【020 調理実習 -COOKING CLASS- 】(東京魔人學園剣風帖/紫暮×壬生)
「こんばんは、紫暮さん」 用事など今更聞く必要も無い。彼−壬生紅葉−がここにやって来るということは、目的は一つしかない。 「手加減はしないぞ」 すぅ、と息を吐く。僅かに開いた口を引き締めた。周囲に纏われる雰囲気が琴の弦の如く張り詰める。どちらかが、動いた瞬間にその緊張感が弾けた。
先程まで白熱した、練習と言う言葉では片付けられぬ域にまで達するレベルの手合わせを先程まで残っていた門下生達が見るならばなんと言うだろうか。しかし、稽古と実践では何よりも違う。既に龍麻たちと出会い何度かこの世ならざる異形の物たちと戦うようになり実戦を経験するうちに、稽古の後というのに二人の呼吸は既に整えられている。スポーツタオルで汗を拭うと、予想以上に汗をかいていることに気がつく。 「今日もありがとうございました」 風呂も夕食も終えて玄関先にて、壬生と挨拶を交わす。いつもなら、そのまま玄関口へと向かっていこうとする壬生が、何かを思い出したかのように鞄から何かを取り出した。 「お口に合うか分かりませんが」 その言葉と同時に差し出されたのは、手のひらに収まるぐらいの小さな包み。青い星柄が印刷されたその包装紙が、これまた深い藍色のリボンで結ばれている。壬生にもそして紫暮にも似合わないその包みに紫暮の視線が突き刺さる。紫暮はもう一度その包みを見てから、それから壬生を見た。壬生は紫暮のその視線に動じることもなく紫暮の方をじっと見る。 「壬生……これは、何だ?」 紫暮はふとあることを考えつく。 「調理実習……って、お前が作ったのか?」 学校の女生徒からさえ何かを貰ったことが無いというのに、こうして壬生からとは言え手作りのものを貰うという行為に柄にも無く意識してしまう。一応鎧扇寺高校にも調理実習という名目はあるものの、鎧扇寺は男子校の為どれもこれも惨憺たる出来具合ではあったし、紫暮も男兄弟の中で育っただけあって殆ど台所などに立ったことは無い。 「ありがたいな」 だから、そのまま素直に礼を言う。そして紫暮はその場で包みを開け中身を一つ、口にする。包みの中は、クッキーだった。口あたりの良いその食感の後、さくさくした歯ざわりと同時に市販より仄かな甘みが口の中に広がる。何も入っていないものだったがそれは市販のものよりも余程美味いと、普段は余り菓子など食さない紫暮でさえそう思えたのである。 「美味い」 そういう、壬生の頬にほんの少し朱が混じっていることに紫暮には気がつかない。紫暮はまた包みをリボンで簡単に結びなおすと豪快な笑みを壬生に向けた。その笑みには勝てない、紫暮の誘いを受け入れこの道場で時折手合わせをするようになったときから紫暮には勝てないとこのとき、気がつかされる。 「お口に合ったようで、嬉しいですよ」 壬生は、また来ますと言って玄関から出て行った。その姿が視界から見えなくなるまでその背を見送ってからまた家へと戻る。紫暮は自室に戻るとゆっくりと先程の包みを開け、先程の壬生の表情を思い出す。クッキーが口に入るたびに先程のやりとりや、今までのことを思い出した。 「本当に、美味いぞ…壬生」
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