【017 牛乳 -MILK-】
(ゴージャスタンゴストーリー内 Romantic. DARK SUMMER)



 時折カーテンを揺らす海風に吹かれながら、隼人の膝の上に抱かれてトラナ王女は和んでいる。

 永遠の真夏の国、六合(りくごう)

 日曜ロッカー兼夜はホストの秋津隼人(あきつ・はやと)の家にクーラーはおろか、扇風機などあろう筈もなく。(そもそも、この世界にクーラーや扇風機なるものがあるかどうかすら不明なのだが)暑い真夏の午後になどに働くよりも元々自称夜型人間の隼人は夜に働くことにした為、昼は午睡の時間と決めている。
 腕に抱くは、とあるきっかけにて自分の娘となったトラナ。密着するにはこの真夏の国の真昼には堪えるものもあるが、それでも額に汗をたっぷりかきながらも何よりも安心して眠るトラナの姿が視界に入る。その寝顔に隼人は眠っている時は可愛いのにな、と心の中で思った。口に出してしまわないのは、そんなことを言えばその言葉の何倍もの言葉が返ってくると同時に、口に出してしまえばこの全てを決意を背負ってやってきた娘が何よりも傷つくと知っていたから。

「パパ…」

 時折寝言としてもれるその言葉は隼人のことかそれとも、トラナの父のことなのか。
トラナは自分の事など語ろうともしないし、隼人も聞こうと思わない。トラナは今は自分の娘となって、養う必要が出来た。だから働くだけだ。



「よお、来たぜ」

 そんな沈黙とネガティブと感傷をごっちゃ混ぜに煮詰めて、炒めた後に揚げたような気分を温水で洗い流すかのように声を掛けたのは、同じく日曜ロッカーのモヒカンこと静寂(しじま)だった。
 右手は水上コンビニの見知った袋を掲げている。モヒカンは頭にかぶった西崎商店のタオルを外すと玄関口に座り込む。

「もう、そんな時間か」
「トラナちゃんは?」

 隼人は顎で寝ているトラナを指し示す。浮き輪を枕代わりにして眠っているトラナの姿がモヒカンにも見えた。

「起こすのか?」

 余りにも良く寝ているので起こすには少し躊躇する。しかし、ここで起こさないで寝ていたとなればトラナに何を言われるか想像がつく。

「機会があって、見逃すのと自分で見送るのは意味合いが違うからな」

 そうして、隼人がトラナを揺さぶると、まだ何処か半分寝ぼけたようなキャミソールのワンピースの肩紐が半分解けたような状態でトラナは古いぬいぐるみを抱えたまま上体を起こした。

「ああ…海ね、いきましょう、パパ」

 最近の隼人とトラナとモヒカンの昼の習慣は海へ行くことだ。何しろ六合は5m水没した世界なのだから、海など身近なものである。ただ、砂浜など望むまでも無く今は屋根の上が道路であり、その端のある屋根の上に3人は腰掛けた。
 泳ぐもいいが、何はともあれ腹ごなしが必要だ。そしてモヒカンの持ってきたコンビニに袋には弁当と瓶入り緑茶と同じく瓶入り牛乳。

「・・・牛乳?」
「それはトラナちゃんの分、お前はこっち」

 そうやって隼人に瓶入り緑茶を差し出す。ちなみにモヒカンは瓶入り紅茶だった。

「高いんじゃねえの、牛乳?」
「欠食児童のトラナちゃんの成長には必要さ」

 お約束なら薀蓄でも語ろうかというモヒカンの言葉を丁重にお断りして隼人は瓶の蓋に爪を引っ掛ける。トラナの分を取ってから自分の分も空けた。

「トラナちゃん、おっきくなったら美人になるぜ」
「ありがとうございます」
「美人・・・う〜ん・・・そうかもな」

 モヒカンの言葉には冷静に対処していたトラナも隼人の言葉には少しだけ頬が緩む。トラナは瓶の中の牛乳を一気に、それは王女らしからぬ速さで飲み干す。それでも流石というべきか唇には牛乳が1滴もついてはいなかった。

「パパ、泳いでくる」

 流石にいつも連れているぬいぐるみはモヒカンの傍に置かれ、トラナは先程まで枕にしていた浮き輪をつけると海に向かって屋根から飛びこんだ。
 大の大人の男2人は弁当を食べながら水につかり、泳いでいるトラナを視界にのんびりと潮風に当たる。

「でも、本当に美人になると俺は思う」
「まあな、俺の娘だし」
「嫁に行く時、こっそり泣くタイプだな」
「冗談言うな」

 隼人はもう一度トラナを視界に入れてから、表情を一変させる。



「余に勝てる男にしか、トラナはやらぬ」

 その横顔からは、精悍な髭が生えていた。



04/07/17〜04/08/08 WEB拍手掲載

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