【025 はみがき -BRUSH THE TEETH-】(九龍/皆&主)
「甲、あれ使ってみた?」
そう言って尋ねてくるのは隣の部屋の葉佩だった。“あれ”というのは昨日八千穂から貰った歯磨き粉のことである。
八千穂がこの間友達と一緒にネットの通販で面白そうだと買ってみたけど、あまりに数が多いから葉佩に『お裾分け』したらしい。葉佩の奴も最初それを貰った時は面食らってしまったらしいが、よくよく中身を見てみると面白そうだと笑っていた。そういう順応性の高いところが奴が《宝探し屋》たる所以であり素質であると思われる。そしてそういう好奇心に巻き込まれるのはここ最近自分の役割となってしまっていたことにも気がつかされて少し自己嫌悪に浸りたくもなってしまう。が、それを許してくれる訳もない周囲の環境。
葉佩は八千穂から貰った中である種類の歯磨き粉を見つけると、八千穂と一緒にこっちを見て笑っていた。あの顔は何かを企んでいる顔だ。そして案の定葉佩と八千穂が一緒にこっちにやってくる。そして皆守に向って何かを差し出した。
「甲、これやるよ」
「うん、皆守君これ使ってよ」
そう言って奴らが差し出したのは一本の歯磨き粉だった。
『○○社製 歯磨き粉 印度カレー』
手渡されたチューブには確かにそう書かれていて、俺は一瞬、というか本当にリアクションに困った。確かにこいつらには俺がカレー好きだということは知られていたが何処の嫌がらせだろうかと言うぐらいには思ったんだよ。
「どういうつもりだ…」
「だって…ねえ」
そう言いながら葉佩の方に視線を寄こす八千穂。葉佩も八千穂の方に視線を合わせ、それから俺の方を見て不可思議そうな顔をする。
「甲はカレーの王子サマだから、歯磨き粉がカレーでもおかしくないだろ?」
そう言った葉佩も八千穂もマジなのだから始末に終えない。返すわけにもいかないそれを、俺はとりあえずそれをポケットに仕舞いこんで教室の出入り口に向った。
「葉佩、俺だるいから次の授業休むな」
「えー、皆守君サボりは駄目だって」
「誰のせいだと思ってんだよ」
そういって、俺はさっさと保健室で午後の安息を貪るように手に入れた。
すっかり、葉佩に言われるまで忘れていたのだ。俺がカレーには拘っているというよりも納得できる味に出会いたいだけで、他の面子は俺がカレーマニアだとか何とか色々言っているらしい。大体好きなものは毎日でも食いたいだろう? それにカレーなら味つけと具で千差万別に食べられる。スパイスの調合でまた味付けが変わる。日本人だって毎日のように味噌汁飲んでいるだろう、それと同じことだと俺は思っているんだがなあと言ったら、葉佩はその時少し笑っていたな。まあ、嘲笑ではなく微笑ましいと思ってくれるんなら有難いが。
「なあ、お前は何を使ってんだ」
その質問は戯れにすぎなかった。都合の悪い部分から逸らすための質問だったのだ。あの時葉佩は八千穂に他にも色々と貰っていたかのようだったのだ。
「結構色々貰ったよ。バナナとか紀州梅とか。面白いなー、あれ。今度ネットで買ってみようかな。あ、甲にも買ってやるよ『印度カレー味』な」
「ほっとけ」
その話はそこで終わるはずだったのだ。
「じゃ、俺が何使ってると思う?」
「わかるか、んなモン」
「当ててみろよ」
葉佩がそう言った瞬間、俺の視界に顔を近づける。
少し濡れた感触が、唇に伝わってくる。それが葉佩の唇だということも気がついた後に熱が伝わる。その感触が予想外に心地よくて、それがキスだということに気がついたのは葉佩の唇が離れ始めたその時だった。
離れかける唇から香るかおりが鼻腔をくすぐる。それは何よりも覚えがあって自分の匂いか彼の匂いか判別が難しい代物。過去を忘れない為への自分への戒め。
「お前は男とキスする趣味があるのか」
「まさか。父さんとはしてたけどな。あ、オヤジは嫌がっていたけどな。それにあっちじゃ挨拶みたいなもんだろ?」
俺は父親らと同レベルかよ、と不貞腐れたくなりつつ葉佩とキスをした衝撃が結構強いことに自分でも驚かされる。確かに向こうでは挨拶代わりだろうが、俺は日本人でそういう免疫はなじみがないのだ。まさか葉佩は誰彼構わずこんなことをしているのだろうかと考えると、少し頭が痛くなる。
「分かったか?」
「ラベンダーだろ?」
「正解」
流石カレーとラベンダーの匂いしか分からない男。と、褒めているのかけなしているのか分からない葉佩の背中に蹴りを入れる。「酷いよ〜」とか弱いふりをしても無駄だ。人の唇を奪った罪は重いんだということをじっくり教えてやら無いとな。
とりあえずこの不埒者を部屋から追い出した後、俺は食後の歯磨きをしていないことに気がついた。俺も酔狂だよな、と感じつつ制服のポケットから貰った歯磨き粉を取り出す。
『印度カレー』の割にはお決まりのフレーバーだなと思いつつ味はそう悪くないと思いながら俺は歯を磨き始めたのであった。
05/02/03〜05/06/15 WEB拍手掲載
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