【017 牛乳 -MILK-】
永遠の真夏の国、六合(りくごう) 日曜ロッカー兼夜はホストの秋津隼人(あきつ・はやと)の家にクーラーはおろか、扇風機などあろう筈もなく。(そもそも、この世界にクーラーや扇風機なるものがあるかどうかすら不明なのだが)暑い真夏の午後になどに働くよりも元々自称夜型人間の隼人は夜に働くことにした為、昼は午睡の時間と決めている。 「パパ…」 時折寝言としてもれるその言葉は隼人のことかそれとも、トラナの父のことなのか。
そんな沈黙とネガティブと感傷をごっちゃ混ぜに煮詰めて、炒めた後に揚げたような気分を温水で洗い流すかのように声を掛けたのは、同じく日曜ロッカーのモヒカンこと静寂(しじま)だった。 「もう、そんな時間か」 隼人は顎で寝ているトラナを指し示す。浮き輪を枕代わりにして眠っているトラナの姿がモヒカンにも見えた。 「起こすのか?」 余りにも良く寝ているので起こすには少し躊躇する。しかし、ここで起こさないで寝ていたとなればトラナに何を言われるか想像がつく。 「機会があって、見逃すのと自分で見送るのは意味合いが違うからな」 そうして、隼人がトラナを揺さぶると、まだ何処か半分寝ぼけたようなキャミソールのワンピースの肩紐が半分解けたような状態でトラナは古いぬいぐるみを抱えたまま上体を起こした。 「ああ…海ね、いきましょう、パパ」 最近の隼人とトラナとモヒカンの昼の習慣は海へ行くことだ。何しろ六合は5m水没した世界なのだから、海など身近なものである。ただ、砂浜など望むまでも無く今は屋根の上が道路であり、その端のある屋根の上に3人は腰掛けた。 「・・・牛乳?」 そうやって隼人に瓶入り緑茶を差し出す。ちなみにモヒカンは瓶入り紅茶だった。 「高いんじゃねえの、牛乳?」 お約束なら薀蓄でも語ろうかというモヒカンの言葉を丁重にお断りして隼人は瓶の蓋に爪を引っ掛ける。トラナの分を取ってから自分の分も空けた。 「トラナちゃん、おっきくなったら美人になるぜ」 モヒカンの言葉には冷静に対処していたトラナも隼人の言葉には少しだけ頬が緩む。トラナは瓶の中の牛乳を一気に、それは王女らしからぬ速さで飲み干す。それでも流石というべきか唇には牛乳が1滴もついてはいなかった。 「パパ、泳いでくる」 流石にいつも連れているぬいぐるみはモヒカンの傍に置かれ、トラナは先程まで枕にしていた浮き輪をつけると海に向かって屋根から飛びこんだ。 「でも、本当に美人になると俺は思う」 隼人はもう一度トラナを視界に入れてから、表情を一変させる。
その横顔からは、精悍な髭が生えていた。
|