【008 クリーム -CREAM- 】(絢爛舞踏祭/舞踏子)
その白い、ふわふわとしたものを食べた最後の記憶はいつだったのだろうか、とヤガミは調理室から聞こえてくる矯正を聴覚に入れると同時に、視覚を舞踏子と恵が持っているボウルに寄せる。
そういえば、ああいう甘いものを最後に口にしたのは一体いつのことだったのだろうかと思い直して。それから立ち去ろうとするが、舞踏子の声が耳についてついその場に立ったままである。
「わ、舞踏子さん上手ですね」
「そう?」
「結構、クリームってあわ立てるのに力、いりますよね」
「氷水で冷やすといいとか言わない?」
卵、牛乳、小麦粉……調理台の上に乗っている材料を見て、ヤガミは大抵何の材料なのか推測する。そういえば、中村がよくそれらの材料で何かを作っていたという思い出が蘇る。そしてそれを食べて喜んでいた彼女の顔も、記憶の映像に再生された。それから、他の誰にも、恐らくはMAKIにも気がつかれないぐらいの僅かな微笑みを唇にそっと乗せて、それからその場を立ち去った。
今日が何の日かと、ヤガミは記憶を思い出して。それから舞踏子が何を作っているのかを想像して。何となく上機嫌でその場に誰も居なかったならばスキップで歩き出しそうなぐらいにはなっていた。そして余りにも上機嫌なヤガミを横目に回りはいつもとは違うその豹変っぷりに、敢えて誰も近づかないようにしていたことすら気がつく暇も無かった。
だから気がつかなかったのだ。彼とすれ違いに入った人物が誰だったのか。そして舞踏子がクリームを泡立てていたその理由も。
その日のヤガミはとにかく上機嫌という3文字そのままを体言していた。誰も彼もが彼を上機嫌だと声をかけてくるし、それに対しては好意的に接するものと、恐怖半分で避ける者の半々だったが。
「ヤーガーミーさーんー」
通路の向こうから舞踏子がゆっくりと歩いてくる。後ろ手に何かを隠しているが、恐らくその内容はヤガミには予想できている。何故か後ろにはエノラとミズキが並んでいたが、ヤガミの視界には舞踏子しか入っていない。舞踏子のことになると視界が極端に狭くなるのは、何処かの青と一緒らしいが、それを言うと絶対否定するから本人の前では言ってはいけないことは一部の暗黙の了解である。
それから舞踏子はヤガミの前に立ち止まると、ニコリ、と微笑んだ。いつもなら爆笑しか見せない舞踏子がこんな笑顔を見せたのは一体何時以来だったろうかと記憶を思い出す。顔が赤くなるヤガミ。エノラとミズキが何か物凄い顔を見たというように目を丸くしていたが、それもヤガミの視界には全く入っていない。恋は盲目、ここに極れりである。
「舞踏子……」
舞踏子は顔を赤らめているヤガミを気にすることもなく、笑顔のままで。
「ヤガミさん、お誕生日おめでとう」
「あ、ありがとう……」
「あのね、これ」
そして舞踏子が後ろ手を突然前に出した。結構大きな箱を目の前に取り出した。多分余りにも大きかったので多分ミズキとエノラがそれを支えていたのだろうと思われた。それからゆっくりとリボンを解き、箱の蓋を開けるとやはりそれはケーキだった。それにしては余りにも飾りにも何も無いシンプルなものだったが、大体ケーキにどんなものがあるのか分からないのであるが。予想が当たったことにヤガミは表情を崩さないようにしながらも、それは困難なことだった。
ありがとう、と受け取ろうとした瞬間。舞踏子がもう一度、微笑んだ。
その笑顔が、一瞬の油断だった。
「「「そ ぉ ー れ !!!!」」」
気がついたときには、視界は白く染まっていた。それから口についた何かが若干甘いことに気がついた。皮膚が何か柔らかいもので覆われている。それから肌の上を滑り落ちる何かの感触と甘い匂いが鼻腔内に広がった。それから手で触れれば、それがクリームであり、滑り落ちたのはスポンジだと分かる。
「よっしゃ!!」
威勢のいい掛け声と、甲高い笑い声と、聞き覚えのある爆笑が響く。それから何が起こったのか気がつくと、舞踏子のいつもの爆笑だった。周りの視線が突き刺さるようだったが、誰もが遠ざかっていく。
それからヤガミの背後から一度聞けば忘れない足音が現れる。
「成功したようだな、舞踏子」
「ええ、これも知恵者さんのおかげです」
にこやかに話をする二人に、思考が少し遅れているらしい。だから予算をケチるなと言ったのに。
「どういうことだ」
「知恵者さんの故郷の伝統行事なんですって」
知恵者め、また余計なことを。
「誕生日を祝いたい人には、生クリームだけのパイを顔面にぶつけてお祝いするんですって」
それから、ヤガミの中で何かがぶち切れたような音がした。思考回路の断絶。それから持っていた銀ビールを浴びるように飲み始める。
「ヤ、ヤガミさん……?」
「ちくしょう、あの人はいつもそうだった。誕生日だというのに嫌がらせばかり……折角今になって避けられたと思っていたのに」
それからぐちぐちと小言をはじめ、舞踏子が止める暇もなく飲み始め、それから突然ぶっ倒れた。どこからともなくMAKIのアナウンスと同時にBALLSが大挙しヤガミを医務室へと連れて行った。
「知恵者さん……ヤガミさんは」
「そなたの祝いが嬉しかったのだよ、あやつは」
「そうですか」
何処かでミズキとエノラがそれは違うと突っ込もうとしたが、まあ、ヤガミのことは半分以上どうでも良かったので放って置くことにした。今の段階でそれは得策ではないことは二人とも心得ていたのもあったが。
「ああ、そういえばさっき作っていたケーキはどうしたの?」
話題を逸らそうとエノラが別の話をふる。
「皆で食べる用は食堂にあるよ、あと今持っているのはプレゼント用」
「プレゼント?」
「うん……ドランジさんに。……ってこれ内緒ね」
明らかに先程とは違う恋する瞳、頬を赤らめる舞踏子。もう、舞踏子については放っておくことにしたエノラ。これは今日の日記に書かないとと思うミズキ。そしてそんな3人を横目に去っていく知恵者。
夜明けの船の聖なる前夜はこうして、過ぎて行くのであった。
05/12/25〜06/03/08 WEB拍手掲載
|