈穂、食べられないなら最初から言えば僕が食べさせてあげたのに」
見た目には美少女としか見えないこの少年は口にさくらんぼを銜えると良狼からスプーンをひったくるようにして奈穂に食べさせようとする。
今の雷蔵にとって奈穂は自分の妹のようなものであり、末っ子の雷蔵としては始めての感覚を楽しんでいるのだろうと思う。お兄さんというものになった気がして得意なのだ。一方、奈穂も雷蔵の方が見た目のこともあってなんとなく良狼に感じていたような恥ずかしさも半減し素直に食べさせてもらうことにした。良狼の視線はちょっと痛いものがあったが、仕方が無い。
「あら、楽しそうなことしてるじゃない」
「ほうほう」
すっかり酒が入った赤鮭と青カモメもやってきて面白そうだと皆が代わる代わる奈穂に食べさせるものだから、奈穂もすっかり満腹になっているというのに皆、止めようとしない。しかし、好意を無下にするわけにもいかず奈穂はゆっくりと飲み込んでいった。
(もう無理…)
駄目かと思ったその瞬間、奈穂の口にさくらんぼが入れられる。
「これで最後ですよ」
「い、岩手さん…」
「皆、まったく病み上がりの人間に食べさせすぎですよ」
岩手の一喝に、しょんぼりする一行。岩手はいつもの柔和な笑みを湛えながら、奈穂に向かい合う。
「これ以上倒れられると、僕が滋賀のところに戻れなくなりますからね、早くよくなって下さいよ」
(岩手さん…ごめんなさい…)岩手の本音を一瞬垣間見てしまった奈穂は、大人しく部屋に戻るしかなかったとのことである。
翌日、奈穂の部屋の前には各種胃薬が用意してあったとか。
05/03/10〜05/05/10 WEB拍手掲載
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